坂口恭平さん #162
坂口恭平さんのnote記事に出合いました。
ひと昔位前になるのか…Twitterだったか何だったか…何かで発信されていたものに、以前私は出合っていたことを思い出しました。
いま現在(2022年4月)note記事の自己紹介欄にも携帯番号が載っています。「死にたくなったら電話して」と発信されている坂口恭平さん(いのっちの電話)。以前も、同じような発信であった気がしますが、私は電話をかけたことはありません。
みずから躁鬱病と公言しながら電話で話を聞いていると知って、引きづられはしないのだろうか…と思った記憶が残っています。
その頃からずっとずっと坂口恭平さんは続けている。
凄い!!
…と思いました。
続けてきたから、いまの坂口恭平さんとなって存在されている。
苦しい気持ちに寄り添いたい、と私もずっと思ってきたけれど、うまく言葉をかけられる?自分もぶり返したりはしない?それでは寄り添い続けることなんてできないんじゃない?……様々な不安が頭を過り、結局は、ほんの身近な、周りの人に配慮するだけで、「それでいい」としてきた私は私になっている。
ちゃんと自分の生活を成り立たせ、結婚しご家族を持ち、好きなこと・やりたいことをして躁鬱病とも向き合いながら生きている坂口恭平さん。
「死にたくなったら電話して」と、電話で話を聞くことが、自分の一番の仕事かもしれない。だけど、それで収入を得ている訳ではない。それをするために、本を書いたり絵を描いたり、他のことで収入を得ている…と書いてあった。
おぼろげながら描いていた私の”理想”。
書かれた内容を読んだことによって、私の”理想”がはっきりくっきりと見えてきた気がします。
これまで、目標とする人を見つけられなくて~半分諦めていました。
だから、現実に存在されていることが何よりも嬉しいです(*^^*)。
以前私は、ゴッホを取り上げた記事を書いたことがありました。
坂口恭平さんはピカソとゴッホに触れた記事を書かれていました。
ピカソとゴッホの違いが、そういうところにあったのか…ということを初めて教わりました。(ピカソについても、ゴッホについても、ほんの少し聞きかじる程度の私ですが(-_-;))
ゴッホのように、生きている間、自分で描いた作品が全然認められないのはやっぱり寂しい。誰かひとりでもいてくれたら…のように書かれた記事に私は頷き、ピカソはどう違ったのかを学んで、その通りに生きてこられたから坂口恭平さんはいまの坂口恭平さんであることを知りました。
他にも坂口恭平さんが書かれた記事はたくさんあって、どれも興味惹かれるものばかりでした。
これから新たな、私なりの学びを深めていこう~♪と思える出合いとなりましたので、ここに書き残しておくことにします(^^)/。
最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。