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ほどほどに楽しみ、息を抜く時間が必要であること学んでます #161 

 前回書いたこと。

 苦しみ、もがいていた頃の自分に、さて「ゲームをしていてもいいんだよ」と伝えるだろうか、伝えられるだろうか…と、この記事を書いた後、考えていました。なので、続きを書いてみたいと思います。お付き合いいただけましたら幸いですm(__)m。

 我が子が小学校へ上がる前後だったか、まだ実家家族と家族旅行をしていた頃のこと。たまごっちシリーズというのでしょうか?小さなゲームが我が家にはありました。そのゲームがどこからどうやってやってきたのか記憶にありませんが、たぶん旅行の間に、私は手にするようになったのだと思います。いつしかそれは、「お母さんのゲーム」として、子どもたちから認識されるようになっていました。

 しかし、両親との旅行から自宅に戻り、我が子と3人での生活ではそんな時間はありません。ふと、気晴らし!なんて手にしても「やっている場合じゃないでしょ…」と自分を責める材料にしていたような記憶があります。
 また、クリアできずにすぐゲームオーバーになってしまうことにもたぶん耐えられなくて、、、短い期間で、引き出しの奥へとしまわれてしまったように思います。

 さて、あの頃の自分に、いまの私はなんて声をかけるのだろう? 

 ハマっているのだとしたら、しばらくただ見守っている?
 自分を責めている時期であったなら、「責めることはないよ。好きなこと、楽しめることならその時間は大切だよ」と伝える、だろうか?

 どちらにしてもあの頃は、やっぱりゲームをする時間を確保することは、難しかったよね、、、よく頑張った!あの頃の自分。と褒めておきたいかな、と思いました(^^ゞ。

 あの頃の自分には、つくづく安全基地が必要だったのだと振り返ります。
旅行へ連れて行ってもらうより、日常を支えてくれる親であって欲しかったし、日常がどんなに大変かを分かって欲しかった。

 それでも当時の私は、分かった上での慰労の想いのこもる旅行だと受けとめて、感謝しなくては…心底感謝できないでいるから、いつまでも苦しいんだ…なんて、何とか親を肯定しようとしていました。

 いまは違います!
 
 安全基地が、私にはなかったんだと分かりました。

 誰にでも安全基地は必要で、安全基地さえあれば、人はそれだけで生きやすくなるのではないだろうか、と考えます。

 私には2人の我が子がいたから、その役目を少なからずしてくれていました。長い歳月には多くのことがあって、子供たちとも傷つけ合った時期がありました。あ~もうダメかな…と半分諦め、それでも見守り続けた結果、
ようやくお互いがお互いのことを想っていることを理解できるまでになりました。

 誰にでも必要な安全基地。さて、私は子供たちの安全基地になっているのだろうか…と振り返った時に気がつきました。私は、自分が持っていなかった分、過剰になっていたのだと。
 我が子は2人とも、当たり前ですが(-_-;)、私とは違いました。
 私が感じる程のものを必要としていないことに初めて気がついたのです。それからは手出し口出し過ぎないように努力しています。

 ゲームの話からだいぶそれてしまいましたm(__)m。

 安全基地をどこかに持って、何事もほどほどに楽しみ、息を抜く時間が必要であることを今更ながら学んでます(^^)/。


 最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。


 


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