キル・ビル〜タランティーノの映画愛が吹き荒れる4時間超の復讐劇
『キル・ビル』(KILL BILL/2003年・2004年)
小説も音楽も映画も美術も、過去の偉大な作品の“影響”なくして創造されない。
作り手の体験、無知なることに対する取材、あるいは空想でさえ大切なのは言うまでもないが、文化作品からインスピレーションを受けることも、独自の創作には必要不可欠な“血”となる。
例えば、音楽がわかりやすい。
チャック・ベリーによるロックンロール史上最も有名なあのリフは、今まで世界中の無数のミュージシャンの“新曲”に取り入れられてきたし、過去の音楽すべてが素材となるヒップホップは“サンプリング”なくして語れない。どんなジャンルの音楽にも、この“参考”や“引用”は成立する。
映画だって同じだ。
あのジャン=リュック・ゴダールの伝説的な映画『気狂いピエロ』には、文学作品からコミックまで、あらゆる分野のカルチャーの断片が映像に散りばめられる。しかも驚くべきことに、それが一本の物語として繋がっている。
この種の作品は、受け手の文化体験によって面白さが左右することは確か。でも知らなくてもそんなことは後から発見すればいいし、それがきっかけでその人の壮大な文化探求の旅が始まることだってある。
芸術や創作の醍醐味は、そこにある。
映画作家クエンティン・タランティーノの『キル・ビル』(KILL BILL/2003年・2004年)も、そんなオマージュとリスペクトが吹き荒れる作品の一つだった。
映画やサブカルチャーの“マニア”として知られるタランティーノ作品の中でも、これほどカオス的なものもないだろう。
ちなみに、タランティーノの映画制作会社「A Band Apart」は、ゴダールの映画『Bande à part』から“引用”された。
『キル・ビル』の撮影日数は270日。舞台はLA、メキシコ、北京、東京、沖縄だ。
『キル・ビル』には、大きな影響を受けたという『修羅雪姫』(梶芽衣子が主演した1973年の日本映画)をはじめ、マカロニ・ウェスタン、フィルム・ノワール、ブラックスプロイテーション、カンフーやサムライ映画といった複数の世界観が交錯する。
しかし、主人公のザ・ブライド(ユマ・サーマン)による一貫した“復讐”という目的がある限り、どこか安心感に包まれながら観れてしまう。ブラックジョークも、えげつない描写も、やがて到達する画が想像できるので、時に笑えたりもする。
『キル・ビル』にはVol.1とVol.2があり、記憶に残るシーンも数多い。
快晴の午後の住宅街での殺し合い。
ヤクザのアニメーション。
栗山千明扮する女子高生の殺し屋“GOGO夕張”。
雪景色の日本庭園での決闘(梶芽衣子の歌が流れる)。
月夜のトレーラー。
拳法の住み込み修行。
生き埋めからの蘇り。
リゾートハウスでの復讐劇のコンプリート……
そんな中で、音楽との融合を考えると、Vol.1でのエピソードに痺れる場面があった。
──沖縄のシーン。寿司屋に入ったザ・ブライドは観光客を装って他愛のない会話をした後、店の主人である服部半蔵(千葉真一)に、復讐のための鍛刀を屋根裏部屋で依頼する。
店のカウンターで見せていたユマ・サーマンと千葉真一の会話と表情の軽さ。そこからこの場面における重苦しい緊張感への流れにも魅了される。
そこで静かに流れてくるのが、ゲオルゲ・ザンフィルの「The Lonely Shepherd」で、パンフルートの孤高の旋律が、まさに復讐を誓った者の心情そのものなのだ。
この曲がVol.1のエンディング(飛行機で復讐リストを書くシーン)に使われいることからも、タランティーノの強い拘りが見受けられる。
このザンフィルのパンフルートを耳にして、セルジオ・レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を思い出す人もいるかもしれない。なぜなら、この作品でもザンフィルの音色が忘れられない場面で奏でられている。
1984年公開の、この映画史上に残る名作中の名作を、気鋭の映画作家はきっと心に深く刻んでいたに違いない。
文/中野充浩
*参考/『キル・ビル』DVD特典映像、パンフレット
●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから
この記事を楽しんでいただけましたか?
もしよろしければ、下記よりご支援(投げ銭)お願いします!
あなたのサポートが新しい執筆につながります。