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最近、仕事をしていて思うこと〜就職氷河期のしわ寄せ〜
■ざっくり、ここまでの経歴など
最近、仕事をしながら疑問に思っていたことが、今日なんとなく納得できたので記事にしてみようと思います。
今まであまり意識はしてなかったのですが、私は世代的には「就職氷河期」に当てはまる世代。うんうん、確かに大学卒業時には就職先がなくて、1年浪人して180℃方向転換して大学院に行ったもんな。大学院まで行かせてくれたことに対しては今でも親に感謝してる(ただ、それまでにお受験だなんだと強制されたことは少々恨んでる😅)
大学院卒業時も依然「就職氷河期」だったものの、方向転換したお陰で就職はできた。その後3年で転職、そのまた数年後に社内で(希望して)異動はしてるけど、一応は大学院で勉強したことの専門分野で今までやってこれている。
さて、現在はだいぶ歳を食って、定年退職も視野に入ってくるような年齢になったんだけど、未だにプログラミングをやっている。そう、方向転換して入った大学院は情報系だったんだけど、会社に入った頃は「プログラマー、30才限界説」なんてあって、30過ぎたらプログラミングなんてせずに管理職になって……と言う様な、所謂一般的サラリーマン街道を歩くものだと思ってたんだけどなあ。でも、まだプログラミングしてる🤖。
■こだわり
大学の時から「折角勉強したんだから、社会に出ても学んだことを仕事に活かしたい」と言う変なこだわりがあって、まあそれで大学卒業時には就職できなかったのかも知れないけれど、気持ちは今も変わらない。会社生活していく上で、試験を受けて従業員から会社構成員になるタイミングはあったものの、技術を続けたいがために従業員のままの状態を選んだ。昔でこそ、構成員……通称「責任者」になって課長だの部長だのに出世していくのが普通だったのだろうけど、今の時代はお金の管理や人事的な管理を嫌う技術者は結構いるから、私みたいな道を進んでる人も多いのでは? と思う。
結果、プログラマー(プロジェクトマネージャなんかもやるから、正確にはソフトウェアエンジニアなんだけど)として現在に至る。
■自部署の年齢層
現在は何故か周りに若手ばかりの部署に突っ込まれていて、それこそ自分の子供でもおかしくないぐらいの若手に混じっている。そうなると当然後輩くんたちの(技術的な)面倒をみないとダメで、一方で自分の技術的な仕事もしないといけない。ここ数年、まさにプレイングマネージャー的な役割を上から期待されてしまっている状況だ。
部長や課長がやれや……と思うんだけど、彼らは指導できるほどソフトに詳しくない。要はお金や人の管理をする管理職なんだ。じゃあ自分よりちょっと年齢が下の中堅社員が指導すれば……と思った所、不思議と周りにその年齢層が少ない。年齢的には40才〜45才ぐらいかな。なんで!? と、言うのが最近の疑問だったわけです。
■振り返ってみる
今までの仕事人生を振り返ってみると、転職や異動前も通して、自分が入った部署になかなか後輩が入ってこなかった記憶がある。これが要は「就職氷河期」だったんだろう。会社が新人採用を控えていたに違いない。そして、自分はいつまで経っても部署で「最年少」だった。だって下が入ってこないし、上は固定だし。しかも上はバブル期世代の社員もいて、時々本当に殺意を覚えるぐらいのおかしな人がいた。
それは置いておいて、いつまでもぺーぺーで上がそんな感じだから、必死で自分で技術を身に付ける必要があって、同じ様な境遇だった人はきっと脱落してしまった人も多かったのだと思う。私は幸いと言うか、生来の負けず嫌いの性格だったからか同じ分野で仕事を続けてこれたので、今ではイヤでも技術が身についているし、そして技術にこだわりがあるので結局今でもプログラマーをやっている。
■問題点と気付き
問題点はつまり……
所謂「中堅」層の人材が空白
それより下の「若手」層は就職環境が改善したこともあって、比較的コンスタントに入社してくる
そうなると「若手」の指導がベテラン層に回ってくる。構成員(責任者)の皆さんは技術ができない人が多いので、「技術」をバリバリやってるベテランが若手の指導もする羽目になる
その時の世代(年齢)のギャップときたら……
そしてそれらの原因は、明らかに「就職氷河期」に人材を採用しなかった組織にあるんだよなあ。その辺りの人材がいなかったのに、仕事をどうやって回してたんだ!? と考えたところ、その穴を埋めたのが「非正規雇用」な人々、つまり外注さんです。
私自身は上にも書いた様に「技術にこだわりがある」方だったので、自分でできることは極力自分でやって技術を蓄積することに努めてきました。所属が研究所の様な部署だったからそれが可能だったのかも知れない(いや、事業部にいたときも全部自分たちでやってたか)。
一方で外注頼りの事業部も存在していて、そこには技術が残ってない。私みたいなこだわりのある人間がいればマシだけど、そうでない所は本当にもう指導できる人もいないので悲惨だ(外注さんが悪いわけではないです。何でもかんでも非正規雇用にできる様にした国政と、利益だけを追求して人材の採用・育成を怠った組織が悪いです)
■まとめ
「就職氷河期」と言われた時代は1993年〜2005年ぐらいまで。その時は企業もその場しのぎの外注で難を逃れたのかも知れないけど、その影響が今になって表面化してきてるんだろうなあ。まさか自分が(若手の中に突っ込まれて)苦労しているのが、20数年前の失策によるものだとは、ちょっと驚きだったと共に納得の事実でした。
個人的には技術だけでも給料分以上の仕事はしてると思ってるんだけど、その上(本来は構成員の仕事である)人材育成とか教育とかまでやらされるんだから、「就職氷河期」に就職して現在まで技術を続けてる様な人はホント、損な役回りを引き受け続けてきたんだと思います。どこかのダメ総理が「所得倍増計画」なんて実現不可能なこと行ってたけど、マジ倍ぐらい給料ほしい気分。
自分の場合は若手の頃上の人に殆ど教育的なことは与えられなかったんだけど(大概のことは自分で調べて身に付けた)、今の若手に罪はないし上手く成長して欲しい思いもあるので指導役は継続しようと思う。願わくば今後も組織がコンスタントに人材を補強して、あと10年ぐらい経った時に今の若手の子たちが進んで後輩を指導して上げてくれると嬉しいかな😆
私と同じ年代の方々には似たような境遇の方も多いのかな? この文章読んだからと言って何か参考になったり教訓になったりはしないだろうけど、「あるある!」と共感頂ければ。
※あと、若手に接するときは結構気を使ってる😅。自分と同年代か上の年齢層の人たちは若手の中に交じるのに抵抗がある人も多いみたいで、自分にそれができているのはnoteやら何やらで色んな人と交流があるからかな? と思ってみたり。