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おかしな話 #296

以前も取り上げたことのある『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』(高橋和巳著・筑摩書房)と『スウェーデンボルグ 天界と地獄』(高橋和夫著・春秋社)の本、それと『歯車』(芥川竜之介作・岩波書店)をほとんど同時に読み終えて、グルグルと…書きたい衝動に駆られています(^^;


本『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』の中に出てくる異邦人・・・

被虐待者に共通に見られる心理的な特徴から、私は彼らを異邦人と呼んだ。
 
彼らは、他の大多数の普通の人と同じ社会の中に生き、その社会の共通のルールである「社会的規範」を理解し、それを守って生きている。しかし、他人と感情を共有できないために、安心を知らず、人を信頼できていない。例えて言えば、彼らは別の星で生まれ育ち、地球で生活するためにやってきた。社会のルールを詳しく教え込まれたが、心の交流の仕方がまだ分からないので不安で孤立している。そんな異星人のようである。

『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』より

こちらを読んで、私自身、異邦人であるな~と自覚しています。

虐待を受けた訳ではなかったから、ちょっと違うのでは⁈ と手に取るのを躊躇っていた本でした。すべてにあてはまる訳ではないですが、思い当たることが所々にあって腑に落ちています。

上に挙げた3冊の本、私の中では混ざり合い重なり合っています。
これを読んで下さっているあなたには、いかがなものでしょう? 
題名だけ見ると、全く違う類の本ではないの??? 何で??? になってしまうでしょうか???

それが異邦人であるがための私の思考のような気がしています。

今までであったなら、人目を忍び?( ´∀` ) 書くことを避けたかもしれません。なるべく普通に合わせ、ちょっとおかしくない? と思うことは書かずにきた私です。けれど・・・

理性とか霊性とか、普通とか普通じゃないとか…いろんなことに通じることのように思えるので、私は異邦人全開であったとしても書こうと思います(^^)

いわゆる「普通の世界」は、多くの人がそれがすべてだと信じて疑わず、自分が「いる」という社会的存在であることを確信し、感情とルールの共有ができて安心が保障されている世界。

『消えたい~~~』の著者・高橋和巳氏の言葉をお借りすると、このようになるようですが、普段気に留めることなくそこにいられる普通の人々によって作られているこの世界。

社会のルールを親から教わることが出来ず、全神経を外側に向けて、見よう見真似でルールを身に着けてきた私は、いつもどこかビクビクソワソワしてました。

これは、普通の世界の外側で、著者・高橋和巳氏が「辺縁の世界」と名付けた世界で、異邦人はこの辺縁の世界の住人です。そのまた外側に「宇宙」がある、と書かれていました。

辺縁の世界の住人である私が、『天界と地獄』を読むと、これまでの多くの謎が解けていくように思えました。

そして、偶然、読むことになった『歯車』。こちらは作家・芥川竜之介が書いた最後の作品で、「一 レエン・コオト」のみが生きている間に出版されたのだそう…

その事実と重ね合わせ、六章からなる歯車を最後まで読むと、芥川竜之介も辺縁の世界の住人であったのかな~と思えるし、『天界と地獄』の地獄界でもがいていたように思えてならなかったのです。

天界と地獄、それはいまのこの世でも置かれた環境・内面の相違によって現れているように思えて、3冊が混ざり合い重なっているように思えたのでした。


おかしな話になってしまいました。

これまでは、このような話、話す場を選び、結局は話せずに過ごしてきたことの方が多かった私です。
自分て感じたことなのだから、それを自然と話すことが出来たならどんなに生きやすくなるでしょう…

『歯車』を読んだきっかけは、私が久しぶりに楽しく話せる場所で、取り上げられた本でした。

つくづく自然と話せる場がふえることを願い、行動していきたい!
そんな想いに行きついた3冊の本の読後感でした(*^^*)


長文に最後までお付き合いいただきましてありがとうございましたm(__)m





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