"The LEPLI" ARCHIVES-82/ 『ファッションデザイナーたちはファッションデザインでどのように産業に寄与しているのだろうか?』
文責/平川武治:
初稿/2012年10月20日:
此れ程までにこのシーズンの巴里が寒かったとは殆ど記憶に無い。
そんな時期の巴里もファッション業界人が去ってしまった後は
風景が全く変わってしまった。
今週末から行われているアートフェアー“FIAC"でどれだけ、
この街の風景を塗り替えられるか?
ここにも,この国の経済情況の芳しくない情況が
全てを見せてしまっている。
1)「今後の自分たちの國の将来はどの方向へ向かっているのか?」
僕たち日本人は母国の借金地獄がどれほどなのか?
約7000兆円もの借金と国債が繰り返され殖えて行っているだけの
この現実を知り,理解し,今後の自分たちの國の将来へ何か,
こゝろある決断や思想を持って生きているのだろうか?
この7000兆円のツケは君たち若者が今後,背負う事になっているのです。
2)「よい政治が行われているのだろうか?」/
国民とその国民が生み出した構造の働きにより,国家が平均的に
潤っているときは国民へものその潤いは平均的に寄与される。
此れが国家の根幹的な”良い政治”の構造である。
しかし,その国家が民力とその構造をうまく使えなくなり
経済の循環効率が悪くなり始めると国力は低下し,
民力の割に国民への潤いと循環が鈍化する。
政治が悪いと言われる発端はここにある。
従って,現在の様に国力が低下し,借金、国債地獄の国家になってしまうと
それなりの人間が自分たちの強欲を持って,国家予算をうまく自分たちに
廻ってくる様な構造や制度を作り、
もっともらしく貧しい人をより貧しくして行く。
ここで言う、”それなりの人間”とは日本では政治家、官僚に多い。
此れは世界レベルでの現状である。
3)「”イミグレーター/移民”を受け入れた先進国」/
日本を含めた先進国という国々、アメリカ、EU諸国は残念ながら
自分たちの強欲によってその殆どが”借金地獄国”である。
しかし,そんな彼らたちの、日本以外の国々は戦後,人道主義によって、
イミグレーターたちを受け入れ、世代とともに人口が殖える。
これらの国々では、この国家の貧しさを彼らたちイミグレーターに
しわ寄せし、それなりの階級の立場にある白人たちは
ここでも巧く立ち回っている。
しかし,戦後の日本の現実には、日本におけるイミグレーターたちは
国力の中に内蔵されてしまっているために
ただ,貧しい人たちがより,貧しくなる構造を作りつつあるのが
現在の日本という国の政治であり,現実であり従って、
政治力の貧しさであり,国力の弱さになってしまっている。
4)グローバリズムは日本の国力を救わない。/
グローバリズムとは強いものが勝つ嘗ての、
帝国主義列国の植民地政策主義でしかない。
この根幹を知らないで,
「グローバリズム、カッコいい」でのレベルは今後の日本の将来がない。
例えば、現在問題にしなければならない,”TPPの問題”もそうである。
最後には弱いもの即ち,貧しい者たちだけがより,貧しくなるための
世界戦術であると考えて、この”TPP問題”に向かい合って下さい。
この”TPP”に加入してしまうと現在の日本の国力と政治力では
その後,ますます中国にも追い抜かされて,アジアのただの一國に
成り下がってしまうしかないのです。
そのために,この”TPP”の周辺で個人のエゴで動き回っている輩たちの
下心を見抜いて下さい。
5)”中国”というニューウエーヴはあらゆる世界へ、/
僕が立ち居場所としているモードの世界における日本の立ち居場所も、
この巴里ではもう完全に変質してしまっている。
嘗ての、この巴里を騒がせたデザイナーたちが
こぞって、日本人に笑顔と強かさを持ってすり寄って来たあの時代が
もう既に、終わってしまっている或いは、殆ど無視されてしまっている。
そんな嘗ての連中は、器用に、スマートに、
”中国”へその強かさを向けているだけである。
6)次世代型の”豊かさの難民”たちは、どのような豊かさをこれから提供して行けるか?/
そんな世界の現実があるのに,
このモードの世界へ飛び込んで来る日本の若者たちは、
次世代型、”豊かさの難民”たち。
物質的なゆたかな時代性と親の世代のコンプレックスから
海外留学も自由に選択出来る迄の当たり前さと単純さよって、
変わらず、“豊かなる難民”よろしく,
それぞれが持ち得た育ちからの表層の”夢”物語の多くを
語っているにしか過ぎない。
「自分たちの夢だからそれで良い、」の考えから
今だから、少し足を地につけた考えと行為を
自分たちの国を念い,決断するべきである。
即ち,「僕たちは僕たちの國のために,社会のために、生活者たちのために何が出来るか? どのような豊かさをこれから提供して行けるか?
その為にどのように産業や経済、それに社会にコミットすればの良いか?」
という成熟な考え方が必要であろう。
7)”夢”とは、最終的にどのような情況や環境を作り得る事であるのか?
例えば,「自分たちが持ち得た”夢”が、その最終ではどのように、
誰のために役に立つのか?
自分が持ち得た夢は、自国の産業に寄与出来るのか?しているのか?」
「夢とは、最終的にどのような情況を,環境を作り得る事であるのか?」
多分、殆どのデザイナー振りたくてこの世界へ飛び込んで来る
ノー天気な輩たちには、この考えや発想が皆無であろう。
仕方ない事である,国の経済情況が好調な、”バブル”時は良い。
しかし,日本の”ファッションデザイン教育”にはこのような個人の人生の
”根幹”が欠如してしまって、見切り発車してしまっている世界でしかない。
当然ながら,彼らたちにはこのような考えや思想は殆どが、
無関心なる、無責任な世界であろう。
親も教えない、世間のジャーナリズムも無関心を装い、
メディアは”消費社会ウケ”する表層のみをでっち上げ、
謳歌して来たこの20年程であろう。
8)おわりに、僕が発言する、”世界知らづになりたくない”とは?/
自分の中で比べるものの”根幹”を持つ事が教養の第1か条です。
合掌。
文責/平川武治。
初稿/2012年10月20日。
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