水瀬いのり『パレオトピア』歌詞解釈~天才・栁舘周平が描く水瀬いのり物語~
お久しぶりです。チャモです。
前の記事から1年以上も空いてしまいましたね……。思ってたより反響があって嬉しかったので、「よーし!定期的に記事書いちゃうぞ!!」と意気込んだのも束の間、オタク忙しくて全然書けなかったな!ワロタ!🙄
未読の方、読んでみてね!(長いけど面白いよ!多分w)
さて、今回の内容は、去年の7月に発売された水瀬いのりさんのアルバム『glow』に収録されている『パレオトピア』についてです。
歌詞解釈の後、作詞・作曲・編曲の栁舘周平といのりちゃんの話にまで展開していきます。
前回同様、クソ長いですが、お付き合いいただけると幸いです。
1. 序論
『パレオトピア』を初めて聴いた時、なんかすごい!と思った印象があります。
3:14の曲とは思えない目まぐるしい展開、音楽的に非常に複雑でよく分からないのにキャッチーで中毒性がある!なんかすごい!(語彙力)みたいな感じ(笑)
歌詞的にも、エモくて刺さる部分もあるんだけど、理解し難い箇所も多いと言った印象の曲だと私は思います。
glowツアーにおいても、歌唱はもちろん、神聖さすら感じる衣装や曲の導入から終わりまでの特殊な演出を含めてとても印象的で、一層『パレオトピア』好きが増えたのでは?と思っています。
最近ではアニソン派!楽曲アワード2022グランプリを受賞するなど、私が良さを説明するまでもなく、名曲としての地位を確立しつつありますね!
また、ラジオや雑誌で、いのりちゃんはパレオトピアについて以下のように言及しています(ラジオでの発言については私の書き起こしなので細かな表記の違いはご容赦ください)。
これらの発言から分かるように、『パレオトピア』は栁舘氏が、アルバム全体のイメージを汲み取った上で制作した、いわばアルバム『glow』へのアンサーソングであり、最後のピースなのです。
そんなところを踏まえながら、『パレオトピア』歌詞解釈
はじまります!
2. 登場人物とざっくりストーリー
登場人物は主人公の ”僕” 1人です。
”ぼく” も登場しますが、これは "僕" の心の中の自分自身なのでカウントしませんでした。(”ひとり”と”独り”の説明も後ほど)
この歌はざっくり言うと
「自分自身の在り方に迷っている "僕" が、
葛藤しつつ自分自身を見つめ直し、
自分らしく生きられるようになった」
という内容だと思います。
「抽象的すぎんだろ!」と思われるかもしれませんが、
以下で具体的に見ていきますので、まずは落ち着いて読んでみてください。
3. タイトル、舞台設定について
まず、"パレオトピア" というタイトルですが、これは主人公の心象風景、精神世界を指していると思います 。
上記文献を始めとして、様々なインタビューで ”パレオトピア" = ”古い郷” と言及していますね。
私は「遠い昔に滅んだ都市」みたいなものをイメージしています。
そこから感じる「廃墟に自分だけがポツンと立っている」ような寂しいイメージは、自分独りで葛藤する主人公の精神世界をまさに表していると思います。
寂しさ以外にも、「孤独感」「荒れた心情」「悲しみ」「絶望感」「迷い」などが、"パレオトピア" という舞台設定により、効果的に、一層強調されて伝わってきて、とてもエモい!栁舘周平さんの天才性の片鱗を感じますね!
このような廃墟のような精神世界で、物語が進行していきます。
4. 歌詞全体の構造を捉えて解釈してみる
この曲の歌詞解釈をしながら歌詞全体を見ると、あることに気付きませんか?
ラストサビの歌詞がストーリー全体の要約になっていますね。
極端な事を言うと、それ以前の歌詞はなくても全体のストーリーが取れるのですw
ただし、初見でいきなりここだけ読んでも、何を言ってるのか分からないと思うので、それ以前も含めて丁寧に追っていきましょう。
ストーリー全体の流れは以下のような感じです(大体上の歌詞と同じですよね)。
① 理想の自分とのギャップに苦しむ (”鈍色” の世界)
⇓
② ”嵐” が来る (自分の精神世界で葛藤する)
⇓
③ 自分自身を見つめ直し、”弱さを許した” (”虹色”の世界)
自分の精神世界で葛藤した後、
自分自身を見つめ直し、 "弱さを許した" ことで、
世界が"鈍色" から "虹色" に変わった。
という感じですね。
①~③について歌詞と照らし合わせながら具体的に見てみましょう。
① 理想の自分とのギャップに苦しむ
”僕” は理想の自分とのギャップに苦しんでいます。
強い自分で在りたいけれども、やっぱり自分はどうしようもないぐらい弱くて……。
弱さと強さに関しては1サビ、2サビで言及されていますね。
弱さの上に、"鎧"という”強さ”を纏ったものの
それはハリボテでしかなくて容易に剥がれ落ちてしまった。
剥がれ落ちたその鎧の中身は伽藍堂 (からっぽ)。
強く在りたいけれども、なれない。
そんな自分を肯定できるはずもないので、
"僕" の周りの世界は ”鈍色” なのでしょう。
少し抽象化して考えてみると、
ここで言う"強さ" とは「こうありたい」とか「この人にようになりたい」という理想だと思います。ネガティブな捉え方をすると、「こうあらねばならない」とか「この人のようにならなければならない」という呪いとも言えるでしょう。しかし、そうそう人は変われないので (目標とその人の特性にもよりますが)、多くの場合理想と現実のギャップに打ちのめされることになります。
ともあれ、"僕" の世界が "鈍色" なのは、理想と現実のギャップに打ちのめされ苦悩していて、そんな自分が受け入れられないからであると思います。
② ”嵐” が来る
歌詞中で、"嵐"だとか"試練" だとか言っていますが、これは共に
様々な外界からの刺激を受ける中で自分自身と向き合い、葛藤することを指していると思います。
”試練” とは "抱え込んだ弱さと向き合う" こと。
自分自身と向き合うのだからもちろん "「独り」で立たなきゃいけない"。
強がっててもやっぱり怖いから、心の中で泣いている。
たすけて……。
ここまでにはまだ "嵐" の前で、
次からが本格的に "嵐" 到来ですね。
雨宿りすることもできず、視界を塗りつぶすような激しい雨に打たれながらも、為す術なく立ち尽くすことしかできない。
雷鳴は "僕" を嘲笑うかの様に轟き、刃のように鋭く強風が吹き荒ぶ。
そんな中でも強くあろうと自分を奮い立たせようとするけれども、
もう限界が近くて躓いてしまった。
"嵐" が来て、激しい雨、風、雷に見舞われていますが、これは現実世界を生きる中で経験する、外界からの刺激 (主にネガティブなもの) が次々と押し寄せている状況ではないでしょうか。
外界からの刺激というのは例えば
・学校や会社等のコミュニティで人間関係がうまくいかない
・勉強 (部活)、仕事のパフォーマンスが低い、上手くできない
・本当はやりたくないことをやらざるを得ない
などが挙げられます。
現実世界でこのような刺激を受けると、上手くできない自分に悩んだり、本当にやりたいことはこれなのかと悩んだりして、精神世界で傷を負い、疲弊してしまうことでしょう。
”瓦礫の山 途絶えた線路” について触れませんでしたが、
荒れてめちゃくちゃになった心情と絶望感を表していると思います。
「本来伸びているはずの線路が途切れている」というのは
「この先、希望や未来がない」と暗示しているように思います。
ただ、以上のような状況でも、強くあろうと”傷を隠し”たり、”歩けるでしょう”と自分を鼓舞しているのは押さえておきましょう。
"剥がれ落ちた強さを手放す"とは「こうあらねばならない」という呪いめいた理想像を捨てて、ありのままの自分と向き合うことだと思います。
自分もかなり限界が近くて、これ以上は何かを変えないと無理。耐えきれない。そんな日が来たと分かってはいるのだけど、これまでずっと「こうあらねばならない」と生きてきたので、”未練”が呪いのように邪魔をして手放すことができない。(もうほとんど剥がれ落ちてるのにね)
"伽藍堂になった胸"というのは、空っぽで満たされていない、胸に穴が空いたような欠乏感がある状態だと思います。
その理由は、言うまでもなく "鈍色" の世界にいて満たされていないから。
また、ハリボテの "鎧" で強がっているので中身が空っぽということでもあると思います。
そんな状態の自分を、外側のものに頼って満たしてもらおうとします。
自分自身と向き合わなければ問題は解決しないのに、自分の外側のものに頼ろうとする態度はこれまでにも散見されていました。
"雨宿り" とは一時しのぎ的な対処であり、根本的には問題解決しないでしょうね。"試練は「独り」で立たなきゃいけない" と分かってはいるのだけど、自分自身となかなか向き合えない "僕" なのでした。
実際問題、自分自身の欠点、ダメさを見つめるのってしんどいよね……。
③ 自分自身を見つめ直し、”弱さを許した”
まず、場所が変わっていることに注目。
"枯れ木が堰き止めた 水浸しの迷路"ということで、ひとしきり嵐に打たれた後、ある程度雨風、雨水の流入が防げる場所に避難できたのでしょうか。後で虹が見えるので屋根はないという設定で良いかと思います。
"迷路"は文字通り迷いの象徴。なぜ"水浸し"なのかはめちゃくちゃ重要なんだけどもこれは後述します。
さて、ここで"「ひとり」”と"「独り」"、"僕"と"ぼく"という言葉が出てきます。
まず"僕"と"ぼく"について。
ここまでの歌詞で嵐に打たれて来たのが"僕"で、
”ぼく”というのは心の中の自分自身だと思います。
自分自身なので、"誰よりもそばで 僕のことを 見ていた"のは当然なんだけれども、この場面で ”僕” が改めて気づいた形でしょうか。
次に、"「ひとり」”と"「独り」"について。
「ひとり」は単純に数としての「1人」、「独り」は「孤独」という熟語から分かるように「1人ぼっち」というネガティブなニュアンスを含んでいると思います。
よって、"「ひとり」は「独り」じゃなくなる"とは、
1人ぼっちだと感じていた"僕"が、"ぼく"を見つけたことで、1人ぼっちと感じなくなった (同一人物なので数としては1人なんだけども)
ということだと思います。
直訳すると「生きていたい」「生を実感したい」ということですが、わざわざこれを言うのは、今はその裏返しで「死んでいるのと同じ」「生の実感がない」ということだと思います。
何故かというと、①で述べたように、理想と現実のギャップに打ちのめされ苦悩して、灰色の世界にいるから。
("ぼく"に気づいたけれども、まだ"僕"に変化は起こっていない。)
ここで”鏡”という超絶重要なキーワードが出てきます。
「なんで突然鏡が出てくるんだよ!?」と思った方、
今どこにいたかを思い出してください。
という訳ですね!
水浸しなので足元には、水たまり。すなわち水鏡なのです。
さて、先程"僕"と"ぼく"の説明はしましたが、何故この場面で"僕"が"ぼく"に気づけたのでしょうか?
それは、水鏡を通して自分自身を改めて客観的に見ることができたからではないでしょうか。
物語における「鏡を見つめる」という行為については、私のフォロワーさんのツイートが大変参考になります。(いつも勉強させて頂いております!歌詞解釈とかアニメ解釈に興味がある人はフォローを強くおすすめします)
「鏡を見つめる」=「自分の気持ちを見つめる」を念頭に置き、
の解釈に戻りましょう。
水鏡に映ったのは"悲しそうな眼をした""僕"。
"矛盾"とは①で述べたような、強く在りたいけど弱い自分、理想と現実のギャップに打ちのめされ苦悩する自分のことだと思います。
"("ぼく"が"僕"を)丸腰で抱き締め 弱さを許したよ"は「ありのままの弱い僕を受け入れる事ができた」ということ。
そして、それは、自分の気持ちを見つめ直した結果。
これまでただがむしゃらに強くあろうと
葛藤しつつも生きてきたけれど、
視野が狭くなってしまっていて
自分の欠点などネガティブな側面ばかりに目が行ってしまい
客観的に見ることができていなかったし、
そんな自分が許せず、嫌いだった。
でも、ふとしたはずみから、改めて自分自身を見つめ直したことで
いままで見過ごしていたありのままの姿の自分について
「今まで諦めずに頑張ってきた自分、価値があるのでは?」
「この弱さも含めて自分なのでは?」
などとポジティブに捉えられ、良い所も悪い所も受け入れることができた。
ということではないでしょうか。
"「疲れた」と「ごめんね」"、"「独り」は「ひとり」"という表現は明らかに対になっていますし、内容の点からも、
"僕"="「独り」"で「疲れた」の話者、
"ぼく"="「ひとり」"で「ごめんね」の話者ということになるでしょう。
自分自身を見つめ直したことで、"弱さ"を受け入れることができた。
"僕"は、ずっと悩みながらがむしゃらに生きてきたので意識出来ていなかったけれど、改めて客観的に自分を見ると傷だらけで、どっと"「疲れた」"という気分になった。"ぼく"は、「そんな状態になるまで無理をさせてしまって"「ごめんね」"。もっと早く現れられればよかったのだけれど。」と申し訳ない気分になった。
言葉を交わしたことで、それぞれの疲れや申し訳なさは癒えて、"僕"と"ぼく"は同じ夕焼けを見ながら、嵐 (色々苦しんだ過去) のことを思い出す。
嵐でいろいろな余計なもの (こうあらねばならないといった考えなど) が次々剥がれ落ちて失われた。
その果てに残った、自分自身の本質的な部分、らしさ、良さというものが"いま ここにある"。
”背中合わせ"と言うとコレ↓ですが、水鏡は床にあるので立った状態では"背中合わせ"になることが出来ません。よって、床に寝そべる必要があります。
この点に関しては素晴らしいイラストを書いている人がいらっしゃるので、それを引用させていだきます。
このイラストが素晴らしいのは私が言うまでもないので、素晴らしさについてはひとまず脇に置いて、"背中合わせ"について考えてみましょう。
"僕"が水鏡に映った姿を"ぼく"と考えると、このイラストでは"僕"と"ぼく"は同じ空 (水面に写っているかいないかは問わず) を見ているけれども、いわゆる"背中合わせ"にはなっていません。
ただ、"僕"と"ぼく"の見ている方向が逆ではあるので、それを"背中合わせ"と表現した可能性もなくはないかなと思います。
もう一つのパターンは次のようになります。
”背中合わせ”を文字通り捉えると、水たまりの上、あるいはすぐとなりに仰向けに寝そべって空を見る形になるでしょう。水たまりの写り込んだ"ぼく"も同様に空を見る形となるので矛盾は生じません。
でも絵的にはごま.。・さんのイラストの方がいい気がするけど・・・。背中濡れて冷たそうだしw
色々書きましたが、ここについては個人個人の解釈でいい気がします。
それより大事なのは"僕"と"ぼく"が"同じ空"、"虹を見ている"という点です。
これはすなわち、自分の弱さを受け入れることが出来たのに加えて、これまで自分が歩んできた道のり、行ってきた努力についても、決して無駄じゃなかったと認めて、受け入れることが出来、世界が色づいて感じられたということだと思います。
"虹"は明らかに"鈍色"の空との対比になっています。
空が"鈍色"だったのは、①で述べたように、理想と現実のギャップを自分が受け入れられなかった結果と考えると、"虹"は自分を受け入れることが出来て世界が色づいて感じられたということになります。
そして、"僕"と"ぼく"が同じものを見ているということは、"僕"と"ぼく"の考えが同じになった、もっと言うと、自分の気持ちに正直に、ありのままに自分らしく生きれるようになったということだと思います。
さて、突然ですが2番Aメロの歌詞に戻りましょう。
2番Aメロ時点の"僕"の周りにも、実は"虹色"があったようです。
でも気持ち的に"鈍色"の世界にいる"僕"には気づけなかったのでしょう。
世界は変わっていなくても、自分自身の気の持ち方によって、美しくも見えるし下らなくも見えるということではないでしょうか。
最終的に僕は自分自身を受け入れて、自分らしく生きてよいのだと悟り、これからは希望を持って生きて行くのだと思います。
以上、『パレオトピア』歌詞解釈でした。
ある程度スッキリする形で内容が明確化できたのではないでしょうか。
あくまで私の一意見であり、異論反論大歓迎です!
建設的にディスカッションしてみんなで本質に到達しましょう!
次章では、ここまでの歌詞解釈を踏まえた、いのり論を展開します。
そっ閉じせずに、続きも読んでいただけると嬉しいです。
5. [最終試験] 水瀬いのり、『パレオトピア』、栁舘周平の関係性について論じよ(文字数不問)
[私の解答] 『パレオトピア』は水瀬いのり自身の変化、経験を栁舘氏が深く理解した上で楽曲に落とし込んだ、言わば"水瀬いのり成長物語"である。
やっぱりそうだよね!と100%同意される方は極めて少ないと思うので、この後なるべく納得していただけるように説明していきます。
本論に入る前に、今更ではありますが、栁舘周平氏について少し理解を深めましょう。いい感じの紹介ツイートがあったので引用させていだきます。
(↑『Winter Wonder Wander』は2017年に発売してるけど……編曲は栁舘さんじゃないからかな?栁舘周平-3年に発売でウケるw)
いのりちゃんには『パレオトピア』の他に、『Winter Wonder Wander』(2017.11)、『Well Wishing Word』(2020.02)、『クリスタライズ』(2020.12)を楽曲提供しています。更に、『Winter Wonder Wander』についてはMVも制作しており(2021.12.05 いのりまち町民集会2021-おかわり-にて初公開)、アーティスティックでマルチなクリエーターであることが分かります。
以上のように、付き合いも長く楽曲提供数も、藤永龍太郎氏に次いで多いですし、いのりちゃん自身も、"趣味嗜好、好きになるポイントがシンクロする作家の一人" と発言 (メロフラ第303旗参照) しており、そんなところから1.序論で述べたような形で、指名での楽曲制作に至ったと考えられます。
さて、栁舘周平氏の説明が終わったところで、冒頭の主張に納得してもらえるよう、いのりちゃんが『パレオトピア』を聴いたときの感想とアルバム『glow』を通していのりちゃんが伝えたかったこと、制作を通じて感じたことを次に列挙します。
まず、いのりちゃんが『パレオトピア』を聴いたときの感想を見てみましょう。次のように述べています。
いのりちゃん自身も "問いかけられてる" と感じたこと、"刺さった" ことが分かります。
続いて、アルバム『glow』を通していのりちゃんが伝えたかったこと、制作を通じて感じたことを列挙します。出典が全部こむちゃになってしまいましたが、まじで内容が濃いのでぜひ聴いてみてください。
どうでしょう。『パレオトピア』歌詞解釈を終えた今これらを見ると、あまりにも『パレオトピア』ではないでしょうか?
以上の内容と、私が本稿 1. 序論にて述べた下記を踏まえて、冒頭の主張を説明していきましょう。
『パレオトピア』を聴いて、いのりちゃん自身も "問いかけられてる" と感じたのは、楽曲制作に当たって栁舘氏にアルバム『glow』の全体像を示したからだと思われます。
すなわち、『glow』の全体像にはいのりちゃんの3年間の変化を通じて感じたことがメッセージとして込められており、それ自体をテーマとして『パレオトピア』に落とし込んだものと考えられます。
楽曲のテーマがそもそもいのりちゃん自身の体験を元にしているとすれば、いのりちゃんに刺さるのは至極当然かと思います。
伝えられた『glow』の全体像の他にも、栁舘氏はこれまでの付き合いの中で、実際にいのりちゃん自身の変化を目で見て知っているはずです。だからこそより解像度が高まり、いのりちゃん本人により一層刺さる楽曲になったのではないでしょうか。
私個人としては、もっと踏み込んで、『パレオトピア』は栁舘周平氏が水瀬いのり宛に書いた、"水瀬いのり成長物語"であり今後へのエールだと思っています。
だからこそ、本人に刺さるし、こむちゃでのいのりちゃんの発言内容があまりにも『パレオトピア』だと感じられるのだと思います。
こんなところで、冒頭の[私の解答]にそれなりに納得していただけたでしょうか?
以上を頭の片隅に置きながら、7.参考文献のこむちゃを聴いてみてください。きっと面白いはずです。
6. まとめ
・パレオトピアは「自分自身の在り方に迷っている "僕" が、葛藤しつつ自分自身を見つめ直し、自分らしく生きられるようになった」という内容の歌
・パレオトピアの意味は”古い郷”。「廃墟に自分だけがポツンと立っている」ような寂しいイメージ、"僕"の精神世界
・ストーリーの流れ。自分の精神世界で葛藤した後、自分自身を見つめ直し、 "弱さを許した" ことで、世界が"鈍色" から "虹色" に変わった
・自分自身を見つめ直すきっかけ→水鏡
「ありのままの弱い僕を受け入れる事ができた」
・"失い 失い この嵐の果て残るもの"
⇒嵐でいろいろな余計なもの (こうあらねばならないといった考えなど) が次々剥がれ落ち、自分自身の本質的な部分、らしさ、良さというものが残った
・"僕"と"ぼく"が"同じ空"、"虹を見ている"
⇒自分の弱さを受け入れることが出来たのに加えて、これまで自分が歩んできた道のり、行ってきた努力についても、決して無駄じゃなかったと認めて、受け入れることが出来、世界が色づいて感じられた
・『パレオトピア』は水瀬いのり自身の変化、経験を栁舘氏が深く理解した上で楽曲に落とし込んだ、言わば"水瀬いのり成長物語"である。
7. 参考文献
・声優グランプリ 2022年8月号
・声優アニメディア 2022年8月号
・Ani=PASS Plus #7
・My girl Vol.35
・水瀬いのり MELODY FLAG 第303旗
・こむちゃっとカウントダウン ゲスト: 水瀬いのり 2022/07/23
8. パレオトピアに関する興味深い発言まとめ
本来はもっと高かったのかよ!w
これ意識して聴いてみてください!
物語の全貌や、深いところについてはいのりちゃんにも説明されていないらしい。私はどこまで理解できたかな。
全部出典がAni=PASSになってしまったけれども、音楽系の出版社が出す雑誌だけあって、他の雑誌より踏み込んで楽曲の話をしているので、いのり楽曲派のオタクに (楽曲派ワナビにも) とてもオススメです。
9. あとがき
本当はオタクの感想、感じたことを書く章がもう1章あったのですが、歌詞解釈が見たい人には蛇足だし、『glow』ツアーライブBD発売前に本稿を公開したかったので泣く泣く省略しました。気力があればいずれ書くかもしれないし書かないかもしれません。(書かないやつだこれw)
文章を書く行為自体も、最初はたくさん書きたいことがあるけど、主題と関係のないことはどんどん削ぎ落とされて最終的に納得の行くそれなりのものが出来上がるので、"失い 失い その嵐の果て残るもの" だなぁ、なんてことを執筆中に思いました👼パレオトピア、まじで汎用性高え!
さてさて、アルバム『glow』発売、『glow』ツアーを経てどんどん自由に、自分らしく変わっていくいのりちゃんが今後どこに向かっていくのか、どこまで行くのかとても楽しみですね!今年のツアーも全部行きたいなあ!今後もいのりちゃんのことを好きでいたいし、ゼミもしたいし (いつの間にかゼミ界隈とか呼ばれてて草)、文章も書きたいねえ!
ともあれ、ここまで読んでいただいた方ありがとうございました!何らかの反応があると励みになるので、よろしければいいね、コメント等よろしくお願いします!
10. 謝辞
・terra様(@llterra98)、いわお様(@iwao_poke)
2022/08/06の水樹奈々さいたま公演1日目の打ち上げで何故か「パレオトピア」歌詞解釈討論会が開催されましたね。そこで披露した内容と議論した内容が本記事の骨子となっています。ありがとうございました。
(議論が白熱した結果、いわおさんは終電を逃してしまった……。)
・かず様(@inorivamp)
いのりゼミ出張版@仙台を数日後に控え、「八月のスーベニア」の記事投稿おめでとうございます。自分もその時に本稿を完成させる予定だったんですが間に合わないってレベルじゃなく遅くなってすみませんでした。
・読者の皆様
『三月と群青』の記事を読んで感想をくれた方、いいね、RT、スキ等評価してくれた方、お陰様でやる気をもらい、また文章を書くことが出来ました。
ありがとうございました。今回も褒めて伸ばしてくださいw