言葉を聞いているのではなくて、その相手を聞いている

 一度留学してみたい。最近そう思い始めて、何か自分に関係ありそうな学問はないかなあと探していると、社会言語学という学問に目が留まった。
 
 社会言語学とは何か? そう思って『日本語は「空気」が決める: 社会言語学入門』という本を読んだ。著者の石黒圭さんは大学の言語学の先生で、前に読んだ接続詞をテーマにした本はなるほどと思うことが多く、内容もわかりやすくて印象に残っている。

 社会言語学をひとことでいうと、社会のなかでの言葉の使われ方に注目する学問。言語自体の仕組みを研究する「理論言語学」に対して、実際の世の中のどのような場面でどのような言葉が選ばれているかを考えるもので、より学際的な分野として位置づけられているようだ。社会言語学のなかにも、ミクロ社会言語学とマクロ社会言語学があって、マクロのほうは言語よりも社会に重点を置き、「言語を通して社会を見る」ものらしい。

 ところで今、スターバックスでこの文章を書いているのだけど、お客の老婦人のグループと、店員の女性とが会話を始めた。テーブル席のそばまで店員さんが近づいてきて、世間話をしている。こういう場面でどんな言葉が使われて、どんな意図や思いがあるのか。そんなことを考えるのも社会言語学の一部なのかもしれない。

 スタバの店員は積極的にお客さんとコミュニケーションを取る。どのような人に、どんなふうに声をかけて、何を話すのか。外国のスタバではどうなのか。そういうことを調べたらおもしろそうだ。

 この本では、社会言語学が扱うテーマとして、方言や敬語など、主に日本の事例が取り上げられている。へーと思ったのが、「気づかない新語」。例えば「夜ごはん」のような言葉は、かつてはなかったけど、いつの間にか世の中に定着している(元々は「晩ごはん」か「夕飯」だった)。ルールを誰かが決めたわけではなく、人間社会がひとつの生き物のように感じられて興味深い。

 また、言語能力には「生活言語能力」と「学習言語能力」があるという話もメモしたくなった。世の中ではこの2つがしばしば混同されている。内容の薄いことをペラペラと話せることより、つたなくても意味のあることを話すほうが相手には聞いてもらえる。人は言語自体を聞くのではなくて、相手が伝えようとしているメッセージを聞こうとするからだろう。

 相手の中にあるものを知ろうとすること。それがコミュニケーションなのだと思う。日本人、外国人問わず、いろんな人の内側にあることを知ってみたい。それを共有できたら少しは仲良くなれるのではないか。今このスタバにいる20人くらいの人のバックストーリーが共有できたら、場所の空気は別のものになるはずだ。

 日本語は空気が決める、というタイトルの本だったけど、それに刺激されて、空気を変えるコミュニケーションのようなものに興味が出てきた。社会言語学とはちょっと違う気がする。そういうことを扱っている学問はあるのだろうか?という新しい疑問が浮かんできた。

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