初めての学校、初めての生徒。現代アートを学ぶ学生にモードのことを少し、知ってもらう為、"京都市立芸術大学 構想設計専攻科" で講義をする。その1。
文責/ 平川武治:
初稿/ 2024年06月06日:
1)「事のはじまり」は、/
20数年来の知人である、木村友紀さんと前田岳究/Q Takeki Maedaご夫妻が、
この「京都市立芸術大学 構想設計専攻」で"教授と非常勤講師"をなさっていらっしゃる関係でこの機会が生まれました。
Q Takeki Maedaさんがベルリンで活躍なさっていらした時に、僕の拙文を使ってくださった事が僕たちの「関係の始まり」。そして、僕がチューリッヒに滞在中に丁度、彼が"MIGROS MUSEUM"で展覧会をなさっていて見に行く機会がありました。
参考/ "MIGROS MUSEUM" / "MIGROS MUSEUM"https://migrosmuseum.ch/en
今年になって、僕が京都へ行く機会が幾度かあり、そのつど会って僕たちの距離が急に接近し、その結果が今回の講義でした。
木村友紀 / https://www.kcua.ac.jp/professors/kimura-yuki/
前田岳究 / https://muuseo.com/square/words/813
当日は、30名近く集まってくださった。初めての学校だったので、僕はかなり以前から緊張していたのだが、皆さん、熱心に聞いてくださった、ありがとうございました。
当日、何を主題に話をするか?が、一番迷いましたが、結局このようなテーマに落ち着きました。僕のモードとの関わりの40年程で僕が若い人たちに伝えたいことがあるとすれば、
それは何か?でした。話しながら、彼らたちは僕の孫の世代なのだということを思ってしまい「世代間差異」に僕が揺られてしまった一面もありました。
もう一つ、私的な想いですが、今年、3月21日に巴里で亡くなられた「瀬尾英樹」くんが
僕にこの機会を与えてくださったという想いもありました。
この学校、"京都市立芸術大学"は瀬尾くんの母校でした。彼はこの学校のグラフィック科を卒業し一度、印刷会社に就職された。が、どうしても心で沸き立つ彼の強い"ファッション”の世界が気になり、当時すでに、"ファッション有名校"になっていたアントワープ校のことを
ベルギィー大使館へ問うていた。その大使館の担当者が「その学校のことなら"平川"に聞いてみろ!」という返事で、僕へ彼から連絡が来た。ちょうど、京都の芸術短期大学で講義がありその翌日、福井文化学園の講義という日を選んで、京都駅のベンチで初対面。
そして、話し合ったのが結果、瀬尾くんをファッションへ引き込んだ発端だったという経緯を
思い出した。
アントワープアカデミーの彼の卒業コレクションも見た。全てが斬新であった、クオリティがあり全てが彼の持ち得た「差異」が"世界観"を持って創造されていたとても新鮮で、
「コンセプト+イメージング+グラフィック+造形+パターン・メイキング+ショーイング+サウンド+キャスティング」の全ての要素に"彼の独自性とバランス"がとれた卓越した彼の
卒業コレクションだった。
この彼の卒業コレクションのゲスト審査委員長が、"アズジン・アライア"とミラノの
"コルソ・コモ"のオーナーだった、カウラ ソッツァーニさんだった。今でも覚えているが、
審査後にアライアさんたちが僕に、「彼、HIDEKIの世界はいいね、パターンメイキングも
しっかりしているしプリントも新しいですね。」とおっしゃって、彼の創造性の巧さと細やかさの仕上げを褒めていらっしゃったのが僕にはうれしく、印象的だった。
その後、卒業後の東京へ連絡が入り、結果、15年以上もアズジンの右腕として、日本素材も紹介し活躍した貴重な巴里在住の数少ない日本人デザイナーであった。が、2年ほどの舌癌に侵されての最期だった。
アズジンが急死なさって以後の彼の立ち居場所は決して、彼にとって納得も満足もゆくものではなかった事を熟知しているので僕は、違った眼差しでこの彼の不幸を深く悲しく受け取っているが、このことは次回にでも書かなければならない事実なので、次回に書く。
"瀬尾英樹"との「出会いと、そのキッカケとそして、その後の経過」が縁あって、繋がって僕を彼は今回の「京都市立芸術大学」の講義へ導いてくれた一因でもあろうと信じている。 「ありがとう、瀬尾英樹君。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/瀬尾英樹
作品集 /『HIDEKI SEO』2014 ISBN 978-2-7466-7161-4
インスタグラム / https://www.instagram.com/hideki_seo/p/C5DOykZspZv/
『「思想なきラディカルは名声を得る事で自己防衛へ廻るだけだ。」
その美は人間の欲望、奢侈、快楽、快適さを満足させてくれるものとしてのそれであったと言えた。
つまり、現実的欲求の範囲内のものであった。
それに対し『自由』と結びついた『美』は現実の欲望を超越し、
それとは無縁の地平で求められるべきものであった。』
出典/『芸術崇拝の思想ー政教分離とヨオロッパの新しい神』松宮秀治著-2008年-白水社刊。
2)はじめに、/
僕が今回、"京都市立芸術大学 構想設計専攻科"をネットで検索して知ったミッションは、 『「総合的な構想力」と社会に対して「語る言葉」を養います。』でした。
これに対し、僕が投げかけたのは、 『自分らしい豊かさと自由によって、持ち得た時代観による、"自心のボキャブラリー"と、"他者を想い合えるこゝろ"を携えて、みんなで「差異」を競い合う"間柄が構築できる"空間あるいは、「関係性」を創造するための構造。』が、
『共同で授業を作ってゆける場所』というのが、みなさんの"クラス"でしょうか?
3)そこで、みなさんとの対話の機会で、僕の経験から皆さんへ伝えたいこと幾つか、/
その壱は、"先ず、「根幹」を識ってください。
表層のみに囚われ過ぎないで、その物事やモノの「根幹」を見つけ出して感じてください。
表層のみにこだわり過ぎると単なる「方法論の"特殊性"」に陥ってしまいます。
ファッション・クリエイションの世界は殆ど、このレベルです。やはり、真の「創造」とは、「特異性」を生み出すことですから「根幹」を自分らしく求める。
そのためには、「こゝろの緊張と集中」が必然です。これは「深呼吸と瞑想」によって可能です。
その弐は、「差異」を見つけ出すことです。
当然ですが、自分の「差異」とは何なのか?を自分の「自由さ」で早熟に見つけること。
この資本主義社会においては、「差異と力」が自分らしく生きてゆく為の最大の武器です。
持ち得たあるいは、見つけ出した「差異」をどのような「力」に変換するか?が全てです。
この「差異」によって、他者へ情感が与えられ、共感が得られる全てです。
ここで、"他者が想い合えるこゝろ"が必然にもなります。見つけ出した「差異」を「才能」に変換し、それを「力」とする、これが「創造者の根幹」です。
その参は、"自分の立ち居場所を持ち、「関係性」を構築すること。"です。
自分らしさあるいは、自らのアイデンティティとしての「差異と力」を持てば、自ずと
"自分の立ち居場所"が生まれるはずです。"社会という共同体"で、自分らしく生きてゆくためには、"自分の立ち居場所"が大事であり自らの「間柄」を認識してください.。
そして、それらの「関係性」を大切にしてください。この持ち得た、「関係性」が自分を
更に、豊かに、強くより、大きく成長させてくれるからです。
ファッションの世界は、僕は『「関係性」のビジネス』であると考えています。
従って、「デザインとはコミュニケーションの領域。」なのです。
「根幹」を知って、「差異と力」を見つけ出し、自分だけの「関係性」をできれば、"早熟"に構築し生み出して下さい。
これらをどれだけ、「自分らしい自由の裁量」によって為し得るかがきっと、みなさんに
とっての「自分らしい人生」でしょう。
「何者にも飼いならされず、自分の自分らしい自由の裁量に委ね、自分の気骨で生きる。」
ことが許されている者が本来の「芸術家」だと僕は自分の経験から願っております。
この、 「根幹」、「差異と力」そして、「関係性」という「3つの早熟性」は
実は、僕の80年足らずの人生に大きく深く影響力の残してくださった、「中川幸夫」先生が
幾度かのお話でそれとなくお話くださって、僕の脳ミソに刷り込んでくださったことでした。
4) 僕が感じている現代という時代感は?/
そのー1)「西欧近代」という白人社会が構築した文明の"パラダイム"は不具合を生じ始めている。
それぞれの時代の価値観から創生された「パラダイム」が変化することで、"意識"が変わるこれによって"時代が変わる"という、あたらしい現実社会が生み出される。
これが「西欧近代」が構築した社会構造の一つの「根幹」でした。
しかし、現実には彼らたちの価値観の一つである、「人間中心主義」が「倫理観」の欠如化により、掲げられていた「人間中心主義」の現実は科学技術の発達とともに、「人間都合主義」に変革されてしまって、"地球、自然、気象環境"など、そのものが弱り、衰え始めて久しい
時間が経過しています。
これは、彼らたちが唱える「人間中心主義の限界」そのものの現れです。
これは、「西欧近代」を構築した白人たちが哲学化した「宗教」の根幹である"二項対峙思考"がもたらした"身勝手な"「人間中心主義」そのものの限界の現れです。
これによって台頭して来た昨今の"ネガティヴ プロブラムズ"の大いなる「根幹」の一つに、例えば、「"OIL" 発想と価値判断の限界」などや、「冷戦構造」や、「G.サウスとG.ノース」の
根幹もここにありますね。
ここで、若い世代の人達が自然に、「人間と、人間を取り囲む"地球、自然、気象環境"」に
新しい眼差しを持ち始め、不都合だとか、不誠実だという想いや考えが少しずつですが、
"新たな価値観"を生み始めています。
これらは、「西欧近代」が生み出し、彼らたちが身勝手な都合主義で利用して来た
"近代のパラダイムシフト"そのものが"老衰化"していると考えられる現代でしょう。
そこで、もう一度、"人間に与えられたそして、人間しか持っていない「自由」についての
「謙虚な再考」と「倫理観」が必要でしょう。
例えば、新しい価値創生のための「東洋思想」が「仏教的眼差し」や新たな価値判断である
"SDGs"、"ビーガンフリー"、"サスティナブル"などへの根幹思想となり、更成る、「人新世」期への新たな意識がこれからの新しいパラダイムシフトの根幹になる時代でもあります。
たとえば、ファッションの世界における「創造」とは、新たな"パラダイム"を創り出すことです。これは、"メゾンド M.マルジェラ"が僅か、'89年から14年間でトップへ駆け上がり、成し遂げたこととは、あの時代の、"既成概念や既成社会"に疑問視出来る"勇気と気概と気骨と愛"をもって、ファッションの世界で「新たな"パラダイム"を創生した勇気と気概」だったのです。
そのー2 )「"A.I."のために"人間"とは何か?を考えなければならなくなった時代とは?」
泡沫転倒な発想と視点が危険ですが、A.I.時代を迎えるにあたって、「"人間とは?"の再確認作業」です。今後の "A.I."の普及と社会化によって、「人間が為さなければいけない事と、
しなくてもいい事」の判断が大切な「人間らしさ」のクオリティを、即ち「人格」を生む迄の「根幹」です。
そこで、このA.I.登場によって、改めて、「人間の役割とあり方」を再認識することが
「倫理観」です。僕が念う「倫理観」はそんなに堅苦しいことではありません、
「他者のために思い合うこゝろ。」が「根幹」という発想であり、ここでは、日本人の多くが戦後を生きるために、"切り捨ててしまった"僕たちが身に着けていた「仏教観」が
大切な眼差しになるでしょう。
そのー3)「君たちの時代のしあわせを考えるためのデザインとは?」
「無駄な、意味の無い装色は職人、労働者につまらない負担を掛け、材料をムダ遣いし、ひいては、国民経済への罪悪を犯すことになる。」/ By A. ロースー1908年。
これは僕が好きなヴィエナの建築家、A.ロースが1908年に出版した、「装飾と罪悪」という評論集で既に、彼は当時の建築家たちへ語りかけた彼の強い"社会的倫理観"に支えられた、
「過剰装飾は罪悪である」という提言でした。
事実、当時のこの彼の名著「装飾と罪悪」出版以降、西欧建築の流れは、過剰装飾の"アール・ヌーボー"からシンプルな"アール・デコ"へ、その装飾の流れを大きくシフトし、後には、
W. グロピウスやル・コルビュジエに影響を与え、ワイマールで'19年の"バウハウス"開校へと新たな「近代建築」への流れが始まったのです。
歴史とは、"リバーシブル"で面白い事実である一端をここにも感じます。
100年以上も昔に、A.ロースのこの建築家の想いである「社会的倫理観」が"バウハウス"を
経て、「近代建築」を誕生させる影響ある提言になる。
そして、この「近代の終焉」が始まったこの期に、「倫理観をデザインしてください。」を
僕は再び、新たな君たちの時代の"美ある社会生活"のために提言するのです。
そのー4)「新しい時代の「生活様式のスタンダード」を妄想しよう。」
きっと、皆さんが知らない間にも新しい日常のルールが生まれ、「価値の変換」が、
以前よりは忙しくなく寧ろ、「スロー」な流れでゆっくりと「日常の常識」が、
そして「価値観」が変化していますね。
20世紀の白人たちがそれなりの"資金と叡智"を使って求めた、「もう一つのモノ、三つ。」が、今後の"新世界"へ向けて、大切で大きな「根幹」になってゆく時代性も感じています。
「もう一つの人間」と「もう一つのお金」そして、「もう一つの地球」によって、彼らが求めた「西欧近代」を彼らたちの基本根幹を変えずに今後も継続させる為の、20世紀最大の
彼らたちが考えなければならなかった「戦略計画」でした。
しかし、「もう一つの地球」が見つけ出せなかったゆえに、彼らたち白人は急遽、方向転換をして、「環境問題」そのものを経済要因に組み込み始めたのが2010年に至る頃からだったでしょう。
これからの皆さんが迎える「新しい日常」は「A.L.」と「仮想通貨」によって新たな普遍的な社会と価値観が誕生し、「新たな普通」という日々が創生される「地球社会の普遍化」が
始まり、"明日"という時代が待っていますね。
ここでは、唯一つ、作れなかったあるいは、宇宙でも見つけ出せなかった
「もう一つの地球」への想いですね。
そもそも「地球環境が健全でなければ、健全な人間が生活できない、生き延びて行けない」ことに気がつき始めた世代と富裕層たちの特権意識が今後、この"傷つき、ボロボロになって
しまった地球"を大切に思い込めて、丁寧に「治癒と治療と修復」をしてゆくことが
神から新たに課せられた人間であることへの責務でしょう。
従って、ここでも「倫理観」を考えてください。
例えば、これを最近、ファッション業界が行っている、”サスティナブル”は単なる「経済効果」を目的とした"マーケティング戦略"ではいけないのです。
ここでは、今後、モノをデザインするには「モノの新しい価値観と倫理観」を「根幹」に
考えたデザイン思考が、機能性よりも丁寧に考えるべきだという発想です。
例えば、これらの「新しい日常」を考えると、時代がスローに流れていた「過去」から
「夢」を願う時代性も新たな贅沢です。この贅沢とは、"ニューヒューマンテクノロジー"を
拠り所にした過去のアーカイブからの、「良いとこ取り+ SOMETHING NEW」の世界でしょう。
この「奢侈思想」としての "贅沢な暇つぶしや退屈のためのデザイン"に、経年感である
"古い残された、アーカイブやヴィンテージ"が持つ、「新・わざわざ感」が「根幹」ですね。
そして、もう一つ考えなければいけない世界が、「作られたモノ」は、「すべてゴミ」になる時代性です。ここでは、"ゴミビジネス"のための「3R+2R」という発想の
"スロー・デザイン思考"です。
「リデュース、リユース、リサイクル+リフューズ、リペア」の5つからのデザイン工学を
作り手の「倫理観」に委ねられた、"プラスティックバンク"や"プラスティックエナジー"等の
デザイン活動などもその一つでしょう。
「京都市立芸術大学 構想設計専攻 で講義をする。」
テーマ/『 ”ファッションの立ち居場所から見たアートとの”関係性とその差異”の現在。』−1完
2024年06月19日版 第1部完。
文責/ 平川武治。
初稿/ 2024年06月06日。
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