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腹が立つ。~毎日新聞社さんへ~#151

不穏なタイトルで申し訳ありませんm(__)m。

申し訳ありませんが、そのままに書いてみたいと思います。
お付き合いいただけましたら幸いですが、既に不快でしたらごめんなさい。
どうぞスルーして下さいマセ。よろしくお願いしますm(__)m。

困難な状況にいる人たちは、助けを求めたくても
自分から声をあげられない。

この言葉をまた新聞の中に見つけてしまい、私は怒っています。

「声なき貧困」を生んでしまう社会構造

毎日新聞社さん、「小さな声、声なき声に耳を傾ける」のような内容で
CMが流れている割には、いつまでも同じではないですか?!

私はこれまでに何度も毎日新聞社さんに手紙やメールで投稿してきました。
そして昨年からはこうして note に何度も #毎日新聞  をつけ
投稿しています。

困難な状況にいる人たちを、自分から声をあげられない檻に
押し込めているのは、社会であり、あなた達ではないですか?!

私はひとりで闘っています。

何度も何度も死のうと思いながら、いまもこうして生きています。
「死」を以って訴えたいと思っていた時期もありました。

(その方が取り上げられるのでしょうか?)

いまは、それではダメなんだ…
それでは本当に伝えたいことは伝わらないんだ、と思っています。

新聞記事になるようなはっきりとした「伝えたいこと」
「何か」がある訳ではないから仕方がない…
そう思いながら、私は毎日、毎日新聞を読んできました。

前日の新聞には

周囲から孤立し、誰にも相談できない人は潜在化しやすく、最後に頼るのは行政しかない。~~~

ともありました。こういう記事が出ているのだから、気づいてはおられるのだろうな~と期待しながら毎日読んでいます。

「小さな声」は、既に当事者の声なのではないでしょうか?
もう、「当事者の葛藤を伝えたい」と代弁している人が「小さな声」ではないのではないでしょうか?

note をはじめて半年。
何度も #毎日新聞  をつけながら、当事者としての葛藤を綴ってきたつもりです。関心を持っていただける内容ではないのか…書き方が悪いのか…試行錯誤しながら書いてきました。

新聞に取り上げて欲しくて書いてきたわけではありませんが、でも気づいて欲しい気持ちはありました。毎日新聞社さんだけではなく、ひとりでも多くの人に「葛藤を抱えた当事者」が、身近にいることに気づいて欲しいから、何度でも、私はこれからも書き続けていくと思います。

こんなふうに書ける私は、小さな声とは言わないのでしょうか?


勝手ながら私は毎日新聞社さんと縁が深いと思っていますので、購読を止めることを推進するとか、ただただ批判したくて書いた訳ではありません。
本当に小さな声を掬いとり、優しい社会となるために必要な報道を続けて
欲しくて書きました。

この記事が、毎日新聞社さんのどなたかのお目に触れることを願い、
投稿します。


最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。



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