【フィールドノート】取手滞在21〜22日目|2024.9.15-16|阿部健一
9/15(日)
都内を17時くらいに出て、18時半頃に取手に着く。動き回っていた一日で暑さにもやられており、電車内はほとんど眠っていた。
この日は団地の部屋の主・平井さんと久々に会える日だった。帰宅が21時頃ということだったので、まずは先日駆け足になっていたビバ内ギャラリーでの展示を見にいくが、17:30までだったので入れず。リベンジするとしたら明日しかないが果たして。
自転車で団地へ。お金を下ろしにセブンイレブンに寄ると、なんだか月が印象的だった。取手は月や星がきれいに見える。農地のエリアだともっと綺麗なんだろうな。
干したまま出かけていた洗濯物を取り込んだら、短パンが一枚足らない。真っ暗ななか下を見ると、外のくさむらの一角に少し色が違う場所があった。外に飛んでいったのか・・・と一階に降りて30cmくらいの背丈に育っている雑草をかき分けるが、ない。見上げると3階のお宅のベランダにそれらしきものが引っかかっている。
再び4階に上がって明かりで照らす。やはり3階のベランダに引っかかっている。団地ではこんなことも起きるのか。
20時くらいまでたまっていたフィールドノートを書き、20時半くらいにお腹が空いたのでミスターマックスへ。お弁当も刺身もほとんど売り切れていた。半額タイムに大半が売れてしまうのだろう。そのなかでも売れ残っていた焼き魚弁当には「100円」というシールが貼られていた。100円。400円のマカロニサラダを一緒に買って帰宅。
もさもさ食べていると平井さんが帰宅。
退去日の話や、この間の取手暮らしの話など、いろいろな話をする。
家主といっしょにいると、ここは人の家なんだということが再確認されていく。そんなこと当たり前なのだけど、空間と身体の関係性はさまざまなことで揺らぐ。これまでが取手を(限られた範囲で)身体化していく過程だったとしたら、ここからの数日間はそこから抜けていく、浮いていく過程なのかもしれないと数日前に「慣れてきた」ことを思い出しながら考えた。
わたしと取手、あるいは井野団地の関係は「住まい」ではない。ご厚意に甘えて長めに滞在をさせてもらっているが、それはあくまで「からだの仮置き」のようなものなのだと思う。つい「我が家」と感じそうにもなるが、冷静に考えるとおこがましい。旅人と旅先の関係のほうが近いのだと思う、が、それはそれでなんとなくしっくり来ない。団地という場所の特性なのか、過ごし方なのか。ここから都内に仕事に通っているのも、「旅」のマインドになれないことと関係しているのかもしれない。
この浮いていく感覚の延長線で退去し、少し浮いたところでクリエーションをできるといいのかもしれない。一度近づかないと遠ざかることはできない。「近づいた」なんていうのも、あまりに主観的だけれど。
もうひとつ、平井さんとお話をしていて演劇の畑、あるいは専門教育と現代美術のそれとは全然違う世界なんだということを感じた。入試のありかた、大学での教育、卒業後のことや業界、作り続けながら生きていくことなど、重なる部分もあるけれども基本的には別の文法、別のタイムラインだ。集団でのものづくりと個人の制作、コミッションワークと自主製作、お金の流れ方、そのあたりもひとつひとつ違う。もっとその違いを意識的にやりとりしたほうが交流は実り多いものになる気もした。
0時くらいまでおしゃべりし、炊飯器をセッティング。
シャワーを浴びて就寝。
9/16(月・祝)
西友で買ったレトルトのマッサマンカレーをご飯にかけて食べる。200円くらいするやつはどれを食べてもちゃんとおいしい。
そしてお馴染みの洗濯&ローソンのイートインへ。
3階の方に声をかけないとなーと思いながら帰宅すると、階段室に短パンが!下の部屋の方が引っ掛けておいてくれたみたいだ。ありがたいが直接おわびとお礼をするのを逃してしまったかんじもする。でもこのさりげない交流が団地っぽくもある。
12時頃から来客があるということだったので、11時半頃にナスと舞茸とベーコンのパスタをつくって食べ、お客様にご挨拶だけしたら別室で仕事をしていた。14時から一件ミーティング。気づけば15時30分くらいになっていた。
都内の案件のために買い出しをしないといけなくなり、また20時からもミーティングが予定されていたので、キリがよいと思って16時前に団地を出た。買い出しまで多少の余裕があったので、セブンイレブンを少し過ぎたところにあるカフェ「ju-tou」へ。
オーガニックな食材を使ったおいしいコーヒーとお菓子。扉も机もイスも年季が入ったもので、触れていて心が落ち着く。窓辺から団地のスカイラインが見える。
コーヒーを飲みながら「サンセルフホテル」のインタビュー集のページを繰る。すこしずつ読み進めているが、内容が濃い上に読みやすさのための編集が加わっていないのでエネルギーを使う。4年、5年という年月の話を10人以上が語っているのだからさらっと読めるほうが不自然だ。
読めば読むほど、自分はこのプロジェクトを、TAPを、それぞれに積み重なった年月を全然知らないことを実感する。
たとえばインタビューに繰り返し出てくる「きみちゃん」という人物。この人が誰なのかすら、知らない。どこかで説明されたのかもしれないけれど、それを忘れてしまっているのかもしれないけど、自分のなかで像を結ぶほど確かな認識がない。でもここで語っているひとにとってはキーパーソンで、もしかしたら「きみちゃん」なしにはサンセルフホテルも、TAPも考えられないのかもしれない。でもそんな大事なことすら知らない。そういうことが次から次へと出てくる。サンセルフホテルの一部をとってもそうなのだから25年の年月となると手に負えない。アウトラインと今の姿、過去のほんのわずかな(それでも膨大な)断片を教えてもらったという、それだけだ。
そして、自分もそのうちこうして語られる無数の人物のひとりになっていくのかもしれない。見えない神輿を、お互いの姿も十分に見えない無数のひとたちで担いでいる、そんなかんじだろうか。神輿を見渡す位置に視点を置くことは、少なくとも自分にはできない。
駅前に出て、ビバに寄る。山王小学校の展示を見にいったら羽原さんと大内さんがいらっしゃった。さっきまで文面に登場していたひとが目の前に現れると時系列が乱れてちょっと混乱する。文面からは何年もの歳月が流れている。そう思うと、インタビューや採録という語りを固定する作業のパワーは恐ろしい。
* * *
常磐線に乗りながらもまだ「わたしは知らない」ということについて考えていた。
サンセルフホテルに顕著なように、TAPはもの以上に出来事をつくってきた。出来事は、実際にはひとでできている。ひとがなにかすること、ひととひとが関わり合うことでアートプロジェクトの出来事は起きる。しかし、出来事だからこそあとから体験することができない。出来事を生み出した、あるいは出来事によって生まれたその場所はいまもうないし、ひとも(少なくともそのときのようには)いない。
残し方にもよるのだろうけど痕跡はわずかにしか残らないし、痕跡から全体を想像するのはそれ自体がひとつの専門技術だったりする。
また、ひととひとは植物のように絡み合い、だれが背骨、だれが頭ということもはっきりしない。荒れ地のような、氾濫原のような、そんな状況をあえてつくっているから関係者を役割ですぱっと整理することもできず、暮らしや生活の話にまで深まっていく。森を見るには木を、木をみるためには草を、草を見るには菌類を・・・みたいな無限後退。
そもそもだれだって時間のなかで常に変化をしている。あのときと、このときと、いまとで全然違うことを考えていたりする。
このあたりでそろそろ個人の体験や認識を離れ、もう少し大きな構図のなかで捉える準備が必要な気もしてきた。生々しさから離れたことばまで一度戻ってみること。これを書いている9月19日の20時現在ビバにいるのだけど、さきほど初めてライブラリーに寄ってみた。アートプロジェクト関係の書籍の充実におどろく、というか嬉しくなる。書籍は残すべくして残したことばだ。明日か明後日、あのライブラリーにこもるのもいいかもしれない。書籍に手をつけず勉強をしている高校生たちの横で。
結局、アートの可能性を魅力的に語ることばが好きなのだ、わたしは。