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友人と知人の違い・・・ #182

 いつも読んでいる新聞の「人生相談」欄に、作家・高橋源一郎さんが「友人」と「知人」の違いを書いていました。

 高橋源一郎さんの「個人的な感想として」と書かれていましたが、「友人」は、心の底から信頼しているからふだんまったく会わないし、会う必要がなくて、でも、もし「友人」に何かあれば駆けつけるし、駆けつけてくれる関係。それが「友人」。そして、それは「家族」も同じ。その他の人は、ぜんぶ「知人」。会っているときは楽しく、でもそれ以外のときはまるで忘れてる。寂しいから、暇だからとりあえず会う人・・・
とありました。

 
 私が伴侶を亡くした時、学生時代の友人はたしかに駆けつけてくれたな~と思い出しました。たしかに家族も。
 
 だけどいまはその範囲を越えてしまったように感じています。
(越えるってどういうこと?←心の声)

 先日私は、ohanasi box  という記事を書き、フォームを作りました。私の中でこれは、「高橋源一郎さんの友人」へに値するつもりで作りました。
 だけど、私は残念ながら駆けつけることはできません。できませんので少し寂しくなりました。やるせない気持ちになりました。

 それでも、それに匹敵するものがあることを私は思い出しました(*^^*)。その「匹敵するもの」、今回はそれをここに書き記しておきたくなりました。お付き合いいただけましたら幸いですm(__)m。


 私の元に駆けつけてくれた友人たちとは、だんだんと疎遠になってしまいました。「伴侶の死」という経験が、大きなギャップとなって広がっていってしまったように思います。

 そして、その後出逢った人の中にその人はいました。一緒に机を並べて勉強をしたり、切磋琢磨しながら共に仕事をしたりした経験はありません。だから私の中では「友人」と言ってよいものか、「知人」と表現したらよいものか…と迷ってきたその人は、唯一私の話に耳を傾けてくれた人でした。

 気づけば、出逢ってから20年以上が過ぎています。彼女とは深いところで繋がっているような気がしています。最初は機会を見つけては会って話をし、長電話をして、お互いの距離を縮めていたように思います。
 最近は、物質的な距離も離れているため、会う機会も話す機会も少なくなっています。それでも数少ない電話やメッセージのやり取りだけで、私は彼女の「祈り」を感じるようになりました。私が困っている時、「駆けつけてくれる」と同じくらいの「祈り」を感じています。

「祈り」にはそれだけのパワーがあること、私は体験しています。
 だから・・・   ohanasi box   、「言葉」と「祈り」で苦しみを溶かしていきたい、いけたら…と思うのです(*^^*)。

 

 さて、「友人」と「知人」の違いはどこへ行ってしまったのでしょう??
の記事になってしまいましたm(__)m。
 私は私の人生の中で、ひとりでも多くの「深いところで繋がっている」と感じられる関係をふやしていきたい、ふやしていけたら…と思っています(*^^*)。


最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。
 

 

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