矛盾を咲かせる
先生と話して、「前に進んだ!」といつものようになったわけじゃない。
でも、自分で見えているような気がすることを先生という他者に話して、それが確かなことのように思えた。
自分の中の矛盾を、そのまま持っていること。
それを先生は、
というような言い方をした。
すっごい納得の表現だった。
これまで、“筋を通そう”として苦しんでいたところがあったと思った。
悪くならないように。
整合性を確保するように。
でも、自分って、たくさんいるから。。
その矛盾を一本化できずに、私がおかしいのだと、思っていたかもしれない。
そんなこた、なかったね。
そんなことなくて、良いんだった ね。
かつて、特段好きな歌手などなかった私が、何気なく聴いたコブクロの歌詞に感動したのは「同じ数の出会いと別れ でも割り切れなくて」「余るほどの想い出をいつまでも胸に咲かせながら」と歌っていたからだった。
なんと。
10代の私は、たしか、この算数用語が人間関係にも応用できたことに感動したんだったが、
それは恐らく、まさに、「余るほどの想い出」や思いをいつも身に沁みて、その“かいつまめなさ”というのか、数式や言葉からはみ出してしまう「言えなさ」みたいなものを感じていたからだろうなと、今になってわかる。
ちなみに何気なく聴いていて本当に耳にびしーっと飛び込んできてその映像がくっきり浮かんだ最初の曲は、桜。
「人はみな 心の岸辺に 手放したくない花がある」
の一節だった。
友だちとコタツに入って何気なく居たのに、え、これ だれ!!!!?????? って。
余談ですが、
Instagramとかで、絵描きさんが筆を走らせている動画がよく上がってるけど、あれを見てると、絵の具で塗られていって段々描かれているものがわかっていって、いざ、出来ました! となったらもう、完成した絵その物にしか見えなくなって、これまでの筆致とかも綺麗に消えて、そこに物が現れる。浮かび上がる。
それは、「描き切った」からそうなったんだなと思うけど、なんていうのか、
うーん、、
心にも、ピタッ と貼りついた途端にわかることとか、貼りついた途端に消えてしまう(ように見える)ものとか、あるよなーって。
今ふと、コブクロの桜は、たぶん私の心に貼りついていたのかもしれないなと思った。
手放したくない花がある
それはたくましい花じゃなく
儚く揺れる一輪花
これ、今の私にぴったりしっくり来る。
そんなこと、考えたこともなかったのに。
今日は写真がないので先日撮ったやつにしよう。