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狼たちの午後〜社会的弱者からヒーロー扱いされた劇場型犯罪の始まり

『狼たちの午後』(Dog Day Afternoon/1975年)

2019年の映画界に衝撃をもたらした『ジョーカー』。これほどの孤独と哀しみに満ちた作品がたくさんの人々に観られていること自体に驚かされるが、きっと今自分がいる場所・街・国の姿に大きく重なる部分があるからだろう。もはやコミックの世界を超えた。これは完全なリアルだ。

監督と脚本を担当したトッド・フィリップスは、この試みに挑むにあたって、主に70年代の映画から大きな影響を受けたという。『タクシー・ドライバー』『カッコーの巣の上で』『セルピコ』、そして、今回紹介する『狼たちの午後』。

映画を観て、設定や雰囲気が似ていると思った人もいるはず。どれも人物描写に優れた作品ばかりが並んでいる。

『狼たちの午後』(Dog Day Afternoon/1975年)は、1972年8月に、NYのブルックリン地区で実際に起きた銀行強盗事件を描く。

タイトルやこの情報だけでは、よほど凶悪な事件だったのかと決めつけてしまうかもしれない。しかし、当時はニューシネマに影響を受けた映画作家たちの全盛期。巨匠シドニー・ルメットが単純なアクション映画を撮るわけがない。

日本公開時の映画チラシ

主犯のジョン・ウォトビッツが、心に傷を負ったベトナム帰還兵だったこと。妻子がいるのに、ゲイとして重婚していたこと。犯行動機が「“妻”のための性適合手術の費用をプレゼントするため」だったこと。

強盗とはいえ、余りにも愚かで計画性のなさから、かえってそれがマスコミや野次馬を巻き込んだ「劇場型犯罪」へと形を変えたこと。人質との奇妙な連帯感が芽生えたこと。犯罪者が社会的弱者たちのヒーローのように扱われたこと……。

この映画を語ろうとする時に、絶対外せないこれらの事実が、社会派の監督の心を捉えた。

主演はアル・パチーノ。『セルピコ』に引き続いて再びルメットとタッグを組んだ。『ゴッドファーザー』のPart1とPart2への出演でキャリアの絶頂期にいたパチーノにとって、これほどやりがいに満ちた役柄はなかっただろう。

撮影のほとんどは銀行内。風景の力に頼れない密室の舞台劇同様、俳優の力量が問われる空間だ。

猛暑日(Dog Day)のブルックリン、14時46分。

閉店間際のチェイス・マンハッタン銀行支店に3人組の強盗が押し入る。ところが、直前になって仲間の一人が怖気付いて逃げ出すわ、おまけに銀行にあるはずの金が、本店に輸送された直後で金庫にはわずか1100ドルしかないという始末。これは下調べも何もない、ただの素人の愚行だ。

しかも、警察やFBIら250人に包囲され、上空にはヘリコプターが旋回する大騒動に。TVの生中継や野次馬も駆けつける。

ソニー(アル・パチーノ)とサル(ジョン・カザール)が有利なのは、9人の人質を取っていることだけだが、不思議として誰も怯えてはいない。暴力は一切ないからだ。むしろソニーが食事にトイレに病気の対応にと気遣い、和やかな空気さえ漂う。

ソニーの最初の要求は“妻”を呼ぶこと。彼はここで同性愛者として発覚するのだが、嘲笑ったりして理解のない体制側の反応に、NYのLGBTたちはソニーを強く支持。

さらに、面白おかしく取り上げたい高給取りのTVマンの取材に対して、こう言い放つ。

「お前はいくらもらってる? ここにいる女性行員や黒人守衛の週給はたったの110ドルだぞ。どうやって家族を養えっていうんだよ?」

『狼たちの午後』より

こうして次第に、ソニーは思ってもいなかった「社会的弱者の代弁者」に祭り上げられていく。そして、“妻”の愛が冷めてしまったことを悟った彼は、国外へ逃亡するため、JFK空港へ移動することになるのだが……。

なお、リアルなジョン・ウォトビッツは強盗計画に失敗し逮捕。20年の服役を命じられ5年で出所。この映画の収益の一部で、出術費用を手にしたそうだ。彼に関するドキュメンタリーも何本か制作され、2006年に60歳で死去。

迫真の演技を魅せたアル・パチーノは、同年の『カッコーの巣の上で』のジャック・ニコルソンとオスカーを争ったが、惜しくも受賞を逃した。

なお、冒頭で流れるのは、2019年に自身の伝記映画『ロケットマン』が公開されたエルトン・ジョンの「Amoreena」。1970年のアルバム『Tumbleweed Connection 』からのナンバー。同性愛者であることに苦悩していたエルトンは、この映画を観て何を感じたのだろうか。

文/中野充浩

参考/『狼たちの午後』パンフレット

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