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ベルベット・ゴールドマイン〜マーク・ボランやデヴィッド・ボウイがいたグラマラスな日々

『ベルベット・ゴールドマイン』(VELEVET GOLDMINE/1998年)

1971年のロンドン。それまでのヒッピー時代への決別の意を込めて、エスニックな衣装を脱ぎ捨てたマーク・ボランは、今度はサテンやラメの衣装に身を包むと、フォーク音楽から転換した艶やかなロックンロールを演り始めた。こうしてボランのバンドであるT・レックスは、すぐさまポップスターとなる。

それから1年後の1972年。今度は奇しくも同い年で同じような境遇にいたデヴィッド・ボウイが、女装愛好家たちのことを歌って新たな時代の到来を告げる。

──その後3年間、イギリスの音楽シーンやポップカルチャーのメインストリームとなる「グラム・ロック」「グリッター・ファッション」の幕開けだった。

これをきっかけに最先端の若者文化/ポップカルチャーの震源地は、アメリカ西海岸から再びロンドンに舞台を移す。

ボランもボウイも、1960年代後半はほぼ無名に近い存在だったが、ショウビジネスとホモセクシャルのパワーを手に入れて、眩しく生まれ変わったのだ(二人とも10代の頃は洒落者=モッズだった)。

特にボウイは、渡米時に出逢ったルー・リードやイギー・ポップに衝撃を受けたのち、自ら「ジギー・スターダスト」に扮することによって、このムーヴメントのリーダー的存在へと祭り上げられていく。

音楽やファッションだけでなく、思想、SF、世紀末感、ポップアート、30〜50年代のハリウッド女優のイメージなどが融合したこのスタイリッシュなうねりは、ロキシー・ミュージック、ゲイリー・グリッター、スージー・クアトロ、スレイド、スウィートらを登場させた。

また、アメリカではニューヨーク・ドールズがデビュー。あのエルトン・ジョンでさえ、グラム・ファッションに傾倒していたほどだ。

しかし、1973年7月。ボウイは突如、ステージでの引退を宣言(ジギー・スターダストとして)。グラム帝国は一気に失速することになる。ツアーが絶頂を極めている頃、ボウイは「自分はステージの上で暗殺される」と公言していたそうだ。

『ベルベット・ゴールドマイン』(VELEVET GOLDMINE/1998年)は、こうしたグラマラス・ピープルの伝説にオマージュを捧げ、再構築した映画だった。タイトルはデヴィッド・ボウイが1971年に録音した同曲よりつけられた。

主演は、イギー・ポップを彷彿とさせるカート・ワイルド役にユアン・マクレガー。そしてボウイの化身とも言える大役、ブライアン・スレイドを演じたジョナサン・リース・マイヤーズ。二人を追いかける若き新聞記者アーサー役にはクリスチャン・ベール。

日本公開時の映画チラシ

1984年のニューヨーク。27歳の新聞記者アーサーは、上司からある事件の真相を探るように言われる。それは70年代のグラム・ロックの顔役として、「マックスウェル・デイモン」というキャラクターで人気絶頂にあったブライアン・スレイドの追跡調査。

イギリス人のアーサーは、元エージェントや元妻マンディに取材をしていくうちに、自らの青春時代=グルーピーとして夢中になっていたグラム・シーンを回想すしていく。

1974年のステージで偽装殺人を演じて以来、姿を消した伝説のロック・ミュージシャンは今どこに?  そして調査を進めるうち、アーサーはブライアンの現在の姿を知って衝撃を受けるのだった……。

この作品がただの回顧的な音楽映画に終わらなかったのは、失踪の謎を追うミステリーのプロットと、19世紀の英国人作家オスカー・ワイルドを導入したことだろう。

耽美世界や退廃趣味で文学界に衝撃をもたらしたワイルドと、100年近く経って登場するグラム・ロックのスターたちが紡ぐお伽話のようにも思える。

オスカー・ワイルドの手にあった謎のエメラルドの石が、その後ブライアンからカート、カートからアーサーの手に引き継がれていくのが印象的だ。

文/中野充浩

参考/『ベルベット・ゴールドマイン』パンフレット、『イギリス「族」物語』(ジョン・サベージ著/岡崎真理訳/毎日新聞社)

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