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ドアーズ〜“知覚の扉”を開け続けたジム・モリソン27歳の結末

『ドアーズ』(The Doors/1991年)

激動の1960年代半ば〜後半。反体制とカウンターカルチャーの象徴だったロック。そんな中で1967年のデビューから数年間、センセーションを巻き起こしたのがドアーズだった。

ヒッピーたちに支えられた同時期のロックバンドとは異なり、アルバムとシングル両方でヒットチャートを駆け上がる力を持っていた彼らは、“稀な存在”でもあった。

フロントマンであるジム・モリソンのカリスマ性は、レコードや雑誌だけでなく、ステージでのパフォーマンスにおいて限りなく昇華した。

過激な歌詞や官能的なファッションはもちろんのこと、猥褻な言動が原因による地元警察とのトラブルは日常茶飯事で、ジムは逮捕されたこともある。

ネイティヴ・アメリカンの魂に触れながら、アルコール、ドラッグ、セックスによって“知覚の扉”を開け続けた男。

残された道は“自己破壊”しかなかったのだろうか? 1971年7月3日、ジムはパリの自宅のバスルームで心臓発作により他界。「30歳以上の大人を信じるな」と叫ばれた“60年代の約束”通り、27歳の結末だった。

同時代に青春期を送っていたオリバー・ストーン監督は、ベトナム従軍中にドアーズの音楽を聴きまくっていたという。

そこでの経験は『プラトーン』『7月4日に生まれて』となって描かれているが、その60年代3部作とも言うべき最終章が、『ドアーズ』(The Doors/1991年)だ。

映画は70ヶ所にも及ぶ南カリフォルニアのロケ地をはじめ、モハベ砂漠、サンフランシスコ、ニューヨーク、パリなどで撮影された。中でも3万人のエキストラが集まったコンサートのシーンは圧巻。

さらには、当時のドアーズのプロデューサーだったポール・ロスチャイルドが音楽監督を務め、生き残った元メンバーたちも演奏指導などで全面協力した。

ジム・モリソン役には、当初はロックスターのビリー・アイドルが最有力候補にあげられていた。しかし、1990年にビリーはオートバイの交通事故で重傷を負い、クランクインに間に合わなくなってしまう。

そこで代わりに浮上したのが俳優のバル・キルマー。歌唱力も抜群で、口パクせずに自ら時代のカリスマになりきって歌いこなした。なお、ビリーは松葉杖をついたまま、脇役で出演が叶った。

日本公開当時の映画チラシ

物語は、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で演劇、映画、詩、文学に没頭するジム・モリソンが、同じキャンパスで知り合ったレイ・マンザレク(カイル・マクラクラン)ら仲間とともにドアーズを結成するところから始まる。

そしてジムは、ベニス・ビーチで見かけたパメラ(メグ・ライアン)に一目惚れ。二人は恋に落ちていく。

ジムの暗闇や混沌を追求した詩作がロックと結びついた時、彼らの世界が広がった。自ら“トカゲの王”となって観衆の魂を揺さぶるジム。若者たちから絶大な支持を得る一方で、保守的な人々からは反感を買う。

しかし、誰も彼を止めることはできなかった。パメラとも互いに傷つけ合う日々。ジムは何かを断ち切るようにパリへ向かう。結末はすぐそこまで忍び寄っていた……。

ニューヨークのクラブで、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが流れるシーンが印象的。ニコ、イーディ、トルーマン・カポーティらが登場し、“東のカリスマ”であるアンディ・ウォーホルが、“西のカリスマ”のジムと対面する。

できれば、若いうちに観ておきたい映画かもしれない。大人になって何かを背負って、時には守りながら、しがらみの中で生きていると、ジム・モリソンの生き方はあまりにも無謀で未来がないようにも映る。

だが、それでもドアーズの音楽を耳にするたび、人々は“知覚の扉”に誘惑されるのだ。

文/中野充浩

参考/『ドアーズ』パンフレット

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