是々非々と内観こそすべて。

皆等しく終わらぬ地獄と戦ってる。

無自覚な欲望として、
「他人を見下したい」・・・というより
「激情を味わいたい」と思っている。

ラーメン発見伝は素晴らしいんだろうし、イキリは痛い目を見ても仕方がないが、その姿を見て溜飲を下げている己の姿が滑稽である事に、気付かず終わる人は多い。


善や正義は、扱い方を間違えば容易に悪を為す。
間違えるか否かは
「己の正確な位置情報、立ち位置を把握しアップデートしているか」に掛かっている。

釈尊が示した善行のすすめは「そうやっとけば自分がラクですよ」位のもので、悪や傲慢でない人間など居ない。人は無自覚に道端の小さな虫を踏み潰す。その罪深さは常に自覚しときたい。

さりとて自己主張を全くしない事も、自分に対する相手や世界を勘違いさせて道を誤らせる。普通に自己主張もしたらいい。


是々非々と内観こそがすべてなのだ。遠慮などせず、「フツー」に
喜怒哀楽をほどほどに開放して、感受性豊かに生きればいいのだと思う。
平凡な表現に落ち着くが、「程々に謙虚さを忘れない」というのがベターなのだろう。


南無阿弥陀仏・・・

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