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ある日の出来事 #170

些細な出来事に心がまるっと締め付けられていた

何がひっかかっているというのだろう?
どうすることがよかったの?

ひとり悶々と
したときを過ごし、家族と話す
勇気と時間がやってきた

話すうち
以前の私だったら、もっと
不満でいっぱいになって
怒っていたな…
と気づいたよ


自分とは「合わない」人・考え方
であることがあらわになる出来事


いろいろな人がいるところに身を置けば
当たり前にあることなのに


私はひとり
何をそんなに悶々と
するときを過ごしているのだろう?
何に気づくための
ときであったというのだろう?

まだしばらく続く
悶々々・・・


グルグルグルグルしていたけれど
他人から見れば
何故そんなに細かいことに
いちいち反応しているの
な出来事であっても、私は反応
してしまうんだ…

そんな自分であることを
まずは認めるところから

明らかに
自分のことしか考えていない人に
出くわすと
私のスイッチは入ってしまう

だけど、今回は
怒りにまでは
いかなかった自分を見つけたよ

すこしはせいちょう
しているね


嫌われたり
陰口を叩かれたり
することを
極度に避け恐れていた

「合わない」人
とわかっていながら
取り繕うとする必要は
あるのだろうか?

取り繕うとするために
私は
悶々とした時間を
過ごしていたんだな

坂口恭平さん思考
(注・私流の受け止め方です)
で事務的に
自分が快適でいられるように
考えよう

私なりのやり方を
見つけられるかな?
見つけたい
見つけよう~(^^)/


書いているうちに、↑↑↑この記事のときに学んだことと重なってきました。
洋服を断捨離する上で学んだことだけど

そういったモノは、軸が「モノや他人」、そして「どうなるかわからない未来」「過ぎてしまった過去」へとズレているモノと言えます。

自分を軸にし、時間を今に戻しながら行うモノの取捨選択の作業

『新・片づけ術 断捨離』より

人と関わり、軸がどこにあるのかわからない
状態になっていた自分に気づく出来事でありました。

悶々々・・・は消えています(*^^*)


最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。

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