ロング・グッドバイ〜世界で一番有名な私立探偵が背負った奇妙な友情と別れの美学
『ロング・グッドバイ』(THE LONG GOODBYE/1973年)
夜のための創作がある。音楽ならモダンジャズ、小説ならハードボイルド、映画ならフィルム・ノワールといったように、夜の世界に捧げる物語がある。
『大いなる眠り』『さらば愛しき女よ』『高い窓』『湖中の女』『かわいい女』『プレイバック』……ミステリーやサスペンスに興味がない人でも、一度は耳にしたことのあるタイトルかもしれない。これらはすべて一人の作家によって書かれた長編小説だ。
レイモンド・チャンドラー。登場人物の心理を、主に台詞や行動で描写するハードボイルド文体に、知性や洒落たセンスを取り入れた書き手。ハリウッドやLAの街の空気、そこに生きる人間模様などのリアリズムを貫き、世界で最も有名な私立探偵フィリップ・マーロウの生みの親。
──『ロング・グッドバイ』(THE LONG GOODBYE/1973年)は、そんなチャンドラーの最高傑作として知られる『長いお別れ』の映画化だった。
フィリップ・マーロウという魅力的かつ映像的な人物をハリウッドが無視するわけがなく、これまでにもハンフリー・ボガードやロバート・ミッチャムらの名優が演じてきた。
しかし、本作におけるエリオット・グールド演じる現代版(1950年代から70年代に置き換えた)マーロウは、お決まりのトレンチコートも帽子も身につけていない。
しかも二枚目とは言いがたいし、バサバサの髪に無精髭でちょっとだらしない。正直、従来のクールでニヒルな私立探偵のイメージや、誰もが期待するダンディズムとは程遠いのだ。
にも関わらず、この作品におけるフィリップ・マーロウを愛する人々は多い。のちに松田優作の『探偵物語』がこの作品のムードを持ち込んだのは有名な話。
監督は奇才ロバート・アルトマン。公開当時、原作ファンや昔の映画ファンからは批判が多数寄せられたそうだが、かつての時代とは価値観があまりにも違ってきた現実と向き合う狙いもあったはずだ。
時代設定は変わっても、奇妙な友情と別れの美学が、マーロウのくわえ煙草から舞う煙の雲のように全編に渡ってひっそりと漂っている。すべては夜の人々のために。オープニングがとにかく洒落ている。
深夜3時、LAのアパート。お腹を空かせた飼い猫に起こされたマーロウは、冷蔵庫からあり合わせのものを差し出すが、わがままな猫は食べてくれない。しつこくせがまれるので、仕方なく好物である“カレー印”のキャットフードを買い出しする羽目に。
隣人にはヌードでヨガ瞑想に耽る女の子たちが住んでいたり、終夜営業のスーパーマーケットで従業員とのくだらないやり取りをしたり、物真似好きな守衛がいたり、一つ一つの交わりが都会に生きる男の夜を演出する。
いつものキャットフードが売り切れていたので、買ってきたばかりの別の商品の中身を“カレー印”の空缶に移し替えるマーロウ。でも猫はそれをちゃんと分かっていて、一口も食べないままどこかへ消えてしまう。
すると、オープンカーで夜の街を流していた友人がやって来る。妻と喧嘩をしたのか顔の傷を気にしているようだ。そして友人は言う。
「君に頼みがあって来た。ある男たちに追われてる。逃げたいんだ。ティワナ(メキシコ国境の町)に行ってくれないか」
「今から?」
「そう、今から」
映画で流れるのは、ジョン・ウィリアムズによるジャズアレンジが効いたスコア。このオープニングシーンでも、歌ものやピアノやストリングスなど、いくつかのヴァージョンが色っぽく絡み合う。これだけで完全に魅せられてしまう。
物語は、友人が妻殺しの容疑をかけられて、マーロウがとばっちりを喰らうところから始まる。
しかし数日後、友人が自殺して事件は解決。腑に落ちないまま、別の仕事の依頼を受けたマーロウは、盗まれた大金を探すギャング、怪しげな精神科医、巨漢のアル中の流行作家、そして都会の夜をさまよう美しい人妻といった人物たちと接するうちに、あることに気付き始める……。
なお、小説の『長いお別れ』は、故・清水俊二氏の名訳(最初は必ずこちらで)でいつでも読むことができるので、興味のある人は味わい深い原作をぜひ手に取ってみてほしい。もちろん真夜中に。ウイスキーでも傾けながら。
文/中野充浩
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