黙々と懸命に生きてこられた方の声を受け取りました。 #113
noterさんの記事を読んだり、あるところで会話をしたりするなかで、共通することが私の心の中に浮かんでいました。うまく言葉にできるかわかりませんが挑戦です。重たい記事になってしまうかな。でも書いてみたい気持ちが勝りますので、お付き合いいただけましたら幸いですm(__)m。
10年位前になるか、もう少しいまに近かったか、葛藤だらけの中にいた頃、私はハンセン病や水俣病で苦しむ人たちの存在を知りました。
ハンセン病と闘い続けた北条民雄さんの『いのちの初夜』を読み、
石牟礼道子さんの『苦海浄土』はいまだ読了できてはいないのだけど、苦しみを抱えながら黙々と生きている多くの人がいることを、それは私に伝えるものでした。
私は、自分と重ねていました。
私は、なぜ黙々と生きられない?
私はなぜ、のたうち回りギャーギャーと声を上げている?
それは、大人になりきれていないってことなのかな…
それが、大人になるってそういうことなのかな…と葛藤し続けていました。
現実の世界もまた、周りを見渡してみれば、皆、少々(?)の不満を抱えながらも懸命に社会の中で生きている。
皆、我慢して頑張って生きているというのに、なぜ私は出来ない?
そう思いながら、私はかろうじて生きていました。
石牟礼道子さんは、皆様ご存じの通り、水俣病で苦しむ人の声にならない声を聴きとり書き続けたお方で、その苦しむ声と石牟礼さんのもてる力で作品を創り上げていました。ご本人の承認欲求からではなく、そうしていたのだと私は受けとっています。
苦しむ声をちゃんと伝えないと、同じように苦しむ人がふえていくだけ…
ある日の新聞下の広告欄に、姜尚中『それでも生きていく』が出ていました。その中に、
とありました。
あるnoterさんの記事は、あ~この閉塞感の中で、黙々と懸命に生きてこられた方の声なんだろうな~と私は受け取りました。
私は、あなたを尊敬します。
当時の私は子供のようにただギャーギャーと喚き散らしていただけでした。
頑張って生きてこられたあなたを心から尊敬します。
「どんどん伝えなきゃ!!」って、TV番組のあるコメンテーターが言っていました。いまはこうしてnote…SNSで、伝えている人はたくさんいますよね。だけど、受け留めてくれる人が少ない、とあるところでの会話で出てきました。
ギャーギャーと喚き散らすだけだった私は、それでは何も伝わらないんだといつしか学び、ちゃんと言葉にして伝えたいと思うようになりましたが、やはりそれは難しいことでした。
それでも伝えること、否。その前に溜まったものを吐き出すことが、まずは
一番大切なことかもしれないな~といまは思っています。
そのためにnote利用させてもらっていいですよね?
そのために、私はnoteを利用させていただいていますm(__)m。
受け留めるとは、どういうことでしょう?
そこにもまた違いがあるように思いますが、私自身 note に想いを綴りながら、どなたかの声もまた受け留められたらいいなと思っていますm(__)m。
これで何かを伝えられているのだろうか?
タイトルなんとしたらよいのだろう?
さらさら自信がありませんが、、、
ここまでお付き合いいただきましてありがとうございましたm(__)m。
読んで下さったあなた様に良いときが流れていますように…
最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。