綱わたりのような日々



思い返せば

小さい頃から
私の日常に
落ち着きや安らぎはなかった

父親の「爆発」は突然やってくる



ご飯に自分の好みのものが
入っていなかったとか

家族が自分に隠れて何かをしていたとか
(その解釈はほとんど被害妄想によるものだったが)

帰ってくる時間が10分遅かったとか

自分の見知らぬレシートが出てきたとか

咳払いがうるさかったとか

父親の心の奥には
いつも解消されずじまいの何らかの怒りが
くすぶっていて



それが私や母や妹など

「肉体的に弱く かつ 第三者に加害を知られる心配のない相手」の些細な言動や行動と紐付いてしまうと

途端に「正当な理由があるかのように」
暴走を始めるのだった


今でも突然怒り出し
掴みかかろうとする父親に対して

母親が台所に逃げ込んで
包丁を握り締めていたことを思い出す

父にとっては
そういう行動も
「自分を小馬鹿にして挑発している」
ようにしか見えなかったようだった

最後は父親にねじ伏せられ
母親はボコボコにされていた

何度
母は「痛い 痛い」と泣き叫んでいただろうか

暴力は私にも及んだから
その痛みはよく分かった

父親は骨太な大男で恰幅も良かったため
平手打ちだけでも
小柄で細身な私たちには大きな衝撃をともなった

それだけの体格差がありながら
父は決して私たちに容赦しなかった

首を絞めたり
高いところから突き落としたり
水をかけたり
みぞおちを殴ったり

それはそれは悲惨なことの繰り返しだった

母は骨折した指を治療している間に
同じ部分を再度殴られたせいで
指の形が半永久的に変形してしまった

当の本人はスッキリしたら
「もう済んだ」とばかりに
気持ちを切り替えてしまう

暴れていて手つかずだったご飯を食べ出したり
録画していた番組を観始めたり

まるで今までの惨劇など
無かったかのように

一時停止していた録画の再生ボタンを
押すかの如く
何の罪悪感も持たずに
途切れた箇所から平然とその続きを再開するのだった

自分の怒りには正当な理由があり
「怒らせたのはお前たちだ」という一心で
わたしたちを殴りつけていたから
当然謝罪なんてない


こうした
紛争地帯のような日々の中で
何度死のうと思ったか分からない


そういう環境が幼い頃から
10年近く続き
私の心と精神は
だいぶ破壊されてしまった

いつも爆発に怯えていたから
父亡き後でも心が休まらない

私と接すると
大抵の人が「そんなに急がなくて大丈夫だから」とか「落ち着いて」とか言う

きっとそれだけ
切羽詰まったように振る舞っているのだ

「のろい」という理由だけで
張り倒されていた幼少期から
染み付いてしまった癖のようなものだ

悲しい癖だが
人にそんなことを説明することも
理解してもらうことも難しい

基本、人と接するのは「恐怖」だし
男性が距離を縮めてくるのも「怖い」

思春期の頃は
その恐怖を振り払いたくて
手当たり次第に男を求めたりしたが
結局は
自分の心と身体がすり減っただけだった



今、私には障害児の妹がいる

そして愛して止まない猫がいる

この2つを失ったら
私の人生はもうそこまでで良いと
20代半ばの今、思う

もう残りの人生を
明るく元気いっぱいに
希望を持って暮らしていく気力はない

仕事も長時間で精いっぱい

妹の世話も面倒も精いっぱい

猫はとても聞き分けが良いので
彼の世話は少し頑張れば大丈夫だ

猫には何の罪もないし
引き取った責任があるので
彼のことは必ず看取りたい

でも
これをずっと続けていける自信は正直ない


天使の化身のような猫の最後を
看取ることが出来たら
もうこの世に未練はなくなるだろう



私は人生を逆算しながら生きてきた

「抗えない力から虐げられる」って
そういうことなんだと思う

被害者は
「明日も無事生きていられるかどうか」を
否応もなく考えなくてはならなくなり

必然的に自分の死から
現在を遡っていく必要に駆られる


父は最初
母が私を妊娠したと知った時
ひどく喜んだらしい

それなのに何故だろう

何故あれだけ酷いことがたくさん出来たのだろう

私は未だにそのエピソードを信じられずにいる

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