自分を探すなら、通っている店や買っている商品を観察すればいい
スターバックスに来ている。『お望みなのは、コーヒーですか?』という本を読んでいたら、無性にスターバックスに行きたくなったからだ。
この本は「スターバックスからアメリカを知る」と副題にあるように、社会的な視点からスターバックスを論じた本だ。著者はアメリカの大学教授で、実際にスターバックスのヘビーユーザーだそうだ。
スターバックスには久しぶりに来た。何年ぶりだろう。入った印象は空間が広いなと思った。他のカフェと違って通路がゆったりとしていている。今日は台風ということもあって、混んでいないのがなお良い。
この本で印象に残ったというか、自分の気持ちを言い当てられているなあ、と思ったのは、スターバックスは「グローバルクリエイティブクラス」になりたいと思う人が、その憧れの姿を演じられる場所であるという見方だ。
自分もまさにそんな感じなのかもしれない。スタバに来てコーヒーを飲みながら、薄いノートパソコンを開いて何か仕事みたいなことをやる。そういう状況になりたいと思っている自分がいる。コーヒーを飲むと気分も高揚する。おれはこの世界でやっていける。未来は希望にあふれている。何かそんな気分になるのだ。
その気分を演出しているのが、スターバックスという装置なのだろう。だから、多様性に賛同しているようでいて、実は選ばれた「ミドルクラス」の人しか入ってこないような空気を作っている。その空気に惹かれて、さらにミドルクラスの人が集まる。そういうことなのだ。
実際に、第2のオフィスとしてスターバックスを利用しているビジネスマンや学生が多いという。確かに実際の店内を見てもそんな人がいる。そして、スターバックスはそれらの人に共通の「どう世界が動いているのかを知りたい」という欲求にうまく応えて、世界の音楽を紹介して販売したり、世界の辺境のコーヒー産地のイメージを掲げたりしている。
広々としてすっきりしたレイアウトも含めて、まさに人々の願望や憧れが投影されて、この空間が作り出されているのだろう。そういう「ミドルクラス願望」が自分の中にあるのだとわかった。自分探しをするなら、自分が通っている店や買っている商品を観察すればいいのかもしれない。
おもしろいと思ったのは、この本のなかで紹介されているシアトルで起こった出来事について。白人の警官が、黒人の交通違反者を、警官を引きずったまま逃げようとしたとして、撃ち殺してしまった。それに対して抗議運動をした牧師らが、デモや請願書では当局は動いてくれないので、唐突に「スターバックスをボイコットしよう」と呼びかけたのだ。もちろんスターバックスは、この事件には何の関係もない。
でも、従来の方法で要求が通らないなら、自分たちがお金を払っている先に頼るのもひとつの方法だと牧師は考えた。つまり、金の流れを実質的にコントロールしている企業に、一肌脱ぐように求めたのだ。おお、そんなこともありなのかというか、新しくて本質をとらえた抗議運動だと思った。
市民は政治的に無力でも、消費者として企業に対する影響力は大きい。投票は何年かに一度しか行われないし、一票のインパクトも大きくない。でも企業にとって消費者が離れることは大きな問題だ。モノを買うことは毎日のことなので即効性がある。政治家を投票で選んで、そこから社会を変えようとすると時間がかかるけど、買い物はコンスタントな投票行為で、より結果が出やすいのではないか。
企業を通じた政治運動が効果的だ、と多くの人が認めるようになると、また世の中が変わるんじゃないか。そんなことを考えた。良い方に変わるかはわからないけど。
ということでコーヒーも飲み終わったし、店を出ることにする。レシートを提示すれば、次の一杯は当日中なら100円で飲めるそうだ。別の店舗でも有効らしい。これはお得な気がする。スタバも経済的感覚をくすぐる手を打っているんだなあと思ったのだった。
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