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生き方の総決算のときのよう #153

 その空間は、どこか現実離れしているというか、自分が普段生きている世界とは違う空気のような、不思議な感覚がした。
 飯田さんが作り出している場の空気なのだろうか。優しさや慈悲がにじんでいるようだった。良いものはよい、悪いものは悪い。困っている人に優しくする。少し考えて、筆者が違和感を覚えたのは、こうした善意が純粋に存在する空気に不慣れだったからではないかと思い至った。
 裏返せば、見返りを求めない善意や裏表のない優しさ、正義感、そういうものが純粋には存在しがたい社会で私たちは生きているということなのかもしれない。

『誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』山寺香・ポプラ社より

お久しぶりですm(__)m。
冒頭の文章は、本『誰もボクを見ていない なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』(山寺香・ポプラ社)の一文です。
note を書かなかったこの期間に読み終え、印象に残る文章でしたので
書き留めておきました。

私の居心地よく感じる世界とは反対から見た世界を、表現した言葉に
初めて出合えたように感じた文章でした。

noteを書かなかったこの期間に、いくつかのこのような体験が重なって、
まるで、これまでの私の生き方が総決算されているかのようでした。

実父が逝きました。

最期の姿を目にすることはありませんでした。
そういう事情の中で(…ってどういう事情?)連絡を受けましたが、
私の心は動くことはありませんでした。

これまでの経験からすれば、

なんでこの時?!

…と思えるタイミングでしたが、そうは思いませんでした。逆に、
護られているように思えました。行かなくてよい理由が明確にあったから。

(実家家族との関係を書いたこれまでの記事はこちらです↓↓↓↓)


「見返りを求めない善意や裏表のない優しさ、正義感、そういうものが純粋には存在しがたい社会で私たちは生きている~」と『誰もボクを見ていない』の筆者・山寺香さんは書き、山寺さんが取材した、少年が逮捕される直前に働いていた職場の代表である飯田さんを「どこか現実離れしているというか、自分が普段生きている世界とは違う空気のような、不思議な感覚がした。」と言う不思議な感覚がする世界。

私は30年近く前の伴侶を亡くしたとき、「心を大事に生きていく」と
誓って生きてきました。それを我が子に伝えることが私の使命、と自分に
言い聞かせ生きていました。

生きづらかった理由が明確になった気がしています。

世の中の基準(例えば「親の死に目に立ち会う」とか「〇〇の時は✖✖しなくてはいけない」みたいな)に雁字搦めになって、自分をそこに当て嵌めようとしながら、当て嵌められない自分はダメ人間のようにどこか思ってきたけれど、自分の生き方を貫き通せばいいのだと伝えられているような気がしています。


いわゆる「勝ち組と言われる世界」だけでは成り立たなくなっている証が
現れはじめているのではないでしょうか?

「勝ち組と言われる世界」に生きる方々を私は尊敬します。でもその世界だけでは説明がつかないことが表面化してきているのではないでしょうか?

書かない日が続いてしまいましたが、優しい社会になって欲しいから、私はそこのところを書き続けていけたら…と思っています。
見守っていただけましたら幸いですm(__)m。


長文をお読みいただきましてありがとうございましたm(__)m。



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