ラスト・ショー〜スモールタウンの風景で描かれる「語るに足る、ささやかな人生」
『ラスト・ショー』(The Last Picture Show/1971年)
こんな文章で始まる一冊の本がある。2012年に惜しくも亡くなったトラベル作家・駒沢敏器の『語るに足る、ささやかな人生』だ。
作家はアメリカを横断しながら、スモールタウンだけに立ち寄って、この短編集のような魅力を放つささやかな物語を描いた。
スモールタウンを理解するうえで、これほど適切な文章は他に読んだことがない。そして、そこは映画や音楽の舞台として数々の物語を提供してきた。
『ギルバート・グレイプ』『ドク・ハリウッド』『ストレイト・ストーリー』『パラダイスの逃亡者』『マイ・ドッグ・スキップ』『プレイス・イン・ザ・ハート』と並んで、書き手はある1本の映画も付け加えている。
『ラスト・ショー』(The Last Picture Show/1971年)こそ、スモールタウン・ムービーの最高峰だろう。これは単なる青春映画ではない。小さな町を舞台にした静かな人間ドラマであり、『語るに足る、ささやかな人生』そのものだった。
──まだロックンロールなど産まれていなかった1951年11月。テキサス州の田舎町にはティーンエイジャーという概念すらなく、男女関係は結婚初夜といった保守的な価値観に縛られている。高校生は大人への予備段階に過ぎず、街の大人や老人たちに何を言われても歯向かうことはタブーだ。
裕福なら都会の大学へ進学することができるが、そうでない者は石油会社で重労働するか、軍隊に入ることしか、この町を抜け出す術はない。デートといえば、町に1軒ある古びた映画館かビリヤードくらい。腹が減ったら、出向く先はいつものレストラン。
物語は、そんな少年たちの葛藤や生活を軸に、早く処女を捨てたいと願う気まぐれな女の子、生まれつき口が効けない男の子、夫の会社の部下と不倫をする女、同性愛者の夫との生活に空しさを感じる女、父親代わりのように優しく厳しく接してくれる男など、スモールタウンに生きる人々の姿や交流が静寂の風景の中で描かれていく。
最後の「道を掃いてたんだ。馬鹿野郎!」という、老いた傍観者たちに向けられる主人公の若者の言葉が忘れられない。
「この映画の命は演技だった」と、監督のピーター・ボグダノヴィッチは言う。
初めてのハリウッド映画を撮ることになったピーターは、ある日、ドラッグストアの歯磨き粉売り場の後ろにあるペーパーバックの陳列棚で、『ラスト・ショー』という本と目が合った。
何よりタイトルに惹かれ、映画化を強く想った。そして、カラーでは「町が美しすぎる。物語が持つ硬質な感じや重みが弱められる」と考え、モノクロで撮る決意をした。
タイトル通り、始まりと終わりに映画館でのシーンがある。デートで観る映画を『花嫁の父』にしたのは、そこで描かれる中流階級像が、スモールタウンとは最もかけ離れたものだったから。町の映画館の最後の上映作品は、テキサスを舞台にした『赤い河』だった。
ベン・ジョンソンには3回も出演を断られた。だがピーターは、「出てくれれば、必ずオスカーを穫らせる」と啖呵をきった。そしてベンは本当にアカデミー助演男優賞を受賞した。
サウンドトラックも秀逸で味わい深く、ハンク・ウィリアムスやエディ・アーノルド、レフティ・フリーゼル、ボブ・ウィルスといったカントリー・ミュージックが全編に流れる(トニー・ベネットのポピュラー音楽も聴こえる)。
1947年にデビューしたハンク・ウィリアムスは、カントリーのアウトローとして「ラヴシック・ブルース」「ロング・ゴーン・ロンサム・ブルース」「なぜ愛してくれないの」「コールド・コールド・ハート」「泣きたいほどの淋しさだ」「ユア・チーティン・ハート」などヒット曲を次々に放った。
エルヴィスが登場する前夜、彼こそがスーパースターの未来だった。しかし、長年の飲酒や荒れた結婚生活によって才能をすり減らし、1953年に死去。享年29。
文/中野充浩
参考/『ラスト・ショー』DVD特典映像
●Amazon Music Unlimitedへの登録はこちらから
●AmazonPrimeVideoチャンネルへの登録はこちらから
この記事を楽しんでいただけましたか?
もしよろしければ、下記よりご支援(投げ銭)お願いします!
あなたのサポートが新しい執筆につながります。