いつも答えを探してる
創作大賞2024の最終結果、発表がありましたね。受賞された皆様、おめでとうございます! 自分はダメでした〜…あ、中間にも残ってないので当然なんですけど😂 長い夏が終わってようやく秋らしさが見えてきた今日この頃。最終結果発表も終わって、気持ち的にも「夏が終わった」、そんな感じかなー。
さてさて、みくまゆたん様が「自分語りは楽しいぞ」と言う企画をされていて、期限が今日(10/25)までだったんですが、忙殺されて書く暇がなく…ただ、やっぱり書きたくなったので、乱文ながら書いてみようかと。間に合わなかったらタグはずそう💦
■探しもの
思えばずっと、子供の頃からかも知れないけど、自分の居場所だったり、進路と言う意味での行き先だったり……或いは人との距離感だったり、自分のアイデンティティーだったり。とにかく何か探し続けている気がしてる。ある課題、問題については答えが見つかるものもあれば、ずっと正解の分からないまま何となく過ごして現在に至る様なものまでさまざま。でも、常に何か探してる、そんな気がする。
自分が実際に「他の人とは違う」のか、はたまた単にそう願っているだけなのか、心の奥底に「皆と同じはイヤ」と言う感覚があって、ある集まりの中にあってもなんとなく馴染めない感が昔からあった。もちろん、友達と一緒にいれば楽しいし、学校や会社にいればその集団の中で和を乱す様なことを進んでする訳ではないけど、自分と他の人の間には相容れない何か流れている気がして。
長年生きている間にそういうものを意識していても集団の中で上手くやる術は身についたんだろうけど、心理的にはすげー距離があるんだよ。相手が何を考えているか、どう感じているか、そんなこと気にしなければガバッとそれを乗り越えてパーソナルスペースをなくして行けるのかも知れないけど、あまり乗り越え過ぎると自分のアイデンティティーまで壊しそうで。常に相手との物理的・心理的距離を計ってフィードバックを掛けながら適度な距離感を保ってるんだろうな。こういうのをコミュ症って言うのだろうか🤔 多分こんなこと考えない人には「考え過ぎだよ」で終わっちゃうことなんだろうけど。
■答えはないのかも知れない
距離感だけじゃなく、人生に於いては上にも書いた様に常に何かしらの答えを求めて、ある時はそれを得、ある時は「得た様な気になって」無理やり納得し、それでもまた何か答えが必要な事象が眼の前に現れて、眼前のその問題の答えをまた模索する……そんなことを繰り返している気がする。
良く枝分かれした道のどれかを選んで、進むとまた分岐があって……と言うイメージがあるけど、まさにそんな感じで、一度選択したらもう戻れない。振り返ってみると自分の後ろには今まで選んで通ってきた道が続いていて、ただその事実だけが過去の道筋を形成してるんだろうな。眼前の道を見れば、選んだ先の道もまた向こうの方で分岐していて……そうやって選択していくと何処かに行き着くんだろうか。
振り返れば学校の受験、大学院に入るための浪人、就職、転職、会社内での異動、自然災害で言うと2回の大きい震災にも遭遇したし、そういうことが道を選ぶモチベーションやきっかけになってきたのだろう。この先もきっと、大きい事象から小さい事象までさまざまな選択を迫られて、そして必ずどれかを選択していく。その選択こそが答えだとその時は思うだろうけど、マクロな視点で見てみればそれは答えではなく単なる選択なのかも知れない。答えはもっとこう……絶対的と言うか核心的と言うか「生きる意味」みたいなもので、なんなら全然探す入口にも立ってないかも知れないし、答えを求める意味すらないのかも。
■憧れ
それはもう「悟り」とかそんなレベルの話なのかも知れないけれど、昔読んだどなたかのブログで「ある日突然、集合的無意識に自分がつながった感覚があった」と言っておられて、今でもその感覚に淡い憧れを持ってるんだよね。
「集合的無意識」とは心理学者のユングが提唱したもので、アーキタイプ(元型)とも言うもの。人は意識しないところで繋がっていて、人類に共通する様々なものをここで共有していると言う考え方。何かそこに人としての答えみたいなものがあるのでは? と感じるんだけど、その方は「繋がった感覚があったからと言って、その後特に何も変化はありませんでした(笑)」とのことだったので実は「虚」なものなのかも😅
でも自分の能力の活かし方だったり、役割だったりを自覚できていると言うのはある意味マクロな視点での答えを得ていると思う。もちろんそれが分かっても理想を実現するためには様々な選択が必要なんだろうけど、ゴールの形が見えているのとそうでないのとでは雲泥の差だもんね。と、すると、自分も何か確固たるゴールの形を知りたいのかな?
■そもそも論
そもそも、なんで答えを求めたり探したりしてるんだろうと考えれば、選択を繰り返して自分の後ろに自分なりの道を作っていくことこそが答えで、ゴールの有り無しはさして重要ではないのかも。最終的に行き着いた場所が高みなのかどん底なのか……それすらも関係なく描いた軌跡こそが人生で、死後あの世に行ってからその軌跡を見つつ「おー、こんな感じだったか〜」と一杯やるためのものだったり?
だとすれば選択結果を酷く後悔するよりも、次、また次とその時々でベストであることを信じて選択を繰り返していくのがいいのかな。振り返ってみて真っ直ぐな道じゃつまらないし、選択した数だけ最終的な満足感があるのかも知れないなあ。
■まとめ
いや、まとめるも何も取り止めもない話なので💦 これからも毎日、毎時、いやこの瞬間にだって何かしら答えを求めて選択をしていくんだろう。ただ一つ言えることは、最近こういうことを薄っすら考えていて多少モヤモヤしてたんだけど、文章にしてみて(まとまりはないけれど)ちょっとスッキリした感じ♪ ってことでこの選択は良い選択で、まずまず良い答えを得られた!
仕事をすることも、趣味で文章を書くことも、どれもこれも選択の連続。迷うこともあるけど、それは良い答えを得るためのプロセスであるならば、この文章を書く前よりも少しはアクティブにやっていけそう……かな? 取り敢えず日付が変わる前に書き終わりそうなので、みくまゆたん様には申し訳ないとは思いつつ「自分語りは楽しいぞ」タグを付ける選択をしたいと思います😆