バック・トゥ・ザ・フューチャー〜1955年のあのパーティでロックの歴史が変わった
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(BACK TO THE FUTURE/1985年)
2015年10月21日は、マーティと彼のガールフレンドのジェニファー、そしてタイムマシンを開発したドクが、1985年の10月からタイムトラベルしてきた日だ。
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作(1985~1990年)の第2部では、2015年という“未来”が舞台となっていた。映画を観直して、我々が生きる現在の光景や生活と比較してみるのも楽しいかもしれない。
さて、今回は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(BACK TO THE FUTURE/1985年)の第1部を振り返りたい。
やはり、何と言ってもマーティが“ロックンロールの歴史を塗り替えた”場面があるし、間違いなくシリーズ最高傑作なのだから。
すべては「もし、自分と同い年の父親や母親と会ったなら」という、脚本家ボブ・ゲイルの空想から始まった。
大人にも若者だった時代があること。1955年がティーンエイジャー文化の始まりの時代だったことなどを加味しながら、1980年からストーリーは書き進めれていった。
監督は、のちに『フォレスト・ガンプ』で監督賞を受賞するロバート・ゼメキス。立て続けに失敗作を撮っていたロバートは、前作『ロマンシング・ストーン』のヒットで何とかハリウッドに留まっていた。そしてスピルバーグを製作総指揮に迎えて撮影を開始。
当初、主役を務めたのはエリック・ストルツ。しかし、映画を貫く決定的な雰囲気に欠けていたストルツは降板。もともと第1候補だったマイケル・J・フォックスが起用される。
マイケルは当時、『ファミリー・タイズ』(1982~1989年)というTVシットコムで大スターになって多忙を極めていたが、映画への出演を熱望。1日わずか2時間の睡眠で、肉体的にも精神的にも極限状態の中で撮影に挑んだ。
こんなにも心を明るく、ワクワクさせてくれる物語があっただろうか? 1970年代半ば、それまでのアメリカン・ニュー・シネマの時代が終わり、映画のメインストリームがエンターテインメントの復権(スピルバーグやルーカスらに代表される)へとベクトルを転換して以降、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はその金字塔だった。
10代を描いた青春映画であり、SF映画。ロマンスやアクションやコメディの要素もある。加えて、スケートボード、車、ギター、パーティ、ダンス、ファッションといった遊びの小道具も溢れている。
タイムマシンは冷蔵庫を使うアイデアから、移動手段に適切な車に変更された。使われたのは、アメリカでカルト・カーとして人気の高いデロリアン。
人気絶頂のヒューイ・ルイスが2曲を提供したほか、カメオ出演で話題に。
ちなみにスピルバーグは公開前に、「未来に行って、この映画がヒットするか確かめたい」と言った。映画は1985年に公開されて大ヒットを記録。
時代に合わせて気を効かせ、パーティで「ジョニー・B・グッド」をダックウォークしながらマーティが弾いていると、初めて耳にするロックンロールに身体が踊り始める55年の若者たち。
それを見て「新しいサウンドが欲しいんだろ!?」と言って、受話器の向こうにいるチャック・ベリーに聴かせるバンドメンバー。感動的な「アース・エンジェル」のシーン。
また、ヴァン・ヘイレンが効果的に機能して、先のパーティでマーティが興奮のあまりライトハンド奏法を思わず披露してしまうおかしさ。静まった会場に「君らにはまだ早い。君らの子供には分かるよ」。このように音楽の描写にも遊び心がいっぱいだ。
物語は1985年10月26日に始まる。ドクの開発したタイムマシンに乗り込んだマーティ(マイケル・J・フォックス)は、1955年11月5日に突如タイムトラベルしてしまう。
彼がそこで遭遇するのは、自分と同じ高校時代の両親。些細なことがきっかけで、母親が惚れたのは息子の自分。本来結ばれるべき両親のため、生まれるはずの自分のため、テロリストに殺されてしまうドクのため、そして“未来に戻る”ためのマーティの疾走が始まる。
文/中野充浩
参考/『バック・トゥ・ザ・フューチャー』DVD特典映像
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