見出し画像

【作家】太宰治について①

皆様は太宰治について、どの程度ご存じだろうか。
私は太宰治の作品が好きで、何作品か読んでいる。
太宰治自身のことは100%は知らないが、後述する通り、60%位は知っている。

まず書きたいを先に書くのだが、太宰治作品は、作品の内容よりも先に『太宰治』が先行してイメージされるような気がする。

例えば、『斜陽』という小説がある。これは作者の体験はあまり関係なく、ひとつの物語として完結しているものなのだが、やはり読む前・そして読んでいる最中も「あ、太宰治っぽい雰囲気を感じるな」と思う場面が少なからずあった。ちなみに私は『斜陽』は、これまで読んだ小説のなかで5本の指に入るくらい印象的な小説である。おすすめはしないけど、彼の作品であまりショックを受けずに読みたい方は、『人間失格』よりも『斜陽』から入った方がいいと思う。

太宰治といえば浮かぶ単語は、「青森県」「津軽」「北の大地」「寂しい小説」「怒涛の人生」「映画化」このあたりだと思う。太宰の小説は厭世観がバックボーンにあると聞いたこともあるが、個人的には「そうかな?」と思う箇所も少なくない。よく議論される『人間失格』も、あれは厭世観がベースにあるのではなくて、極限まで主観を削った人生譚だと思う。
私はてっきり読んで落ち込むものだと思っていたのだが、読んでいる最中に「え、これってネタ…?」と思わせる描写が何か所もあり、何度も目を疑った。ネタバレになるから詳しく書けないのだが、「自分の家族写真で◎◎がはみ出ていたことに後から気づき、落ち込んでしまった」みたいな描写があって、正直狙って書いているんじゃないかと思ってしまった。
ここ、笑っていいところ…?と思った。
いや、当人は真剣に悩み苦しんでいたのかもしれない。
ただその描写を静謐で懐古的な文章で書かれると、くすっときてしまうのは私だけなんだろうか?

そんな経験を得たのが、私が大学1年生の頃。
「太宰ってなんなんだ、どこで生まれたんだ、どんな土地・景色を見てきたんだ」と気になった私は、ひとりで新青森まで新幹線で向かった。
そして電車で何時間も揺られて、なんと本州最北端「津軽」まで行った。
そう、『津軽海峡冬景色』でも有名な『竜飛岬』である。

私が津軽に到着したとき、天気は曇りで、大雪になる前日だった。
どうやら観光シーズンではない季節に行ってしまったらしく(2月)、竜飛岬まで向かうシャトルバスも運休している有様だった。
私以外誰一人として人がいなかった。車も通っていない。

ただそれでも、太宰治が生まれた場所、小さい頃に見たであろう風景、三厩のどこか寂しい光景をこの目で見て回ったことは、一生忘れない。
「ここでどんなことを太宰は考えたんだろう?」と思いながらずーっと竜飛岬を眺めてたら、「大丈夫ですか…?」と近くに1軒だけあるホテルのオーナーさんに声を掛けられた。「大丈夫ですよ」と回答したのだが、その時はなぜそんな声掛けをされたのかよくわかっていなかった。

後から調べてみると、津軽の竜飛岬は、そこで人生を終えようとする人も多くいる場所らしかった。知らなかった。私はそんなところで一人、ぼうっと何時間も考えごとをしながら立っていたものだから、怪しく思われるのも当然だった。

そんな経験を大学生の時にした。当時の光景や気温、雲の流れ、太宰治の生誕地の風景は、いまでも忘れない。彼の小説を読むたびに思い出す。そんなんだから太宰治のイメージが先行してしまうのかもしれないけれど、貴重な経験だったことはたしかだ。

ああ、こんなことを書いていたら読書がしたくなってきた。
私は資格の取得が趣味なのだが、資格勉強に時間を費やすと、どうしても読書する時間が取れなくて困ってしまう。
ああ、本が読みたい。でも資格勉強もしたい。
きっと傍目だとさぞかし理知的な悩みに思えるかもしれないが、個人的には「ゲームもやりたいし映画もみたい」と同等のレベルだと思っている。
趣味の問題である。

またどこかの本屋さんに行って、太宰の本を買ってみようと思う。

いいなと思ったら応援しよう!