taotuna

Uターン結婚出産育児。家庭とバランスをとり仕事の理想を求めて転職三昧。アラフォーにて、新卒2週目邁進中

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最近の記事

10社目転職から6ヶ月の現在地

投稿が少し空いてしまいました。 仕事からプライベートまで忙しくしており、気づけば季節をまたいで秋とな。そんなわけで少し歩いてきた道を振り返ってみました。 この時点まで、社風や社内の人となり色々みえてきた。そんな中、少しだけ先に入社した人が早くも退職することに。わずか半年。 合わなけりゃ早いに越した事はないが、独特な社内、まぁこれも転職を重ねればどこ行ったて同じ。天職なんか無い。 言葉使いや上下関係などにやたらとこだわる今の職場は組織としては成り立っていない。 実務において

    • 夏の思い出にコンテストに参加してみた

      現在募集中のnoteコンテスト、2024夏の思い出に応募してみようと思う。 夕暮れ時、一瞬涼しくなるタイミングでスーパーへ買い出しに行った際、いつもの日常。

      • 【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜最後の10年編③

        そんな畑に精を出し、販路を拡大し。 色々卸したが結局は私が進めたファーマーに 長くお世話になった。 知人ということもあり、話すべきか否か、考えに考えてあえて話さないことにした。 軽トラで自宅で農作業をし、その後出荷となかなかハードなスケジュールでもそれが父のルーティンとなり、生き甲斐となって、そこにいる父は疲労を物ともせず、実に生き生きとしていた。 そんな父を見てどこかほっとした。あの運ばれた日から仕事を辞めてこの先どうするのだろうと子どもながら心配だった。そんな父が畑をは

        • 【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜最後の10年編②

          新しい畑でのバナナ栽培。 バナナは割と希少で高級とされ、八百屋や 小規模店舗に出荷すると瞬く間に高値で売れた。 その頃仕事で懇意にしている八百屋さんがあり プライベートでもよく利用していて、そこへ卸してみては?と提案した。はじめは距離的なこともあり渋々試しに出してみたところ、店員さんやお客さんの評判が良かったことに気を良くし、そこから畑仕事でずっとお世話になることとなる。 私はしてやったり、狙い通り、店のコンセプトと父の育てた作物の相性の良さを感じていた。ただ相手も気を使

          【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜最後の10年編

          それから父はしばらくして家庭菜園をはじめた。 はじめは自宅の庭先でこじんまりと。 その日自分たちが食べる分だけ。 葉野菜やゴーヤなどからはじめ、少しずつ身がつき収穫し食べることができるようになると、これまた少しずつ自宅の縁側まで畑を拡大していた。 この頃から釣りの機会が減り、畑に忙しくするようになった。 気がつけば、近所の野放しの畑を借り、農家っぽいことを始めた。この時植えたのはさつまいもやじゃがいもや大根だったかと。 さつまいもはネズミかモグラにやられたりで、なかやか手強

          【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜最後の10年編

          【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜30代編帰郷②〜

          突然すぎてまさか本当に父が。 その頃の記憶は家事育児仕事に追われて ほとんど思い出せない。 あとから聞くとたまたま甥っ子が一緒に作業を していて、救急車を呼んでくれていたとのこと。 命拾いをした、いとこに感謝した。 それから何度か忙しい合間をぬって病院へ見舞い に行って、不自由な生活を強いられイライラ する父だけ覚えている。 私は必死にまた孫の相手になり遊んで=元気 になって早く退院してほしいと願い見舞いに 訪れていた。 一度は退院したものの、自身の不摂生を顧みることなく

          【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜30代編帰郷②〜

          【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜30代編帰郷〜

          田舎暮らし、育児で専業主婦。 実家にほど近い場所で新生活が始まった。 私は私のペースを守りたかったし、自宅と実家も近かったので産後も自宅で過ごし困ったときには助けてもらう、そんな生活を送っていた。 一年ほど経つ頃に保育園へ入れ働くことにした。 我が子とともに慣れない生活を助けてくれたのは実家の皆んなだった。お迎えに間に合わないとき、お熱です迎えにきてくださいのとりあえずのお迎え、私が実家まで引き取りに行く時の相手やごはんなど、実家の家族には随分と世話になったし、じゃなきゃ働

          【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜30代編帰郷〜

          【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜30代編〜

          東京では縁あって昔の関連会社からのお誘いだった。田舎を出る前と出た後もずっと東京には憧れ続けていたし、若いうちに一度はと面白半分、何も考えないまま就職、引っ越し。 ないものねだりで働くうち、いつかは地元にと都会の生活も慣れ始め、やっと自分の将来を考えるようになり、周りをみると家庭持ちが半数以上。私の人生行き当たりばったり、そんなんだから次は結婚出産へ気が向く。 縁あって帰省の合間、地元で出会い、そのまま結婚出産をダダーっと駆け抜けた。 およそ10年ぶりの田舎暮らし。 実家に

          【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜30代編〜

          【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜20代編〜

          家を出たのは二十歳の年。 さらば!最高に清々とした。 なんじゃかんじゃ言い訳をつけてようやく 出れたと思った。二度と戻るかと。 それから専門学校へ二年通った。夏休みや正月など家族というより、仲の良い友達に会う為に帰っては近況報告をし、家族とは一切過ごさなかったように思う。そんな二年を繰り返し、卒業が近づく頃、就活を始めた。決まらなければ島流しだと意地でも仕事を決めなければならなかった。 (その後の略歴は転職活動お暇な時どうぞ…) 運良く卒業前から契約社員としてお世話になる

          【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜20代編〜

          【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜10代編②〜

          転機が訪れたのは中3の時。 父方の地元へ引っ越すことが決まった。 私は次女の通学運賃を末っ子ながら家計を圧迫 しているのを気にして、少しランクは高いが、 歩いて行ける近所の高校を目指し合格した。 良かった!やったー!と思うのも束の間、 引越しとなり、結局無意味な努力となる。 この件があり、後にそれは祖母の同居願いが あったこと、何の説明もない両親と祖母に腹を 立て、特に父や祖母とはこの時から会話すら しなくなった。 通学にもうんと不便な田舎でバスの本数も少ない。毎朝バス停ま

          【父と娘】忘れたくない記憶の記録〜10代編②〜

          仕事をすると生活にハリがでたと感じる日々

          長い転職活動期間が明け、再就職先が2ヶ月目に突入。 改めて仕事をするとは、どう生活が変わるのか実感している。 転職活動期間中は日中ダラダラもいいところ、朝の忙しい時間、家族を送りだしたら夕方までフリータイム。退職して一週間で時間を持て余す。 のんびり昼ごはんを食べダラダラとテレビをみてくつろいだり、日々求人をPCで漁ったり、だらけるとあっという間に時間は過ぎる。 その内、周りのお仕事をされてる方をみるとなんだか社会から疎外された気分にもなり、この期間が苦しくなっていた。

          仕事をすると生活にハリがでたと感じる日々

          転職先10社目、1ヶ月が経った今の心境

          さて。転職から早いものでひと月が経った。 なんとなくのルーティンや業務の一連の流れ も見えてきたが、ここへきて知るのはまだ 半分ほどしかこのひと月で触れていないらしい。 つまり業務が多いのかと冷や汗タラ〜である。 このひと月は様々な業務も流れ通りでなく、 教える人のスケジュールによって点と点で 習っており、ようやく点と線になってきたのは ここ最近である。 それに加え、もう一つ大きな業務、総務的なところはまだノータッチだ。 とにかく忙しく毎日があっというま、 頭の整理すら

          転職先10社目、1ヶ月が経った今の心境

          この時期聞いてほしい転職組の本音

          これがうちのやり方です。 入社直後は仕方ないが、慣れてくるとやはり足らない分が見えてくる、それが転職組の思うところ。 はじめに、うちのやり方!はわかるが、 外の空気を入れて社内を活性化、 成長させる努力をする企業は少ない。 今の時期、新入社員から見た世間とのズレ は社会人未経験者から指摘されたと受け止め るのは簡単だが、気づきのひとつとして捉えるとどうだろう。 正解不正解はさておき、原点回帰のいい機会だとしたらば企業として大きな一歩だと思う。 奇遇にも転職のタイミング

          この時期聞いてほしい転職組の本音

          10社目の転職先、4週目

          ひと月までもうひと息の4週目が終わった ここまで、怒涛の業務に追われ何か習得 できたかと言われたら何も無い。 様々な業務をつまみ食い、と言ったところか いかんせん、アラフォー 流れはなんとなく分かれど、記憶力に難あり 染み込まんのが辛い。 今はひたすら修行僧のように耐え忍んでいるが、かと言ってこの仕事が苦痛なんてことはない のはハッキリと言いたい わからないことは聞く、調べる、 未知なる業界はある種の刺激と面白がって 興味関心をもてばそれなりに楽しい。 面白がる、このモチ

          10社目の転職先、4週目

          あの頃の新社会人に戻るならかけてあげたい言葉

          たくさんの事に積極的にチャレンジしてみて。 わからないこと、自信ないことも、やってみなきゃわからない。 あと周りの空気を読みすぎないこと。遠慮なく。 この2つを当時の私に伝えたい。 思えば新人らしくなかったなと。 どこか冷めていて、性格だから仕方ないのだが もっとパーンと元気はつらつ、体当たり!でいられたらまたさらに景色が広がったかもと。 だから他人の目を気にせず、飛び込んでいけと 振り返ると伝えたい。 後に転職人生になるけど、それはそれで マイナスとは思わない。

          あの頃の新社会人に戻るならかけてあげたい言葉

          10社目の転職先、3週目

          あれよと時間に追われ、気づけば三巡目。 ここまで、予想を超えるスピードと量で業務を 次から次へと習い頭も目もぐるぐる回転しまくり。 アラフォー、飲み込みの悪さを感じつつも 今一番、感じていること。 新しいは楽しい! 学べるは嬉しい!日々、新鮮。 未経験の業界、業務も多岐に渡り この歳にもなってなお、学べることが シンプルに嬉しい! 勿論、覚えることが多く大変が多いのも 事実。 だけども人生でこんな時間を人より多く 味わっている贅沢すら感じる。 (転職回数の良し悪しは置い

          10社目の転職先、3週目