最高のサービス
子どもの頃、お使いに行ってお店の人に話しかけるのが苦手だった。
今は何か会話があった方が楽しいと思えるようになったけれど。
この夏、偶然が重なってメキシコに行ってきた。
そしてホストファミリーが連れて行ってくれたお店のサービスに感激してしまった。
メキシコではレストランでもガソリンスタンドでも街の商店でも
客と店のスタッフのやりとりが多い。
そしてスタッフ側も必ず愛想がいいわけではなかったけれど、
キッチリと、プロフェッショナルを感じさせる熱量で答えていた。
レストランのオーダーはほとんどの店が紙に書く。
注文内容も日本より複雑で、例えばタコスと一口にいっても
種類も多い上に、一人ひとりが食べたい量をオーダーするし
飲み物も注文するから、5、6人で食事に行くとスタッフは紙にメモし続ける。
ちなみに、メキシコのレストランや食堂のスタッフは
日本人が思い描くメキシコ人=ゆるい人たちではなく、みんな仕事に熱心だ。
しばらく歓談ののち、オーダー品が運ばれててきて
サッと私の目の前に置かれた。
料理が届く時は、この注文は誰のですか?というやりとりがなされると
無意識に思っていた私は、ひとり静かに感動していた。
なんて気持ちいいんだろう!
ホストファミリーは美味しいね、なんて言いながら食べはじめている。
これが当たり前なんだ。
その時、「これは誰の注文ですか?」と少しザワザワすることに自分がストレスを感じていたことに気づいた。
日本での日常において、オーダーは正確にテーブルに運ばれてくるのだが、このザワザワ儀式を経ないと食事が始まらない。
日本のお店の多くは、間違いなくオーダーを取ることにフォーカスしているんだなと思った。時短や人との関わりを減らす工夫もたくさんある。
メキシコでは人同士のやり取りがどこにでもあってそれが当たり前。食事の時もそういったやり取りを含めてのサービス、という価値観なんだな。
目の前にサッと置かれる料理によって私は自分が大切にされていると感じた。
これがきっと私の感動の理由。
私は今、人と話すことが好きだしそれをストレスに感じることもないけれど
人との関わりが少ないことに価値がある、という考えに知らず知らず染まっていたようだ。
正確さと時間の短縮を優先した価値観のお店で食事することは
手軽さの代わりにもっと豊かな何かを溝に捨てている気がする。
ああ、あのサービスを受けるためにもまたメキシコに行きたい。
日本でも私が日常的に行ける所に
豊かさを感じさせてくれるお店が見つかりますように。
#最近行ってよかった店
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?