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話題作『犬鳴村』を民俗学から考察したよ!

こんにちは、たぴおかです。
私といえば、ホラー映画 ♪

ということで今回は、いろんな意味で「話題作」となった『犬鳴村(監督:清水祟)』について語りたいと思います!

「コノ先、日本国憲法通用セズ」。


福岡県に実在する、日本最恐の心霊スポット「旧犬鳴トンネル」。その先にあると言われいてるのが犬鳴村。そこでは日本の常識は通じず、足を踏み入れた者は、二度と戻ってくることはできない……。

あの『呪怨』を世に送り出した清水監督の最新作ということで、とても楽しみにしていた作品です。

しかし、公開後のレビューを見てみると「つまらない!」「面白い!」と見事2つに割れている!!どっちかというと「つまらない」の方が多いような印象も……。ここまでレビューが分かれる理由も気になり、ちょっと遅くなりましたが『犬鳴村』を観に行ってきました♪


以下、ネタバレです⇓

※前半はレビューが真っ二つに分かれている理由について、後半はちょっと民俗学的な観点から『犬鳴村』についてまとめています。

ホラーと謎解き、どっちがやりたいんだ…!??

結論からいうと、『呪怨』みたいな背筋が凍りつくホラーを楽しみたい方には、あまりオススメできない作品です。

導入部分は最高に面白い(怖い!素晴らしい!!)のですが、途中からテイストがガラッと変わっちゃうんですよねー。

極上ホラーだと思って楽しんでいたら、途中からホラー風の謎解きもの(もしくはゾンビ映画)に変わっちゃたよ!みたいな。怖がらせたいのか謎解きさせたいのか、どっちやねん!!と突っ込みを入れたくなります。もともとの期待度が高かっただけに。(別につまらないわけではないです)

おばけたちは「昭和のおばけ演出ってこんなのだよねー。懐かしいなぁ」とノスタルジーに浸れるほど、ほんわかしています。「これは…もしや笑わせに来ている…?」と思えるシーンも。例えば…

・走行中の車に乗り込むゾンビたち(そしてそれを無視して運転を続ける主人公)
・主人公に「君に見せたいものがある」と映画を上映し始める青年幽霊
・所々で登場するワンちゃんたち(怖いというよりも、かわいい♪)
・「逃げろ!」と言われているのになかなか逃げない主人公たち(そこは犠牲になった兄さんのためにも逃げてあげて!!)
etc.

ツッコミどころが多すぎる!(映画の後友人とカフェで1時間くらいツッコミ合戦できました)

あと、昼も出てくるおばけって自己主張激しすぎやしないか??

「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」。

そんな諺があるように(?)正体を現しちゃったら全然怖くないから。
特に日本のホラーは、理解不能な恐怖感が面白いのに。これなら『チェルノブイリ(2019)』の水抜きに原子炉の地下へ潜るシーン(真っ暗で音だけの演出)の方が100倍怖かったよ。

あと全体の9割を占める謎解きパートも「へーそっかぁ。そりゃまぁ恨まれるわな」くらいな感じで「いつ殺人鬼が襲ってくるかわからない!」といったスリルやドキドキ感はゼロ。

先程も書いたようにつまらないわけでは全然ないのですが、途中からの謎解き展開と昭和風のおばけ演出らへんが、レビューが分かれる理由かなぁと思う次第です。

物語の核となるのは「家系」や「血筋」

日本的だなぁ、と思うのは物語の中心に「家系」や「血筋」といったものが置かれているところ。個人的にはあまり興味ありませんが、まぁ家系や血筋からは逃れようがないですから怖いかもね。

写真:『犬鳴村』の人物相関図(映画『犬鳴村』の公式HPより引用)

ちなみに中国、四国、九州地方では「犬神筋」と呼ばれる、いわゆる「憑きもの筋」と呼ばれる家系があったようです。

その家系の人たちは未来を予想したり、人を呪ったりできる力を持っており、時には急に動物(犬や狼)のような行動を取ることもあったと言われています。ここらへんは映画で、主人公のおばあちゃんが天気を言い当てたり、お母さんや村人が犬っぽく豹変する描写と被りますね

民俗学的観点から言えば、もちろんこれは「呪い」ではなく、ただの遺伝的な精神疾患や、新参者の家系を村八分にする口実、急に富を成した一族を貶めるときに使われる都合のいい言い訳といったものとして説明されます。

ちょっと話がズレますが、憑きもの筋といえば、京極夏彦の名作『姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)』ですよね!(※以下、雑なネタバレありです)

ここでは、「呪い」というものは「世の中の人がそれをどのように捉えるかで変わる」的な話が出来てきて、最後主人公っぽい小説家が憑きもの筋の家系の女の子を「人」だと認識することで呪いが解ける、といったシーンがあるのですが、犬鳴村の場合は村人の描写自体が犬の化物そのものなので、血筋の「呪い」は全く解けていないんですよね。(あと最後の犬になった女の子が「私の赤ちゃん!返して!!」というシーンはわりと姑獲鳥の夏っぽい)

ストーリーを一言でまとめると「犬鳴村について調べていたら、自分が呪われた村の家系(かつ村を滅ぼした家系)なのがわかったよ」というシンプルさ。

血筋の裏側にある、いかにして呪われたかというストーリーは濃厚ですが、それはあくまでも一つの見方でしかなく「犬鳴村の血筋=呪われている」という前提は覆らないままなんですよねー。

個人的には、謎解きに尺の大半をつぎ込むなら「どんだけ呪われていた血筋か」より「どうやってその呪いを解くか」にも踏みこんで欲しかったなぁ。(最終的には「犬鳴村=呪われている」という世間の目や、お父さんの罪悪感が強すぎて、解けないままのバッドエンドなんてのも乙ですね)

題材としての犬鳴村伝説は面白そう!

最後に題材としての「犬鳴村伝説」についてもみていきましょう。

そもそも犬鳴村伝説とは?いろいろ心霊スポットがある中で、なぜ「最恐」といわれるまでになったのか…?映画の内容や民俗学的な視点も交えて、勝手に考察をしていきたいと思います!(かなり大雑把です。間違いがあればすいません)

犬鳴村の伝説とは、実在する心霊スポット「旧犬鳴トンネル」の奥に、地図にはない「犬鳴村」があり、一歩でも足を踏み入れれば、村人たちに殺されてしまうというものです。

そんな犬鳴村伝説を構成するスポットは3つ。「旧犬鳴トンネル」「犬鳴谷村」そして地図には存在しない「犬鳴村」です。それぞれ詳細を見てみましょう。

写真:現在は閉鎖されている旧犬鳴トンネル(映画『犬鳴村』のインスタグラムより引用)

まずは「旧犬鳴トンネル」から。犬鳴村伝説のヤバさは、このトンネルに起因するところが大きいとっても過言ではありません。ここは、1975年に閉鎖されてから、殺人事件や交通事故が頻発しています。これが他の心霊スポットとの大きな差別化ポイントとも言えますね。

1988年12月「リンチ焼殺事件」(@旧犬鳴トンネル)
1992年6月「電柱衝突事故」(@犬鳴峠周辺)
2000年1月「死体遺棄事件」(@犬鳴ダム)
2001年2月「正面衝突死亡事件」(@国道バイパス)

最も事件性が高いのは、一番はじめのリンチ焼殺事件。それから心霊スポットとして一躍有名になり、肝試しなどで向かった少年たちが事故を起こしたり、死体が遺棄されていたりするようです。なんか「自殺スポット」として有名になり、人を引き寄せる富士の樹海みたいですね。

昔から怪談は、何かよくわからないことや不幸な出来事が起きた時の説明として機能することが多いもの。ウィキペディアによると「峠周辺は交通の難所で積雪や路面凍結も多かった」「夜中でもトラックやダンプカーの往来が多い」とのことなので、若者の慣れない場所での運転の結果とも言えますね。最初にショッキングな事件が起き、そこから1970〜90年に掛けてのオカルトブームにのって噂が徐々に盛り上がっていったとも考えられます。

そして「トンネル」という場所自体もポイントの一つ。

民俗学では「境界」を重要視します。

例えば鳥居。こちらの世界とあちらの世界をつなげ「ここからは神聖な場所ですよー」という境界を示すもので、それ自体が意味を持っていたりします。後は川、海、山などといった場所や、江戸や京都といった大都市とそのまわりも「この世とあの世の境界」と考えられていました。

昔、京都に住んでいた時、最寄りのバス停が「一条戻り橋」だったのですが、そこらへんは「死者があの世から戻った」とか「鬼と会った」とか「安倍晴明が式神を隠していた」とかいろいろ伝説がありました。(一条通りは平安京の「境」で「堀川」にか架かっている「橋」、と境界の要素満載。まあ実際は、ただの小さな橋なんですけどね)

他にも、井戸とか、分かれ道とか、「逢魔が刻」と呼ばれる夕方の時間帯とかも境界として扱われることもあるようです。境界多いわ!

そして、もちろんトンネルも境界の一つ。ということで、トンネルは「出る」んです。出るのが当たり前なんです!知らんけど。

写真:犬鳴ダムの架かる橋(映画『犬鳴村』のインスタグラムより引用)

お次は「犬鳴谷村」。こちらは昔実在した村で、現在はダムの底にあります。映画ではこの犬鳴谷村を犬鳴村としているようです。歴史があり、昔はたたら場(製鉄所、もののけ姫に出てくるアレ)などもあったとのこと。「犬鳴村は電波が届かない」とか言われる背景には、このような地質的な影響もあるのかもしれませんね。

地図から消えた村の怪談は多く、中でも有名なのは青森県にある杉沢村などがあります。こちらは死んだ村人たちが襲ってくるそうです。どっちにしろ嫌ですね。

写真:「コノ先…」の看板(映画『犬鳴村』のインスタグラムより引用)

最後の「犬鳴村」は実在しない場所。見つけて足を踏み入れれば、身体能力抜群の村人たちが、法律などお構いなしに襲ってくる、まるで北斗の拳の舞台ような恐ろしいスポットです。犬鳴村伝説はこれらが組み合わさって出来上がっているとも言えます。

では、旧犬鳴トンネルとこの「犬鳴村」をつなげるものは何でしょうか?

まずは、名前ですね。同じ「犬鳴」なのでいかにもトンネルの奥にありそうな雰囲気がします。あとは、実際にあってダムに沈んだ「犬鳴谷村」と「犬鳴村」の混合も考えられます。さらに先程の「境界」理論(?)から、トンネルと言う場所も意味を持ってきます。トンネル(あの世とこの世をつなげるもの)の先にあるのが「水の底にある村(=あの世)」的な解釈が出来なくもないですからね。(※適当)

ここで、犬鳴村の村人たちの特徴についても考えてみたいと思います。よく言われているものとしては…

・法律などお構いなしで「村に立ち入るものは許さない!」
・身体能力がハンパない
・街の人々とは交流なし
・独自の言葉を話す

映画では、犬を食べ(※)、霊感が強いといった要素も加えられています。そして「コノ先、日本国憲法通用セズ」という看板。
(※歴史的上、日本では何度も犬食を禁止しているので、昔は食べていた人も多かったようです。九州には「いぬころめし」とかもあったようですし)

これで思い当たるのは、民俗学などで時折取り上げられる「山の民」(『キングダム』に出てくるやつじゃないよ!)の存在です。いわゆる大和民族とは違うルーツと伝統を持った人々で、諸説ありますが、平地の民とは異なる言語と文化、定住せずに移動しながら暮らしていたなどと言われています。場所によっては差別の対象でもあったと。

ここからは完全な想像ですが、過去にこういった人々が住んでいて、本当に立ち入るものを脅したりした出来事があるのではないでしょうか(勝手に立ち入った側も悪い)。それが似た名前であることから「旧犬鳴トンネル」やダムに沈んだ「犬鳴谷村」と結びついたといった考え方もできそうですね。

この3つを掛け合わせて、「とにかくヤバイ場所なんだぜ!」と犬鳴村の伝説は出来上がったんでしょう、たぶん。考察終わり!

ちなみに私はホラー映画は好きですが、心霊スポットとかは行きたくない派です。雰囲気が怖い!ムリ!!気持ち悪い虫とかいそうだし…。そもそもそこまで行くのが面倒くさい。

やっぱりホラーは映画館でポップコーンを食べたり、家でゴロゴロしながら観るに尽きますね♪

      ※写真は映画『犬鳴村』のインスタグラムより引用

最後、グダってしまいましたが、映画『犬鳴村』の前半パートは見応え抜群!残りの謎解きパートはツッコミどころ満載なので、気になる方はぜひ映画館へ〜!!

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