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ラ・バンバ〜3曲のヒットを残して17歳の若さで逝ったR&Rスター、リッチー・ヴァレンス

『ラ・バンバ』(La Bamba/1987)

1959年。数年前に生まれたばかりのロックンロールが、全米中のティーンエイジャーを夢中にさせていた頃。

そんな2月3日。吹き荒れる悪天候が原因で、3人の若いロックンローラーを乗せた小型飛行機がアイオワ州のトウモロコシ畑に墜落。翌朝、パイロットも含めて4人全員が死亡しているのが発見される。

亡くなったのはツアーの移動中だったバディ・ホリー、ビッグ・ボッパー、そしてリッチー・ヴァレンス。この日の悲劇はティーンたちに大きな衝撃を与え、当時その一人だったドン・マクリーンは1971年になって「アメリカン・パイ」という曲をリリースし、「音楽が死んだ日」と歌った。

『ラ・バンバ』(La Bamba/1987年)は、スターになった矢先の飛行機事故で、わずか17歳の若さで伝説となってしまったリッチー・ヴァレンスの青春と恋、家族と兄弟愛、そして音楽への情熱を描いた映画だった。

日本公開時の映画チラシ

本名リチャード・バレンズエラ。1941年5月13日、LA北部の町パコイマで生まれたリッチーにはメキシコ人の血が流れ、貧しい移民コミュニティの中で母親の女手一つで育つ。

若者になったリッチーの夢は、明日のロックンロール・スターになって、農場で働く母親とまだ幼い妹たちにマイホームをプレゼントすることだった。

そんなある日、異父兄のボブが刑期を終えてリッチーたちの元に戻ってくる。一家は農場キャンプを離れ、南カリフォルニアで暮らすようになる。

新しい高校生活が始まったリッチーは、そこで美しい金髪の女の子ドナと出逢って恋に落ちる。WASP系である彼女の父親は、ヒスパニックのリッチーを差別の眼差しで見つめるが、ドナはリッチーのもう一つの夢となった。

地元のバンドのメンバーになったリッチーは練習に励みつつ、やがて自分のバンドを結成。母親や兄の注力もあり、町の公民ホールでデビューコンサートを開催する。ボブの不良仲間たちの乱入でメチャクチャになるものの、ドナとの距離は縮まり、レコード会社からもスカウトされる。

1958年。「カモン・レッツ・ゴー」でレコードデビューすると、リッチーの人生は変わり始めた。セカンドシングル「ドナ」/「ラ・バンバ」は大ヒット。ドナとも結ばれて新車でドライブ。念願のマイホームも母親にプレゼントすることができた。

兄の嫉妬と確執もある中、リッチーはアラン・フリードのR&Rショーに出演。エディ・コクランやジャッキー・ウィルソンらと共演。ティーンの観衆から、絶賛と歓喜の声を浴びる。この夜、彼は本当のロックンロール・スターになったのだ。

クリスマスに地元に戻ると、母親が盛大なパーティを開いてくれた。だがリッチーはスターとしての過酷なスケジュールのツアーをこなさなければならない。ツアーの途中、兄と電話で和解するリッチー。それが家族が聞いた最後の声だった……。

この映画が構想されて、実現するまで14年もの歳月が掛かったという。まさに執念が実を結んだ作品となった。

リッチーを演じたのはルー・ダイヤモンド・フィリップス。リッチーの歌と演奏は当時チカーノ(メキシコ系アメリカ人)・ロックのヒーローだったロス・ロボスが担当して、タイトル曲「ラ・バンバ」がナンバー1ヒットを記録。

映画はラテン系移民の増加もあって、リッチー・ヴァレンスは無事にアメリカで再評価された。

兄と出向いたティファナの町の売春宿で、メキシコ民謡の「ラ・バンバ」が演奏されるステージをたまたま目にして、ロックンロール調にリメイクするアイデアが閃くところや、電話ボックスの中で会えない彼女に向かって「ドナ」を弾き語りするシーンなど、音楽映画としてとても幸せを感じる傑作だ。

文/中野充浩

参考/『ラ・バンバ』パンフレット

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