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リービング・ラスベガス〜アル中作家が遺書となった半自伝小説で描いた“無条件”の愛

『リービング・ラスベガス』(LEAVING LAS VEGAS/1995年)

心の中を占めていた大きな支えが崩れ去った時、人はどうなるのだろう? 
もし人生に一筋の希望も見出せなくなった時、人は何を決断するのだろう?

滅び行く人間の美学と儚いものへの賛美を描いた『華麗なるギャツビー』『夜はやさし』などで知られるアメリカの作家スコット・フィッツジェラルドは、栄光の後に悲劇の人生を歩んだ晩年の自伝的エッセイ「崩壊」で、こんなことを書いている。

生涯は一つの崩壊の過程であるが、外側からやって来るものなら(覚えていて文句を言ったり友達に言えるような打撃なら)、被害の深刻さは一度に現れることはない。
ところが内側からの打撃は、気がついてみると何もかも手遅れだし、自分はもう二度とまともな人間にはなれないと、決定的に悟らせてしまう。

外側からの打撃の崩壊はスムースに運ぶ。だが内側からの打撃は、起こってもまず気づかないかわりに、突然の致命傷を突きつける。

F・スコット・フィッツジェラルド『崩壊』より

彼は当時、精神障害に倒れた妻ゼルダ、多額の借金、アルコール中毒、肺の病気といった度重なる負の財産の中で生きていたにも関わらず、それでも自らと向かい合おうとしていた。

暗闇の時間に覆われた、こんなどうしようもない状況の中においてでさえ、創作というものと真摯に取り組もうとしたのは、彼が書くことに偽りを持たない“本物の作家”だったからだ。この時フィッツジェラルドは、“内側の打撃”を受けていた。

1960年生まれのジョン・オブライエンは、19歳で結婚して法律事務所に勤務。この頃、アルコール中毒になり始めた。そしてLAに移り住み、大学に入って作家を志す。

治療と禁酒の2年間を使って書き上げた小説『リービング・ラスベガス』を1991年に出版。再びアルコールの世界に戻る。映画化の話がまとまった2週間後の1994年4月10日、拳銃自殺。この作品は彼の半自伝的作品であり遺書でもあった。

オブライエンも“内側の打撃”をひっそりと感じながら、きっとフィッツジェラルドの著作を心の友にしていたに違いない。

映画『リービング・ラスベガス』(LEAVING LAS VEGAS/1995年)に漂うムードは、たまらなく魅力的だった。

破滅へ向かうことを分かっていながら、どこか明るい希望の破片が散らばっている。ネオンが輝く夜の男と女の影を描きつつも、男と女の頭上には太陽の暖かさが差し込んでいる。

マイク・フィギス監督はミュージシャンでもあり、作品には音楽的なリズムが刻まれていた。主演したニコラス・ケイジは、アルコール中毒の役柄に“ヨーロッパ的な上品さ”を加味しようと努めて、この作品でアカデミー主演男優賞を獲得した。

日本公開時の映画チラシ

(以下、ストーリー含む)

ハリウッドの脚本家ベン(ニコラス・ケイジ)は、今夜も知り合いに金を借りに行く。「返す必要はない。君から二度と連絡をもらいたくない」と言われた後、彼はいつものようにバーで飲み続ける。気がつけば、空き瓶片手に倒れているような深刻なアルコール中毒者だ。

彼には妻子がいたが、アル中だったから出ていたったのか、妻子を失ったからアル中になったのか、ベン自身も原因は分からなくなっている。

会社からも解雇を告げられて、退職金の小切手をもらうベン。「これからどうするんだ?」と訊かれて「べガスに行こうと思う」

ベンが自宅で、仕事の資料や妻子の写真を燃やし捨て去って車でべガスへ向かう、この想い出の清算シーンで流れているのは、あの「ロンリー・ティアドロップス(Lonely Teardrops)」だ。

“Mr. Excitement”と呼ばれたジャッキー・ウィルソンの歌唱で有名な、極上かつ軽快なR&Bナンバーで、大切な人に出て行かれて戻って来てほしいと願う男の泣きの歌。なお、映画ではマイケル・マクドナルドが歌っている。

ちなみにジャッキーは、サム・クックやジェームス・ブラウンと並ぶブラックミュージックの伝説であり、歌って踊れるその姿に、幼少時のマイケル・ジャクソンは多大な影響を受けていたと言われている。

ベンは向かった先のラスベガスの街で、娼婦のセラ(エリザベス・シュー)と出逢う。彼女もワケがあってべガスに来ていたが、ヒモの男と訣別して自由の身になった。

モーテルで行為に及ぼうとするセラだが、「そんな事に興味はない。俺は君と話したい。それが望みだ」とベン。「どうしてべガスへ?」「ここへ来たのは死ぬまで飲むためだよ」。彼は自分の身体の死期が近いことを分かっていた。

二人は長年一緒だったような気がすると、セラは思う。そしてセラの家で同棲を始める際に彼女がベンにプレゼントしたのは、ウィスキーを入れるスキットルだった。

「君は俺にぴったりのようだ。これを俺に買うなんて感動だよ」

変わる必要はない。ありのままを受け入れる。お互いを必要としているから、愛し合う二人。アル中と娼婦という流れ者同士の間に生まれた儚い神話。

「凄いなぁ。君は何者だ? 俺の酔っ払った幻から訪れた天使なのか」

物語はモーテルの薄暗い部屋で終わりを迎えるが、ベンとセラの“無条件の愛”がどこまでも深く、胸を打つ。

文/中野充浩

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