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キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン〜16歳で映画会社の重役になりすましたスピルバーグ
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(Catch Me If You Can/2002年)
「映画製作に自分の金は注ぎ込むな」
──早熟の天才スティーブン・スピルバーグは、16歳の時に巨匠ジョン・フォードから忠告されたことを、ハリウッドで仕事するようになってからずっと守り続けることにした。
そして30年後、46歳の時に、遂に資産1000億円以上を持つビリオネアになった。
自分の金は一切出さない代わりに、作品の所有権は放棄する。しかし、作品に対する“権利”は違う。自分の映画が大ヒットする保証はしないけれども、「もし成功した場合」は、大きな取り分を与えられることを主張するのだ。
映画が公開されると、興行収入の5〜15%を受け取る。どんなに映画がヒットしなくても、必ず金が入ってくる仕組みにする。
こうして1993年(46歳)に監督した『ジュラシック・パーク』で、スピルバーグが稼いだ金額は驚異の262億円。当時一本の映画から、これだけの利益を得た者は誰もいなかった。
非凡な才能があったスピルバーグは、20歳の若さでTVディレクターとなった。そして1974年に映画に進出し、翌年に監督した『ジョーズ』がそれまでの映画興行の全ての記録を塗り替える大ヒットを記録する。
まだ20代後半の時。普通なら名声に溺れ、パーティ三昧の中で若い女優と浮かれてスキャンダル沙汰になるのがオチだろう。だが、彼はハリウッド帝国の金の動きを、冷静に見つめることを忘れなかった。
次作『未知との遭遇』(1977年)では、決定的な学習をする。利益の17.5%を受け取る契約を交わしたものの、手にしたのはわずか5億円。いくら大ヒットした映画でも、様々なコストを差し引くと利益は残らない。そこで意味のある金とは? それは興行収入からの分配だと気づく。
有名な『E.T.』では、ビデオの売り上げからも分配を受け取る契約を結んだ。ビデオ時代が来ることを見抜いたのだ。この項目だけで、スピルバーグは70億円を手に入れた。ちなみに『ジュラシック・パーク』の続編『ロスト・ワールド』(1997年)では、何と340億円を稼いだ。
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(Catch Me If You Can/2002年)は、巨額の金を手にしたスピルバークらが1994年に設立した製作会社「ドリームワークスSKG」のヒット作の一つ。
16歳という若さで、大胆不敵にも世界を欺いた詐欺師フランク・アバグネイルの自伝の映画化だ。実は本作を監督したスピルバーグも同じ16歳の時、アバグネイル方式で周囲を騙したことがあった。
映画に対する情熱が抑えきれなかった彼は、スーツにネクタイ姿で空っぽのアタッシュケースを手に持ち、毎日ユニバーサル・スタジオへ通うことを始めた。守衛にそれらしく見えるように挨拶し、スタジオの重役のように振舞ってゲートをすり抜けた。
「16歳6ヶ月の管理職になったんだ。週5日、3ヶ月もの間、撮影所内を歩き回った。あの瞬間、私こそがフランク・アバグネイルだった」(スティーブン・スピルバーグ)
こうして少年は、ジョン・フォードから“生涯の宝物”を受け取ったのだ。
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1963年。フランク・アバグネイル(レオナルド・ディカプリオ)は、15歳の時に父(クリストファー・ウォーケン)の事業の失敗が原因で、両親が離婚。幸せな日々が一転、明日の金にも困る不安な毎日を過ごす。
そこで小切手に細工をして換金を試みるが、未熟な風貌や服装のせいですぐに怪しまれてしまう。そんな時、マンハッタンの街中で人々の視線を集めるパイロットの姿を目撃する。
「そう、これだ!」。フランクはさっそく学生新聞の記者を装い、航空会社の内情やパイロットの勤務形態を探り出す。
制服を入手して、パンナム航空のパイロットに扮したフランクをもう怪しむ者はいなかった。人は見た目で信頼してくれる。偽造した小切手も、瞬く間に大金に変わっていく。デッドヘッドを悪用して、「バリー・アレン」なる名前で世界中を飛び回る日々が始まった。豪華な食事、高価な衣装、派手な女遊びが日課だ。
エスカレートする巧妙な犯行に、FBIの捜査官カール・ハンラティ(トム・ハンクス)も動き出す。そんな中、ハリウッドのホテルでフランクと対面するものの、ありえないミスで逃げられてしまう。指紋も前科もない偽名の犯罪者に、手掛かりはなかった。
マスコミから「空のジェームズ・ボンド」と報じられているのを知り、意気揚々のフランク。その後アトランタでは今度は医者に扮し、一目惚れした看護師のブレンダと勢いで婚約する。
彼女の父親(マーティン・シーン)は検事で、その疑い深い視線に動揺するものの、嘘は全くバレておらず、今度は司法試験を受けて、まんまと弁護士として職にありつく。そして遂に結婚パーティを盛大に開くのだった。そこにフランクの居所を嗅ぎつけたカールが乗り込んで来て……。
映画はまだまだ追いかけっこが続いていくので、この辺りで止めておこう。印象的だったのは、カールがフランクに「司法試験はどうやったんだ。替え玉か?」と詰め寄るシーン。フランクはこう言う。「二日間で猛勉強したら受かった」。まさに“本物の偽物”とはこういうことだ。
フランク・アバグネイルは、16歳から21歳までの数年の間に、偽造小切手で250万ドルの金を作り出して4大陸26ヶ国を股に掛けたが、ターゲットは保険で守られた大企業のみで、決して個人からは騙し取らなかった。
フランスで逮捕され、ヨーロッパの刑務所に入れられ、アメリカでも12年の刑を宣告されるが、詐欺師としての専門知識を公的機関で教え、連邦政府に情報提供することを条件に5年で釈放。FBIの金融犯罪部門に25年協力し、自らも金融詐欺に対する防犯コンサルタント業で成功を収めた。
自伝『世界をだました男』(Catch Me If You Can)は1980年に出版され、ベストセラーに。
スピルバーグが映画化するまで、10人ものハリウッド人が映画化権を買い、何本もの脚本が書かれたが、アバグネイルが納得できるものはなかったという。
これも一種の詐欺ゲーム? ディカプリオはこの話を聞いて、こんなジョークを口にした。「彼は映画化のオプション料だけでいくら儲けたと思う?」
文/中野充浩
参考/『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』パンフレット、「フォーブス」1994年12月号
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