本当にセンター試験には魔物がいるの?
今日は金曜日だが大学が休みだった。
なぜ休みだったか。
そう、明日はついにセンター試験である。
学生たちはかなり緊張しているかもしれない。
センター試験で全てが決まるって人もいれば、
理系の人だと二次試験で挽回できるしそこまで気負いはしていないと言う人もいると思う。
ただやっぱりいくらなんでも
伝統ある”大学入試センター試験”
である。
いろんな意味でなんだがドキドキすると思う。
今日はそんなセンター試験に関する筆者の体験談をお話ししたいと思う。
二年前、僕も皆さんと同じ受験生であった。僕の志望校の行きたかった学科は、
理系だったこともあってセンター試験と二次試験の点数の割合が
3:7であったのだが割と緊張していた。(笑)
点数は全然足りていなかった。
総合の判定自体はAからDまでとるくらい成績に波があったのだが(Cくらいが一番多かったかな?)、センターの点数は目標よりも50点くらいいつも足りてなかった。
学校では12月から全ての授業がセンター演習になったのだが、
僕は12月の中旬ごろまではずっと二次試験対策をしていてセンターへ頭を切り替えたのは割と遅かった。
起きてもセンター、学校行ってもセンター、飯食うときもセンター、
予備校へ行ってもセンター、帰って寝る前もセンター........
毎日毎日嫌になる程センター演習した(笑)
一番伸びたのは理科(物化)と地理だった。
よく現役は、
”最後にセンターが伸びる。特に理科と社会"
と言われるかもしれないが、あれは本当だと思っている。
一方、苦手だったのは国語だった。
一年二年と真面目にやっていなかったのもあって土台が形成されておらず、
古文単語を覚える、漢文の句形を覚えるなど表面上では努力したがなかなか安定しなかった。
そんな毎日を送って約1ヶ月。
センター試験前日は学校で決起会?のようなものがあったのでそれに参加し、
午前で学校は終わったので予備校にすぐさま向かい、
地理をメインに最終確認をした。
前夜は普通に爆睡した記憶がある(笑)
多分、23時ごろには寝たと思う。
当日は、電車とバスで会場に行った。
数日天気が悪く雪も積もっていたため、少し心配していたが無事ついて安心した。
僕の会場は、待合室のような場所がすごい広くて意外とうるさかった(笑)
まあ、そのおかげで緊張は少し解れたかもしれない...(笑)
一科目目、地理
一発目だったためかなーーーり緊張した記憶がある。
手震えてたような。
手応えはなんとも言えない感じだった。
あってるのかあってないのかわからない微妙な感じ。
二科目目、国語
事件は起きた。
僕は、漢文→古文→評論→小説 の順番でいつも解いていたのだが古文で少してこずったため、焦った。
終わってみると、小説はまともに読めてさえいなかった。
(確か半分くらいしか読めなかった。小説は結果ほぼ全て勘で書いた。)
頭の中が真っ白になった。
こんなはずじゃなかった。
確かに苦手だったけど最近は時間も普通に間に合っていたじゃないか。
古文漢文評論も時間かけた割には自信全然ないし...
終わったと思った。しかしこれで諦めるわけにはいかない。
一喜一憂している暇なんてなかった。
三科目目、英語
なんとか得意な英語で取り返そう。その気持ちしかなかった。
英語は得意であったので元から筆記200点満点を目指していた。
(とったことはなかったが近いところまではいっていた)
しかし過去問を説いた人ならわかるかもしれないが、僕の代はそう。
筆記の第5問がいつもは小説だったのにいきなりエイリアンの話
(確かエイリアン目線のエッセイみたいな感じだっただろうか)
になっていたため、非常に状況が読み込めなかった。
他にも少々形式は確か変わっていた。
英語が変わるなんて思ってもいなかったのと、僕は第五問から解く癖があったため焦った。
と言いつつも流石に英語は5分くらいは余裕を持って終わらせることはできた。
しかし自信はあまりなかった覚えがある。
そんな感じで全然無事じゃなく1日目が終了した。
帰りは母の車であったのだが、泣きそうだった。
いや、と言うより何も考えれなかったかもしれない。
母にももちろん出来の話はした。
「明日で挽回するしかない!!
今日のことは忘れて明日がんばれ!!切替切替!」
と母は元気よく励ましてくれたが絶対苦しかったに違いないと今では思う。
家に帰ると数学の教科書をなんとなく一時間くらい見てご飯を食べてからお風呂に行った。
「そうだ、頭冷やさないと。」
僕はなんとなくそう思った。
ここで言う冷やすとは、物理的な意味(笑)
そういってシャワーの水温を一番常たくして頭から思い切りかぶった。
気持ち良くて、なんだか本当に冷静になれた気がした。
そして、寝る前僕はなんとなくブラウザでYouTubeを開いていた。
アプリは消していたためブラウザで開いたのだ。
〜フィギュアスケートの浅田真央選手〜
僕は母の影響で昔からフィギュアスケートを見るのが好きだった。
浅田選手は、2014年のソチ五輪で2010年バンクーバー五輪の銀メダルに続くメダル獲得を期待されていたが、ショートプログラムでまさかのミスを連発。
ショートを終え、結果は16位。
僕も浅田選手を小さい頃からテレビで見てきていたが、見たことのない順位だった。
日本中からメダルを期待される重圧だったのかもしれない。
浅田選手はインタビューで、
「わからない。」
と答えた。
金メダルは絶望的だった。
そんな浅田選手のもとには世界中からメッセージが届いた。
「#GoMao」「#MaoFight」
また、スケートの仲間からも次々に激励のメールが届いたそうだ。
そんな失意のショートから一夜。
浅田選手は覚悟を決めてリンクに戻ってきた。
2011年に他界した天国の母のために、応援してくれたみんなのために。
浅田選手は前日とは別人であるかのように、3回転8本を全て完璧に決め、
自己ベストを出した。
演技が終わった彼女の目からは涙が溢れ出てきていた。
世界中が
『浅田真央は世界最高のスケーターだ。』『彼女が女王だ。』
と彼女を称えた。
テレビで見ていた僕も彼女は間違いなく世界最高のスケーターであると確信した。
メダルを取れないのにこんなに感動する演技を始めて見た。
そんな浅田選手のソチ五輪での伝説の演技をなぜかふと思い出した僕は
YouTubeを見ていた。
見終わって泣いた。
それと同時にここで諦めたらいけない。
2日目の理系科目で点数をとって挽回する気持ちはもちろんあったが、
それよりも
これまで支えてくれた母や父、祖父母のために頑張ろう。
全力を尽くそう。結果はその後だ。
という気持ちが生まれた。
そのおかげもあってか2日目は全く緊張せずに手応えもあり、やり切れた。
丸つけをすると、1日目の科目も思っていたより全く悪くなく
地理に限っては自己ベスト、英語も188点と満点まではいかなかったが全然成功した方だった。
一番ネックだった国語も蓋を開けてみると、いい点数ではなかったが戦える点数ではあった。
合計点は50点ほど自己ベストを更新していた。
信じられなかった。
本番で自己ベストって本当に出せるんだ。
この体験談から皆さんに伝えたいのは、
センター試験は最後の最後までわからない。
丸つけするまで結果なんてどっちにも転びうるということだ。
センター試験は非常にうまく作られている。
それに本番の独特な緊張感が加わるため、普段は同じくらいの成績であったとしても本番だけ大きく点数が分かれる。なんてザラにある。
つまり、自己ベストを大幅に更新することも全然あり得る。
そのためにも決して最後まであきらめないでほしい。
もう無理かもと思っても、この記事のこと、浅田選手のことを思い出して
もう一踏ん張りして欲しい。
本番は楽しむくらいがちょうどいい。
長くなってしまいましたが、受験生の皆さん本当に応援しています。
持っている力、やってきたことを100%、いや120%出し切れますように。
点数よりも、やり切ったその経験があなたの財産になります。
楽しんでこいよ!!
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。では。
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