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「誰かのため」が「自分のため」でもあるのだろうな~と思えた話 #157

どれくらい前であったか…ついこの間のようにも思うが
10年近く経つのか…全盲の友人がいた。

最初は、介助する人、仕事として関わった人であったが
年齢も然程変わらず、公共交通機関をひとり利用している彼女を見かけて、声をかけたのが、再びの出逢いだった。

再会した当時、私は介護の仕事からは離れていた。
バイタリティ溢れる彼女は、介助者に恵まれず、ひとり公共交通機関を
利用して学校に通っていた。

それからしばらく、時間を共にするようになったのだが、、、

当時の私は、自分の楽しみというものを持たず、自分の、〇〇に行けば少しは体も心も軽くなるかな~と思うことがあっても、打ち消す気持ちが勝り、行動に移すことができずにいた。

それにも関わらず、困っているだろう彼女の力になるだろうということには、自分の体が動くことが不思議だった。彼女からの頼みには、ホイホイと気軽に答えることが出来たのだ。

しばらくしてヘルパーとしてお金をいただけるような関係にしたこともあるが、そのうちにだんだんと私の中に不満が溜まっていった。

彼女の楽しみが、私も一緒に楽しめるものであればよかったのだが、私には楽しいと思えることではなかった。だから、明らかな彼女の遊びに付き合うことが苦痛になっていったのだ。

そして、気がついた。

誰かのためではなくて、自分で「自分のために」行動しなくては!
誰かのために動くのではなくて、「自分のために」動かなくては!!

次の進路への岐路に立った彼女の、考え方についていけなかった。
しばらく黙って見守っていたが、意を決してある時、私は自分の考えを
伝えようとした。

しかし、彼女は聞くことさえ強く拒んだ。

彼女は強く自分の考えを持ち、誰かからの言葉を聞くことは
受け付けていなかったのだと思う。

それ程、強く生きようとする彼女だった。

私も自分の道をしっかりと生きなければならない。
その日、彼女を自宅まで送り、私は最後にした。

その後も彼女は元気に過ごしているよう…
元気な姿を見かけたことがある。


私にとって、「誰かのため」が「自分のため」でもあるのだろうな~
と最近になって思っています。
自分の楽しいと感じることは何だろう~とあらためて考えた時
その一つになるのかもしれない
「誰かのため」が「自分のためでもある」。
それも念頭におきながら、私の「楽しみ」を見つけていこう♬
そう思えましたので、書き留めておくことにしました。


最後までお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。




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