【フィールドノート】さざえ堂の日、団地での立ち話|2024.4.18|羽原康恵
取手の東口側にある長禅寺のさざえ堂は、珍しい建築で、入り口で御堂の上まで登って、降りてくるまでに同じ道を通らない構造になっている。
たしか、仏様がその道に並んでいて、登って降りるとその仏様を拝んだ分の功徳が積めるという仕組みだったと思う。
このさざえ堂は毎年4月18日に、年に一度だけ開帳されていて、その日を目指してuniのお二人が取手に来てくれた。
その日、私自身は午前の少しの時間を除いて、かなりぎゅうっと立て込んでいる日だったのでお会いできないかもと思っていたのだけど、お二人が長禅寺をきっかけにしつつ、先日の打ち合わせの時に持ち越したTAPキット(先端芸術表現科二期生で、当時のTAPの運営にガッツリ関わっていた貴重な学生でもあった大石真依子さんの卒業制作)を午前は見たいなと思って、とご連絡をいただいた。それがポカンと空いていた午前のすきまで、その時間ならいけます!と、キットを保管してあったビバで待ち合わせた。
TAPキットを倉庫から持ち出してきて開梱しはじめ、この開帳日は実はパートナーの誕生日でもあるので、彼の代わりに誕生日祝いのおかきと葛餅を受け取りながら今日の予定をお聞きする。長禅寺はお昼時間帯が閉まっているので、できれば今日はいこいーのにも行ってみようと思って、とのこと。それで、今はもう11時前、いこいーのが開いているのは14時まで、かつゆいさんは14時には取手を出なくては、ということがわかったので、それじゃあとTAPキットごといこいーのにお二人をお連れする形に切り替えた。
木曜日午前のいこいーのはどの島にもお客さんがいる状況で賑わっていた。もちろん、いつも通りそこに本橋さんもいた。団地に住んでいる本橋さんはいこいーのの常連であるだけではなく、ここでプロジェクトをいっしょにつくってきた関係としてもつきあいが長い(し、深い)。2010年に活動の形を変えることを決めた当時のTAPが選んだ「アートのある団地」の拠点での活動は、おそらくほぼすべて網羅していて、中でも、サンセルフホテルでは彼はキーパーソンの一人だった。
とりあえず、久しぶりに私が若い人たち、しかも表現をしている人たちを急に連れてきたなぁと向けられる好奇心を、本橋さんだけではなくそこにいる方々から一斉に感じたので、いこいーの全体にお二人を紹介した。
このところ本橋さんはずっと体調悪いといっていて、でも現状維持のようだな、と、こないだ会った時の気配を思い起こしつつ、次がある私は立ったままおしゃべりをする。
そうしたら本橋さんは急に、以前のTAPのスタッフのことについて話し始めた。サンセルフホテルに取材が来たとき、ホテルの部屋を、さらっとああいいですよ、といって見せたの、ありゃだめだったよ、という話。
部屋だけ見たって、たいしたもんじゃないんだからさ。ありゃあ見せちゃダメだよ。
いつもの江戸っ子なまりの本橋節が続く。そのあとに、
でもさ、過程は、たいしたもんだったんだよ。
本橋さんがそういった。そして、続けてその頃を思い出しながら話していた。おれたち頑張ってたよな、夜中も四人でさ。まりなちゃんと、北澤と、おれと、羽原でさ。いつまでもやってたよな。いや、頑張ってたよなぁ。
そんな顔ぶれでがんばっていた日もあったっけ?っていうのは記憶から起こせなかったけど、サンセルフホテルの活動日、夜真っ暗になった団地の中で、白熱灯の黄色っぽい光が満ちている感じの、いこいーののあの時の空気感が思い浮かんだ。
本橋さんは、ここ数年体調が悪いことが続いていて、あのときのようなパワーはもう出せねぇよ、というような懐古的な感じもしたけど、本当にそのときのことを楽しく、面白かった、と素直に思っている口ぶりだった。
活動当時は、できあがったものの精度や質をいつも一番気にかけて、こんなのお客様に向けて失礼だよ、っていいながらダメ出ししていた本橋さんから、自分たちが頑張っていたことを、その過程がたいしたもんだったんだ、と素直に振り返る言葉を聞くのは、実は意外なことだったし、多分、はじめてだった。
そのあと、私はもう会議に急がなくてはいけなくて、uniのお二人を乱暴にいこいーのの常連さんたちの中に置き去りにして移動した。でも別仕事に移る道すがら、この印象的で偶発的な本橋さんの言葉が頭に残った。
羽原康恵
(写真:齋藤優衣 / uni)
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