クレイジー・ハート〜観終わった後に心にゆっくりと染み込んでくる“嘘”がない感動作
『クレイジー・ハート』(Crazy Heart/2009年)
映画には「心に染み込む」という表現がぴったりの作品がある。『クレイジー・ハート』(Crazy Heart/2009年)は、紛れもなくそんな一本だった。
老いと孤独に直面するカントリー歌手を主役に据えた物語だが、描かれているのは我々が日常生活で抱える問題と何ら変わらない。
観ている時は、どこかに“自分”がいるようでたまらない気持ちになったりもするが、観終わるとジワジワと心に染み込んでくる。
虚飾にまみれた文化や物語が蔓延する今の世の中。こんな余韻を与えてくれる良質な映画を紹介しないわけにはいかない。
(以下、ストーリー含む)
57歳のバッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジス)は、かつては大ヒットも飛ばした伝説のカントリー歌手。
しかし、今は車に乗って南西部の小さな会場を、一人でドサ回りする孤独な男。ポケットにはわずかな金しか入っていない。酒浸りでモーテルを渡り歩く彼は、新曲も書かず、ステージにもまともに立てないほど落ちぶれている。
サンタフェのバーに移動したバッドは、地元紙の記者ジーン(マギー・ギレンホール)から取材を受ける。最初は音楽の話をしていた二人だが、心が通じ合って一夜を共にする。
ジーンは4才の息子バディと暮らすシングルマザー。これまで家庭を顧みずにアウトローな人生を歩んできたバッドは、彼女の家で子煩悩な一面を見せる。一方、昔のように過ちを繰り返したくないジーンは、バッドとの関係にどこか躊躇していた。
そんなバッドのもとに、スタジアムコンサートの仕事が舞い込む。人気歌手で愛弟子のトミー・スウィート(コリン・ファレル)の前座だ。
プライドから一度は断るものの、金のために引き受けるバッド。大観衆の前で恩師への感謝の言葉を述べるトミーは、心からバッドを尊敬していた。だから今度は自分がバッドを救いたかった。「新曲を書いてほしい」と。
コンサートの後、ジーンのもとに駆け付けようとするバッドだったが、飲酒のせいで事故を起こして骨折してしまう。医者からは禁酒しないとこの先身がもたないことを宣告されるが、それでもバッドは酒を止めようとしなかった。
ジーンの家で穏やかな家庭生活を送っていると、もう25年近く会っていない元妻との間の息子スティーヴンを想う。ジーンは何かを予感しながらも、バッドを愛さずにはいられなかった。
地元の自宅に戻ったバッドは、親友のウェイン(ロバート・デュヴァル)と再会。ジーンの存在を打ち明けた。
ある日、電話をして元妻の死を知らされたバッドは、息子のスティーヴンから「会いたくない」と冷たく言い放たれる。そんな時、ジーンが休暇を取って、バディと二人でやって来る。3人で出掛けた先で、ジーンが公園で休んでいる間、バッドはバディを預かることになる。
「バディの前では飲まない」と約束していたにも関わらず、バーに出向いて飲酒してしまうバッド。そのわずかな隙に幼いバディを見失って行方不明に。茫然となるバッドは、すぐさま警察に捜査を依頼して自らも必死に探し歩く。
結局バディは無事に発見されるが、ジーンは歩み寄ろうとしたバッドを突き放す。ジーンからも愛想を尽かされて孤独な夜に覆われるバッドは、意味のない酒に溺れるしかなかった。
翌朝、瀕死の状態で目覚めたバッドは、遂に酒を断つ決心をする。ウェインの力を借りてリハビリ施設で努力を重ねることにしたのだ。
新しく生まれ変わった男は、女のもとに愛の復活を願いに出向くが、ジーンの心は変わらない。そして時が過ぎ去り……。
ジーンとの関係を新曲にしたバッドは、再び第一線に返り咲こうとしていた。二人はそれぞれの道を進むのだろうか?
女性視点からは、こんな男を愛するのは危険すぎるだろう。子守一つもろくにできないのだから。女であると同時に、母でもあるジーンの言動や決断は、何も間違っていない。辛いのは男だけではない。
愛する女に突き放されたからこそ、バッドは再生できた。悲しみのどん底を味わった男は、友の支えもあって、長い暗闇からやっと抜け出して陽の光を浴びる。辛いのは女だけではない。
『クレイジー・ハート』が心に染み込むのは、すべてに“嘘がない”という力強い点に尽きる(もう一度言いたい。今のカルチャーには必要のない虚飾が多すぎる)。
監督のスコット・クーパーは言う。「バッドは昔気質の男で、人生の浮き沈みを繰り返している。にも関わらず、彼の人生は許しへと向かっているんだ」
クリス・クリストファーソンやウェイロン・ジェニングスの風貌を意識したというジェフ・ブリッジスは、撮影前はシャープな身体をしていた。だが、ドサ回りをしている歌手がみんな太っていることを知った彼は、体重を増やして役作りに挑んだ。アカデミー主演男優賞に5回目のノミネート。オスカーを受賞。
本作の音楽を担当したのは、1970年代からシンガー・ソングライター/プロデューサーとして活躍してきたTボーン・バーネット。そして友であるスティーヴン・ブルトン。
この映画の仕事に取り組んでいたスティーヴンは、公開前に癌のために亡くなった。バッドのようなドサ回りを長年経験していた彼の存在は、この映画に1ミリたりともブレのないスピリットをもたらしてくれた。
サウンドトラックには、ジェフ・ブリッジスやコリン・ファレルの歌唱の他、、ジョージ・ジョーンズ、キティ・ウェルズ、バック・オウエンス、ウェイロン・ジェニングス、タウンズ・ヴァン・ザント、ライトニン・ホプキンスといった伝説たちの歌が収録されている。また、ライアン・ビンガムとTボーンの共作「The Weary Kind」という名曲も生まれた。
文/中野充浩
参考/『クレイジー・ハート』パンフレット
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