いっしょだよ、ひとりじゃない #196
10年近く前になるのか…通っていた文章教室で書く私の文章は、「~感じる」とか「~気がする」の言葉が多かった。指摘をうけて、それから言い切る文章を書くよう努めてきたが、相変わらず、私の中には「感じる」ことがいっぱいあって、それをうまく表現しきれていない自分に気づく。
「感じる」それは感情。
表現しきれていない以前に、私には感情を感情として認める力が不足していた。「寂しい」とか「哀しい」とか・・・の感情は、もってはいけないもののように扱っていたし、「楽しい」や「嬉しい」であっても素直に表現できない私であった。
最近になって、もってはいけない感情に見舞われても、攻撃する必要などないのだと自分に言い聞かせている。その沸いてくるものが、「寂しい」であったり、「哀しい」であったり、、、するんだな…と思っている。
何言ってんだろう???…な話かもしれませんねm(__)m。
「ふつう」がどこにあるかわからないけれど、人と違っていたのだとわかったことがたくさんあります。違っていたけど、それなりに合うように生きていました。10年近く前の文章教室に通っていた頃から、ほころびが目立ち始め、それなりに合うように生きることが辛くなっていたのだと、当時を振り返り、思い至ります。
そして、これが「寂しい」って感情なんだな~なんて、噛みしめていたら、こんなメッセージが届きました。
そうかもしれないな~と思えました。この地球のどこかには、その瞬間、同じように「寂しい」や「哀しい」…孤独感に苛まれている人は、自分以外にもいるように思えました。だから、ひとりじゃない。
昔、自死遺族のシンポジウムに参加している頃、「ひとりじゃない」という言葉が頻繁に言われるようになって、それでもやっぱり私はひとりで。
ひとり憤慨していたことがあるのだけれど。
いまは深い深いところで人は繋がっている、繋がれる、と信じられるところがあって、あ~そうか~たしかに同じ想いをしている人がいるかもしれないな~。だから、「いっしょだよ、ひとりじゃない」なんだと、腑に落ちています。
今回は、本当に何書いているんでしょう…の記事ですが、、、受け取ってもらえる人がいたら嬉しいです(*^^*)。
最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。