ひねくれてる自分。まずは「認める」ところから~ #52
きれいな空です。読んで下さるあなたにとって良い日でありますように…
最近、ひねくれた自分をものすごく感じています。なんでこんなに?
前回書きました↓↓↓↓
3ヶ月働きに行かなかったのに、相当のお金をいただけたとき。
まだ書いたことはありませんが、半年程しか働かず辞めることが決まっていたのにもかかわらず、相応のボーナスをいただけたとき。
他にもあったかな~???
どれも、ふつうに考えればお金をいただけなくて当たり前の状況でありながら、私はお給料・ボーナスとしていただくことが出来ました。それなのにすなおに感謝!ありがたい気持ち、、、からは程遠く、それだけのことをしてきたんだ…の気持ちがどこかにあり、ひねくれてました💦
当時から。
悲しいくらいに。。。
これはお金に対する想いなのか、愛着障害に所以があるのか、どちらにしても育つ過程に蓄積されてきたもののように感じます。
いま振り返れば、お金をいただけたあの頃。
仕事ぶりを認めてもらえていたということなのかもしれません…
私は自分の居場所を作りたくて、懸命にその場で頑張っていたはずなのに…
職場と私。
どこも噛み合う前に、私は離脱していました。
『子は親を救うために「心の病」になる』(高橋和巳著)の本の中にこんなことが書いてあったことを思い出しました。
「この世界」の心理システムを教えてくれる「親」を持てなかった。
それは人とつながれない不幸をもたらした。
しかし、心理システムを完成できなかったということは、逆にうまれたままの心に制限を加えていない、ということでもある。
「分かって欲しい」それは子どもの一番の願い。その願いを叶えてくれて自分を認めてもらえた子どもたちは幸せ。「普通の」親子関係をもてた彼らは善も悪も知っている。そして善を求めて親と一緒に生きていける。
またたとえ目の前の親は分かってくれなくても、いつかは「分かってくれるはずだ」と子どもは信じて疑わない。
「この世界」の手がかりを持たないゆえに、彼らは自分を救う手だても知らない。
*メモ書きを引用したため正確な文章ではありません。
つい4、5年前まで、高齢になっている両親に対して「分かってくれるはずだ」…というか「分かってくれている」と私は、信じていました。
だけどそれが全くの誤解だったと受け止めて、いまがあります。
この本に出合ったのは、2021年6月のことでした。それから「この世界」の心理システムを完成できていない自分だったと私は理解して、自分を責めずにまずは認めよう!とするところから始めています。
だから、 ひねくれた自分もその一部。
まずは認めて、許していくことにしようと思います!
最後になりますが、これを読んで下さったあなたにお願いがあります。
あなたの周りに、もしも私のようなちょっとひねくれた?人がいらっしゃいましたら、ここに上げました高橋和巳氏の言葉が当てはまるのかも?と、暖かく見守っていただけましたら大変嬉しいです(*^^*)。
また私と似た感覚をお持ちのあなたでしたら、一緒に♡頑張って生きましょうね(*^^*)♪
それでは、ちゃんと伝わる文章になっているのか疑問ですが、、、
最後までお付き合いいただきましてありがとうございましたm(__)m。