水瀬いのり『三月と群青』歌詞解釈、『HELLO HORIZON』ツアーのセトリにおける位置付けについて
はじめまして。チャモと申します。
アニメや声優のオタクをやっています。
いのりちゃん現場は「LIVE TOUR Catch the Rainbow!」武道館1日目が初参加で、そこからハマり『HELLO HORIZON』ツアー(HHツアー)はうっかり全通してしまいました。
クソ新参ですが、お手柔らかによろしくおねがいします。
今回の内容は、水瀬いのりさんの『三月と群青』についてです。
HHツアー仙台公演後の打ち上げにて、私が披露した歌詞解釈が意外と好評で、「早く文章化しろ!」と煽られたため筆を執った次第です。
以下、本記事のメイントピックです。
"3分後の僕たち"のギミックを解明
『三月と群青』というタイトルの意味を解明
HHツアーの、あの位置で『三月と群青』が歌われた意味を考察
本記事は、『三月と群青』の歌詞を読み込むことによって (音楽的な話はありません)、一つの解釈を提供します。読んで頂ければ、何かしら新たな気付きを与える内容であると思います。それによって『三月と群青』という曲の解像度が上がり、もっと好きになって貰えれば本望です。また、HHツアーのあの位置で歌われた意味と考えるとエモいので共有します。
10000字超の長文になってしまいましたが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。
※本記事の内容は、他の解釈を否定するものではありません。
※長文を読むのが面倒な方は、まとめを先に見て気になった部分だけ読んでいただけると良いかもしれません。
1. 『三月と群青』について序論
"かーなわなーいままーでいいー"といのりちゃんがエモーショナルに歌い上げているのが印象的ですよね。音楽的にも歌詞的も、青春感にあふれているのが私はめちゃくちゃ好きです!特にいのりちゃんの声色、息の使い方は本当に流石で。青春の切なさや瑞々しい感情がこれでもかと伝わってきて、これぞ声優アーティストって感じで本当に素晴らしい。ファンの間でもかなり人気の曲という印象があります。
直近のHHツアーでも歌われており、いのりちゃんの歌唱が素晴らしかったのはもちろん、アウトロでのツインギターのカッコよさにヤラれてしまった町民も多いのではないでしょうか?
そんな『三月と群青』ですが、本曲が収録されている2nd ALBUM『BLUE COMPASS』の発売日に、作詞・作曲・編曲を手掛けた藤永龍太郎氏がTwitterでこのような発言をしています。
"一つ一つに意味を込めて出来上がった"との言葉通り、一聴するだけではなかなか解釈が難しい箇所がありますよね 。
そこで、もっと理解を深めようとネットで考察記事を漁ってみたのですが、私の調べた限り、深く踏み込んで歌詞解釈した記事は存在していないようでした(もしあったらすみません!ご存知であれば教えて頂きたいです!)。
誰も解釈してないのであれば、自分でやるしかない!と腹をくくって考察してみた次第です。大学受験で培った読解力、意外と役に立つものですね(笑)
では、次章から考察に入ります。
2. 人物関係
まず、人物関係を押さえましょう。
登場人物は、"僕"と"君"の2人。
2番A’メロで"僕らの群像"とあるので、よく一緒に遊んでる男女混合仲良しグループの中の2人と私は認識しています。
年齢は18歳 (高校3年生) ぐらいだと私は思っています(理由は6.1参照。卒業を控えている年齢なら何でも良いとは思います)。
"僕"は"君"のことが好き。でも"君"の気持ちは?
という関係が歌詞から読み取れますね。
3. 全体の流れを掴んでみる
次に、全体の流れを把握しましょう。
歌詞カードを見ながら読むことをオススメします。
3-1. "僕"の転換点
歌詞を眺めると、
ある一点を境に"僕"の態度が180°変わっていますね。
ここです。"だけど"という逆接に着目しましょう。
"だけど"以前の僕は、自分の気持ちを伝えず、なかったことにしようとします。自分自身に嘘をついていると言ってもよいかもしれません。
"だけど"以後の僕は、自分の気持ちと向き合い、正直に気持ちを伝えようとします。
それぞれの"僕"について、例を挙げて理解を深めてみましょう。
3-2. "だけど"以前の"僕"
"だけど"以前の"僕"の態度を理解するために、それが分かる部分を列挙し、
そこから読み取れる情景や感情を補足していきます。
(”君”との関係は)ずっと今のままでいたい、変化したくない。
"君"が好きという気持ちを伝えずに、当たり障りのないことを、言い続ける。"君"との関係が変わってしまうことが怖い。
"君"との関係が壊れてしまうぐらいなら、この恋は叶わなくていい。
自分の気持ちを我慢することが「大人になる」ということなのだろう。
いつか美しい思い出として振り返れる時が来るはずだ。
流れ星に"君"と恋人同士になりたいと願った。
でも、実際には関係が壊れるのが怖くて、何も言えなかった。
このまま何もなく別れが来てしまうのは、正直辛いけど、やっぱり"君"関係を壊したくないので、自分の気持ちを抑圧して愛想笑い。
一番サビとほぼ同じだが、微妙に表現が違っており、より一層、自分の気持ちを無理やり抑圧している感じが強まっている。
最後の強がり。言ってるうちに「これは嘘だ」とだんだん実感して来ていそう。
列挙は以上です。
なんだかんだで、ほぼ全文引用してしまいましたが、"僕"の態度は一貫していましたね。
まとめると、"だけど"以前の"僕"の態度は
「"君"のことが好きだけど、"君"との今の関係が壊れるのが怖くて、自分の本当の気持ちを伝えずに抑圧し続けている」といったところでしょうか。
3-3. "だけど"以後の"僕"
"だけど"以後の"僕"についても同様に、該当箇所を列挙、補足していきます。
”君”を好きな気持ちに嘘をついていたことを完全に自覚。
これが最後のチャンスなので、気持ちを伝えなくては、と覚悟が決まる。
我慢仕切れなくなった感情が噴出。
フラれたとしても、今の関係が壊れてしまったとしても、何も言えずにただ思い出になってしまう方がもっと辛い、もっと後悔する、と悟った。どんどん告白する方向へ気持ちが変化していく。
何もしないで後悔したくない。完全に覚悟が決まり、ついに告白。
以上まとめると、"だけど"以後の"僕"の態度は
「”君”を好きな気持ちを完全に自覚し、告白する覚悟が決まりつつある(決まっている)」といったところでしょうか。
これで、ようやく全体の流れを掴むことが出来ました。
これを前提とした上で、更に曲へ理解を深めていきましょう。
4. "3分後の僕たち"のギミックを解明する
次に"3分後の僕たち"を理解しましょう。
1番Bメロ最後に登場するこのフレーズは、この曲に仕込まれた最大のギミックであり、曲解釈において最も重要な部分と言えるでしょう。
細かく分割しながら、しっかり解釈していきます。
4-1. "3分後"とは?
まず、"3分後"についてです。
私が初めて"3分後の僕たち"というフレーズを聞いた時、「何のこと?」と思いました。考えれば考えるほど分かりません……。
しかし、賢明なるフォロワーさんの下記ツイートを見て、ようやく答えに辿り着きました。
よく気付くな!まじで!
と、言い終えたところからちょうど3分後、
という歌詞が来るのです。なんてエモいんだ!!!
気付いた人も凄いが、作詞・作曲・編曲の藤永龍太郎氏マジでやばい!!天才すぎる!!
4-2. "僕"ではなく"僕たち"
"3分後"の謎が解けたところで、"僕たち"を解釈しましょう。
"3分後"に愛の告白をしていることから、
"僕たち"とは"僕"と"君"のことでしょう。
告白の返事がどうなったかについては言及はありませんが、敢えて"僕たち"と書いている以上、受け入れられて両思いになったものと私は解釈しています。
よって、"3分後の僕たち"とは「両思いになった"僕"と"君"」となります。
4-3. "手を振る"とは?
さて、ここまではtwitter上でも同じ解釈をしている人が散見されましたが、
"手を振る"まで納得できる形で解釈している例は、私の知る限り、ありませんでした。
唯一、私が見つけることが出来た、"手を振る"を解釈しようとした例を以下に示します。本記事1章に添付した藤永氏のツイートへのリプになります。
けぃい氏は”手をふる”の意味を「別れを告げている」と捉え、
"3分後の僕たちに ただ手を振るのでしょう"を「1歩踏み出した未来の僕たちに別れを告げている」と解釈しています。
それに対して、藤永氏は「自分なりに答えはありますが、明言はしない」というスタンスを取っており、答えに近いかどうかは分からず終いでした。
私は"手を振る"を「別れを告げている」と捉えることには同意しますが、けぃい氏の解釈には足りないところがあると考えています。
なぜなら、この解釈だと、なぜ「1歩踏み出した未来の僕たち」に過去の自分が「別れを告げている」のかよく分からないからです。
(というか自説にあまり自信がないから、藤永氏に質問したのでしょう。)
ここで再び、歌詞を精査してみましょう。
けぃい氏の解釈では、"僕は"を主語として捉えたために意味が通りませんでしたが、
私は"誤魔化すように ありふれた言葉 とめどなく紡ぐ僕は"を主語として捉えることで意味が通る様になることに気づきました。
すなわち、
"誤魔化すように ありふれた言葉 とめどなく紡ぐ僕は"「未来の僕たち」に「別れを告げる」ことになるけれども、
"誤魔化すように ありふれた言葉 とめどなく紡"がない僕は「未来の僕たち」にたどり着けるということです。
ここでは、助詞の「は」の捉え方が非常に重要です。
「~だけは」「~限定で」と読み替えると分かりやすいかと思います。
"誤魔化すように ありふれた言葉 とめどなく紡ぐ僕"の世界線と
"誤魔化すように ありふれた言葉 とめどなく紡"がない僕の世界線の
2つのパラレルワールドがあるとすると、前者"は"「未来の僕たち」に「別れを告げる」ことになるという解釈です。(ここが一番伝わりづらいと思うので分からなかったらコメント下さい)
ところで、
"誤魔化すように ありふれた言葉 とめどなく紡ぐ僕"
とはどういうことでしょうか。
これはズバリ、本記事3.2で述べた「"だけど"以前の"僕"」のことです。
すなわち、"君"のことが好きだけど、"君"との今の関係が壊れるのが怖くて、自分の本当の気持ちを"誤魔化"し、当たり障りのない事を言う僕。
そうやって、「自分の気持ちを我慢することが大人になるということなんだ」と延々と自分に嘘を付き続ける僕のことです。
では、
"誤魔化すように ありふれた言葉 とめどなく紡"がない僕
とはどういうことでしょうか。
これは、本記事3.3で述べた「"だけど"以後の"僕"」のことです。
すなわち、「別れの時が来る前に気持ちを伝えないと、"君"を好きな気持ちはもう届かない。フラれたとしても、今の関係が壊れてしまったとしても、何も言えずにただ思い出になってしまう方がもっと辛い、もっと後悔する。"だから君に一つ伝えなくちゃ"」と、自分の気持ちと向き合うことを決めた僕のことです。
実際、"僕"は自分の正直な気持ちと向き合うことを決め、ハッピーエンドを迎えることが出来たため、この解釈で矛盾はないはずです。
以上、まとめると次のような解釈になります。
"誤魔化すように ありふれた言葉 とめどなく紡ぐ僕は"=延々と自分に嘘を付き続ける僕は
"3分後の僕たちに手をふる" =「両思いになった"僕"と"君"に別れを告げる」
⇒延々と自分に嘘を付き続ける僕は、両思いになった"僕"と"君"に別れを告げる
⇒自分の気持ちと向き合う決心がついた僕は、"君"と両思いになる未来にたどり着ける
改めて、告白の瞬間までしか歌詞に書いていないのに、その先まで想像させるギミック凄すぎますよね!藤永氏、マジ天才かよ!
5. ギミックを理解した上で全体を解釈してみる
などという、見出しをつけましたが、ギミックが分かれば解釈が難しい箇所はあまりないと思うので各自解釈して下さい。
これまでの話を踏まえた上で歌詞を見直すと、きっと新しい発見があり、楽しいはずです。
もし要望があれば、詳細な解釈の記事を書くかもしれませんね(笑)
6. タイトルに込められた意味
曲を解釈し終えたところで、タイトルの話をば。
当たり前のことですが、曲のタイトルって大事ですよね。
なぜかと言うと、曲のタイトルとはサウンドや歌詞を通して表現したいこと全ての要約であるからです。
特に「三月と群青」は、作詞・作曲・編曲全てを藤永龍太郎氏が務めているため、藤永氏が表現したいことが濃厚に凝縮されていると言っても過言ではありません。そのタイトルの意味を理解出来れば、藤永龍太郎氏が表現したかった最も大切な部分を理解出来たということになるでしょう。
それでは、解釈を始めましょう。
6-1. "三月"とは?
歌詞の中に"三月"をいう言葉はありませんが、
2番Bメロに明らかに"三月"を指す箇所がありますね。
三月といえば、別れの季節ですよね。
主人公たちは卒業を控えている学生と思われます。
別れを控えていれば中学3年生でも大学4年生でもなんでもいいと思いますが、私の感覚だと、男が恋愛に目覚めてて、このようにピュアなのは高校3年生かな、と思います(朝方まで歩いてるのは、飲み会終わりの大学生な気もしますが)。
6-2. "群青"とは?
こちらは、1番A'メロの歌詞に出てきますね。
ここで言う"群青"とは、夜明け前の空の色を指しています。
"空に溶けてく群青"とは、夜明け前の群青色の空が、段々と明るくなっていく様子を表しているのでしょう。
6-3. つまりどういうことなんだってばよ?
「だから何?」と思った方、もう少し我慢して下さい(笑)
さて、「〇〇と✕✕」と言う場合、
〇〇と✕✕は同列のものであるはずです。
そこで"三月"と"群青"の共通点を考えてみましょう。
前述のように"群青"とは夜明け前の空の色であり、言い換えれば、夜と朝の境界の少し手前です。
これが"三月"と並列されていると考えると何かに気付きませんか?
そうです!
"三月"とは、新しい年度が始まる前の月であり、別れの一歩手前なのです。
夜明け前後の風景が全く異なるように、卒業前後で学校(職場)も周りの人も全く異なるはずです。
片や「暦」、片や「色」という一見、関係のなさそうな2者が、あまりに綺麗に重なっているので、初めてこれに気がついた時は本当に鳥肌モノでした!
さて、"三月"と"群青"を抽象化すると、共に「境界の少し手前」という共通点があることが分かったところで、藤永氏が表現したかったテーマについて考察しましょう。
藤永氏が表現したかったテーマはズバリ「変化」だと私は思います。
それは、卒業という人生の節目を控えた"僕"の心情の「変化」であり、彼女との関係性の「変化」であり、"永遠"や"明けない夜"など存在せず時間も環境も常に「変化」していく、ということです。
そして、何者もずっと変化せずにはいられない中で、"君"への想いや"僕"と"君"の関係性は少しずつ形を変えながらも続いていく、というのは非常に尊いですよね。もしも"僕"の変化がなければ、消えてなくなっていた訳ですから。
そんな「変化」にまつわる諸々を、藤永氏は表現したかったのではないかと思うのです。
「変化」をいうテーマを頭に浮かべつつ、もう一度歌詞を読んで見て下さい!色々発見があって、きっと楽しいかと思いますので。
以上で歌詞解釈は終わりなのですが、実はここまではただの前段で、私が本記事で本当に言いたかったことは次章の内容です。
7. 『HELLO HORIZON』ツアーにおける『三月と群青』の位置づけ
さて、『三月と群青』の歌詞解釈を踏まえて、直近のHHツアーのセトリのあの位置で歌われた意味について考えていきます。
まずはセトリ全体の流れについて考えてみましょう。
7-1. HHツアー、セトリの流れについて
HHツアーのセトリは以下の通りです。
セトリ解釈は歌詞解釈よりも解釈の幅が広いので、それこそオタクの数だけ解釈が存在し、正誤とか貴賤とかはないと思いますが、私が好きなのは.kura氏(@smpgnm7)の説です。
全体を"「日常やRoutineを感じさせる曲」→「それが壊れていくような曲」→「自分を信じながら新しいステージへ進んでいく曲」"と捉えている点は私もおおよそ合意しており、また、『三月と群青』の位置づけを説明する上で都合が良いのでこの構成をもとに考えてみます。
7-2. 『三月と群青』の位置づけ、意味
いきなり (私の思う) 答えから述べますが、HHツアーセトリにおける『三月と群青』の位置づけ、意味とはズバリ「変化」あるいは「境界」だと思います。(これまでやってきた歌詞解釈は、これを納得してもらうための手段でした)
.kura氏の提唱する構造で言うと、『三月と群青』は"「それが壊れていくような曲」"と"「自分を信じながら新しいステージへ進んでいく曲」"の境界の曲であり、その前後で歌われる曲のコンセプトが変わっていると考えます。
というか、『HELLO HORIZON』から『三月と群青』までのブロックが、「変化」を表すブロックだと考えています。
つまり、
「それが壊れていくような曲」→[「変化」を表すブロック『HELLO HORIZON』~『三月と群青』]→「自分を信じながら新しいステージへ進んでいく曲」
ということです。
「突然何を言い出したんだ」と思うかもしれませんが、これから説明します。
まずは『HELLO HORIZON』も「変化」を表す曲であるという理由から。
落ちサビの部分に、
という歌詞がありますね。HHツアーでは毎公演、朝日が昇る演出 (横浜公演は映像、他の公演はライティングの仕方が面白かったですね) があったところです。
ここを解釈すると、「"信じること"を"信じた"」ことにより、これまで価値がないものと思っていた自分自身を認めることが出来、「"ありのまま"を許せるようになった」、という「変化」が見て取れます。
この「新しい自分観」が生まれたことを、「地平線から朝日が昇った」すなわち『HELLO HORIZON』と言ってる訳です。
「変化」の曲だという意味、納得してもらえましたか?
それと、もう一つ注目してほしいのがこのブロックで来ている衣装ですね。
下のTweetの3枚目の写真、ピンクと水色のグラデーションのドレスです。(いのりちゃんやっぱ可愛いな)
もちろん『HELLO HORIZON』のためのグラデーションなんですが、三月と群青のためにもなっていますし、「変化」を表すブロックだからこそ、この衣装を着ていると解釈することもできるのではないでしょうか。
このブロックの残り2曲は、上記2曲ほど明確に「変化」の曲ではないので、「お前の妄想w」と言われてしまうと弱いですね。
『TRUST IN ETERNITY』は
が「変化」と言えなくもない・・・(ここは正直苦しい
この曲も夜明けの歌詞が入ってるんですよね。トラエタの解釈難解すぎて、私にはよく分かっていませんが、新たな夜明けって変化っぽい気がしないでもない・・・(ここはすまぬ
『Starry Wish』では
が変化を表す箇所ですね。
歌詞関係ないですけど、初めてのアニメタイアップで声優アーティスト水瀬いのりが広く知られるようになった「変化」の曲と言えないこともないのでは?(無理やり
そして、このブロック終わった後の、4着目の衣装はピンクのドレスですね。3着目のグラデーション衣装から夜が明けた結果としてのピンクと考えるとめちゃくちゃエモくないですか?「Starlight Museum」から始まる以降のパートは、.Kura氏が「自分を信じながら新しいステージへ進んでいく曲」と言っているように、幸せな未来と表すような曲が多いように思います。やはり、衣装と共に伝えたいメッセージが変わってると思いませんか?
以上が、『三月と群青』のHHツアーセトリ中における意味、立ち位置の話でした。
7-3. セトリに関するその他の気付き箇条書き
以上で大体言いたいことを書き終えたのですが、収まりきらなかった気付きや考えたことをここに書いておきます。興味がある人だけ読んで下さると幸いです。
全体的に「日常の小さな喜びを大切に」「気持ちを言葉にして伝える大切さ」「新しいはじまり」「つながり」がテーマになっているような曲が多い印象。コロナ禍という文脈で大事なことを伝えたい?
冒頭の3曲のうち2つがCtRツアー冒頭と同じ。オープニングムービーの最後も武道館で歓声を上げるファンということで、コロナ禍以前の日常を意識させたのではと思った。
セトリの全体像、ざっくり冒頭3曲がコロナ以前、そこからコロナ禍の今、ハロホラ〜三月と群青で変化、それ以降が未来の話という流れなんじゃないだろうか
8. まとめ
本記事の内容を箇条書きでまとめます。
登場人物
"僕"と"君"の2人。
全体の流れ
"だけど"前後で僕の態度が異なる
"だけど"以前の僕・・・自分自身に嘘をついている
"だけど"以後の僕・・・正直に気持ちを伝えようとする
"3分後の僕たち"のギミック
"誤魔化すように ありふれた言葉 とめどなく紡ぐ僕は"
=延々と自分に嘘を 付き続ける僕は
"3分後の僕たちに手をふる"
=「両思いになった"僕"と"君"に別れを告げる」
⇒延々と自分に嘘を付き続ける僕は、
両思いになった"僕"と"君"に別れを告げる
⇒自分の気持ちと向き合う決心がついた僕は、
"君"と両思いになる未来にたどり着ける
タイトルに込められた意味
"三月"とは、新しい年度が始まる前の月であり、別れの一歩手前
"群青"とは夜明け前の空の色であり、夜と朝の境界の少し手前
"三月"と"群青"は、共に「境界の少し手前」を表す
⇒曲のテーマは「変化」と考察
HHツアーにおける位置づけ
『HELLO HORIZON』~『三月と群青』が「変化」を表す
グラデーションの衣装からピンクの衣装の変わるが、楽曲とのシンクロ率が素晴らしい。
セトリ全体では、コロナ禍以前→コロナ禍の今→変化→未来という流れか。
9. あとがき
ひとまず、ここまで読んで頂いてありがとうございました。頭の中にある内容を文章化するだけなので、すぐ終わるかと思いきや、一つの流れとして構成するのは結構大変ですね。さらっと書くつもりが10000字を超えてしまったし……。分かりやすさ、読みやすさを意識したつもりではいますが、読みづらかったらすみません。
まぁ、初めての記事だし、あと書いた時ちょっと歯が痛かったという事でご容赦頂けますと幸いです。
色々偉そうに話しましたが、この記事の目的は「みんなが好きな『三月と群青』についてもっと理解を深めてより好きになろう」です。自分はツアー中に『三月と群青』やセトリと向き合ったことで、より楽しくなったし、このセトリが大好きになったんですよね!少しでも共感いただけていたら嬉しいです。
また、本記事の内容は1人のオタクの個人的意見であり、1つの叩き台でしかありません。肯定、否定問わず、これを材料に議論して頂けるとしたら、それは大変喜ばしいことです。
あと、折角書いたので何かしらコメントを頂けると嬉しいです。「読んだよ」だけでも嬉しいですし、「気付きがあった」とか「俺の意見はこうだ!」とか何でもいいので!
さて、末筆となりましたが、今後も水瀬いのりさんの益々の活躍を祈念しつつ、文章を締めさせていただきます。ありがとうございました。(三月中に無事投稿できて安堵している)
2022.03.31 (新年度の一歩手前)
チャモ
10. 謝辞
・terra様(@llterra98)、.kura様(@smpgnm7)、さぴまる様 (@sapinorimal)、しぃ様 (@shii_m225)
2022/03/21都内某所にて行われた、いのりゼミの時に煽られなかったら、本記事は書かれなかったので、背中押しありがとうございました。ゼミも、大変勉強になりました。
また、terra様と.kura様におかれましては仙台公演後の打ち上げでの激論会、大変有意義でした。そこで披露した内容と議論した内容が本記事の骨子となっています。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。