内省のループの中で
ここ最近、悶々とした思いと向き合っていた。
内省をしているのだけど、
まぁ答えがでないわけで。
答えが出ないはおかしいか。
出てる。
自分がその答えを『認める』かどうか。
認めてしまえば、この粘ついた思考から解放されるのに。
粘つきは、重たく動きを止め、負のループに陥りやすい。
『認める』は今の自分の意識?常識?OS?を変える行為で、それは
自分で今の自分を殺すということ。
一旦、意識的に死んで生まれ変わろうとすることなのかな。
そう捉えると
躊躇いが生じるよなぁ。
自分が今まで培ってきたモノ(プライド、尊厳)を崩すし、また積み上げていくのだから。
変わろうとするのは
それだけ私に衝撃を与えるということか。
ただ、変わろうの意識を行動というか昇華させるのは、今の私を殺すという意味では他者との関わりによって成し得るのだと思う。
自身の内省の中で、出口が見えない様なループのなか、親しくさせて頂いている仲間のおかげで私が抱えている思いが吹っ切れる感じを得た気がした。
相談、話をしたわけではない。
ただ会話していて、
自分が抱えていたものが、実はそんなに重たいことではなく、1人で勝手に重いモノと思っていただけなんだって認識したわけ。
私が抱えている問題が解決したわけではないのだけど、私を変える、意識を殺すは成り得ている気がする。
腑に落ちる感覚なのかな。
仲間の存在は、物理的には身近では無いのだけど、心の距離は凄く近しい。
共に解ろうとしてくれるから、安心できるのだろうなぁ。
そう思うと、
関わらさせて頂いている人たちへの感謝の念は強くなる。自分を卑下する時もあるけれど、勇気を持って一歩を踏み出す力を貰えている。
そこに気付ければ、世界はなんて美しいのだろう。
大切にしたい思いだ。
今日1日に感謝🙏✨
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