イスラム国と、遅い決断の味わい
「人生には、はっきりとした指針が要る」
『イスラム国の内部へ』という本を読んで印象的だったのは、戦闘員の若者のこんな言葉だった。
著者のドイツ人ジャーナリスト、トーデンヘーファーさんは、インターネットを使ってドイツ出身のイスラム国メンバーを探し、信頼に足る人物を見つけ、スカイプやメールを通じて関係を深める。そして、滞在中は安全を保障するというカリフの証明書を発行してもらい、イスラム国へ足を踏み入れることを決めた。その顛末をまとめたのがこの本だ。
安全を保障する書類があるとはいえ、逆にいうとそれ1枚しか頼るものはない。武器を持った戦闘員たちが常に身の回りにいる。これまでジャーナリストを何人も斬首してきたイスラム国のことだ。さらに1人を殺すことくらいなんとも思っていないだろう。そのような人々に対して、イスラム国の考え方は本当のイスラムではないと真っ向から論戦を挑んでいく。
はじめは友好的だったイスラム国のメンバーたちもしだいに気分を害してきて、険悪な雰囲気になる。何かタガが外れれば殺されてもおかしくない状況だ。自分だったらこんなとき、おとなしく相手の指示に従ってしまうだろうし、相手の言い分に理解を示し、持ち上げるようなことも言ってしまいそうだ。イスラム国から生きて帰ったジャーナリストがいない状況で、無事に生還できるだけでもすごいし、見てきたことを報告すれば、仮に現地で相手に与したとしても価値があるだろう。
しかし、著者はイスラム教に対する自分の意見を主張し、当初の約束とは違って自由に取材ができないことに不満を述べ続ける。70歳だったか、けっこうな年配の人で、同行を志願した息子ともう1人の若い男性とともにイスラム国に入った。これまでイスラム教の国々を訪れ、本当のイスラム教の考えや良さを知っており、その意味でイスラム国の考え方を正したいという思いがあるようだ。
一方、イスラム国のメンバーは自分たちの宗教だけが唯一のイスラムであり、ほかのイスラムは敵だと考えている。過去のある時点の預言者の教えが絶対的なものであり、それは未来永劫、変わらないものだとしているのだ(この考えはイスラム国だけに限らないが)。揺るぎない指針が若者たちをひきつけているのだろう。
気持ちはわかる気がする。いくつになっても、人生の指針は見つからない。こうなりたいと思える人物も近くにいない。親の世代とも価値観が違っている。世の中の変化も早い。何を指針にしたらいいのか、みんなが迷っている。そんなところに、絶対的な存在を提示されると惹かれてしまう。ある意味「ブレない」魅力がイスラム国の根本にあるのではないか。
そんなことを読みながら思ったのだけど、では、絶対的な基準を持たない、自分のような人はどうしたらいいのだろう?
スピードの問題かもしれない。判断力のある人がスパスパと物事を先に進めていく一方で、優柔不断な人はなかなか気持ちが定まらない。うだうだと考え続け、ある程度時間がたってから、まあこっちだなと決める。
たぶん、最適な決断時間には個人差があって、それぞれにふさわしい時間をかけて決めることが大切なのだろう。そのプロセスをイスラム国に参加する若者は避けているのではないだろうか。決断を丸投げするというか、時間をかけることができず、拙速な答えを求めているように思える。
人が自分の時間が欲しい、と言うとき、それは自分で決断できる時間が欲しいということであり、その長さは人によって違う。自分らしい生き方をしようと思えば、自分らしい決断時間を確保しないといけない。即断が向いている人はどんどん答えを出せばいいし、時間をかけて決断するタイプの人がいてもいい。
自分の中にも即断と遅断が同居しているようにも思う。この本を読みながら、スパスパと決める即断の気持ち良さに加えて、遅い決断の味わいにも光を当てたいと思ったのだった。
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