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神秘の洞窟温泉 〜百年の歴史が息づく忘帰洞〜
ホテル浦島を、いや南紀勝浦温泉を代表する、いやいや日本を代表すると言っても過言ではない温泉
ホテル浦島「忘帰洞」
太平洋を一望する洞窟の中で温泉に浸かる——。
そんな贅沢な体験ができる忘帰洞は、硫黄の香り漂う岩の隙間を進んだ先に姿を現します。昭和の雰囲気が漂う脱衣所をぬけると、そこには非日常的な空間が広がっています。
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この温泉に浸かっていると、いつの間にか日常のことを忘れてしまいます。仕事の心配も、人間関係の悩みも、将来への不安も、すべてが溶けていくような感覚に。それは、温泉の名前の通り「帰ることを忘れる」ほどの心地よさ。
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朝は朝陽に輝く海を、夕方は夕暮れの深い趣のある雰囲気を楽しめます。男女入れ替え制で、どちらの時間帯も体験してみたくなります。
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夏には日の出が見られるので早起きするのが楽しみになりそうです。家族との思い出作りや、心と体の疲れを癒やす特別な場所として、忘帰洞は唯一無二の存在といえるでしょう。
五感で感じる自然の力
忘帰洞の最大の特徴は、なんといってもその位置です。洞窟内の温泉から目の前に太平洋が広がるという贅沢な景色は、他ではなかなか味わえません。
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シャワーを浴びている時から、波のとどろきが洞窟に響き渡り、まるで自然の音楽を聴いているような感覚になります。温泉特有の硫黄の香りと相まって五感が研ぎ澄まされていく心地よさが忘れられません。
大浴場に入ると、そこには想像以上の光景が広がっています。冷たい岩肌、耳に心地よく響く波の音、立ち込める湯気の中の硫黄の香り、そして目の前に広がる青い海。人工的な装飾は最小限に抑えられ、自然そのものの美しさを存分に味わうことができます。
特に驚くのは海との距離感です。波しぶきが浴槽まで届くほど近く「オーシャンビュー」では言葉が足りません。その迫力に、恐怖すら感じることがあります。
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ホテル浦島が素晴らしいのは、自然の力を最大限に活かした空間づくり。古き良きの雰囲気を残す設備や、必要最小限の装飾は、洞窟温泉本来の魅力を引き立て、より深い温泉体験を可能にしています。
温泉に浸かりながらゆっくりとその岩肌に目を向けると、灰色から褐色、そして深い黒へと、まるで大地の歴史を物語るように色の異なる岩肌が幾重にも重なって連なっているのが見えます。それはまさに自然が生み出した芸術作品。
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自然の恵みをそのまま体感できる場所であることが、ホテル浦島の魅力の一つとなっています。
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近すぎる海、どうする? 「台風」
全国を見渡しても洞窟の中の温泉はあまりありません。それに加えて波が温泉に入るほどの近さに大海原が広がるといえば、この温泉がどれほど貴重な場所であるかがよくわかります。
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しかし、その海が近すぎることにより困ることがあるそうです。台風が接近すると、洞窟が大きな口を開けているかのように外界とつながっているため、荒波や暴風雨が内部に押し寄せます。
温泉へは立ち入り禁止となり、スタッフは安全確保のため、浴場内の鏡をすべて取り外すなど、細心の注意を払います。
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大きな鏡を何枚もとなるとすぐに終わる作業ではないことが想像できます。このような影に隠れた人たちの努力により素晴らしい温泉を満喫することができるのです。嵐の去った後には、思いがけない"入浴客"として魚たちが浮かんでいることも。
自然の力を直に感じられる場所だからこそ、普段の穏やかな日々のありがたみを実感することができます。
源泉かけ流しの裏にある苦労
ホテル浦島は10か所の源泉を抱えています。それぞれに「岩窟湯」「翁湯」「赤島1号泉」など名前がつけられ、紙垂(しで)と呼ばれる紙がかけられ大切に扱われています。
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忘帰洞の脱衣所にもあるのですが、そっと近づいていくとボコボコと湧き上がる音が耳に残ります。
この10か所の源泉の内、実に6か所もの源泉が忘帰洞へと注ぎ込まれています。どうしてもパイプを通るうちに温度が下がってしまうので、加温はあるものの一切の加水は行わない、正真正銘の源泉かけ流しです。
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しかし、それゆえどうしても浴槽内に不純物がたまりやすくなってしまいます。そこで、毎晩深夜0時から朝5時までにすべての湯を抜いて高圧洗浄機や塩素系洗剤をつかって浴槽の清掃を行っています。
それからまた源泉を注ぎ込むわけですが、広大な浴場の準備は営業開始ぎりぎりまで続きます。
温度は温泉ヘッダーと呼ばれるバルブを操作して、温度の異なる温泉をほどよく調整していきます。しかし、天候によって浴槽内の温度が変わってしまうため熟練の技が必要となります。
「しっかりきれいにし、温度を調整して朝5時にベストの状態をつくる。いい加減な人には任せられない」
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そう語る温泉スタッフの方の顔には誇りがにじんでいました。また、子どもたちも楽しめるよう、あえてぬるめに保たれた浴槽を用意するなど、細やかな心遣いも忘れません。
息づく百年の歴史
熊野銀行の取締役であった村田順助氏が原始的な井戸掘り道具で2年の歳月かけて温泉を掘り当てたという記録が残っています。そうしてこの温泉が浦島と名付けられたのが1920年。
その翌年、時のお殿様・徳川頼倫候が山を越えてこの地を訪れました。当時は交通の便も悪く、簡単な旅ではなかったはずです。
しかし頼倫候は、この温泉の素晴らしさに「帰るのを忘れるほど心地よい」と感嘆したといいます。この言葉が「忘帰洞」の名の由来となり、100年以上の時を超えて今に伝わっています。
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その後、この温泉は佐藤春夫や谷崎潤一郎などの文化人をはじめ多くの人たちを魅了していきました。平成4年には現天皇陛下が皇太子殿下時代にご宿泊されるなど、歴史は刻まれ続けています。
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碧く輝く湯に身を委ねながら、手作業で暗い洞窟を掘り進めた先人の想いに思いを馳せる——
忘帰洞は、今この瞬間も先人たちの情熱と自然との調和が、この空間に確かに息づく神秘の温泉なのです。