なぜ「教わる側」より「教える側」の方が学べるのか?
こんばんは🌙
「1か月間、毎日ブログを書く!」の企画も、残すところあと4日です。当初用意していたネタはそろそろ尽きかけていますが、この1か月の間に新たに発掘したネタもあるので、このまま最後まで継続できそうな気がします!😋
「教える側」になると学びが多い
これはあらゆる領域で普遍的な真理だと思います。
勉強、料理、仕事、それがどんな領域であっても、以下の順に学びが多いことは良く知られています。
「自分で学ぶ」と「他者から学ぶ」のどちらがより学べるかは人それぞれなので一概に言えません。一人で集中して学ぶ方が理解が進む人もいれば、授業や講義などの形式で他者から学ぶ方が理解が早い人もいます。また、学びに使うテキストの質や、講義をする先生(講師)の質にも依存します。
しかし、「先生(講師)の側」になるのと、「生徒の側」になるのを比較すると雲泥の差があります。明らかに「先生(講師)の側」になる方が学びが多いです。
私はここ3年ほど、自分の専門領域(クラウドサービス)について自社の新卒向け研修の講師を担当しています。また、チームメンバーおよびパートナーベンダー向けに新しい技術の勉強会や、趣味で学んでいる東洋思想の勉強会を主催していますが、同じ内容であっても毎回学びが多くて、いつも「トクしたなぁ」「役得だなぁ」と思ってます。社内の研修講師を受けたがらない人が多いと聞くのですが、私的には「こんなラッキーなことはないのに」って感じです。
なぜ「教える側」だと学びが多いのか
と、まぁここまでは多くの人が知っている話だと思うので、、、ここからはなぜ「教える側」の方が学びが多いのか?について考えてみます。
理由の一つは「知識が体系化されるから」です。
自分が詳しいこと、好きなことが、その業界やその領域の中でどのような位置づけにあるのか。具体的には歴史的な経緯、自分たちと競合(ライバル)との比較、現代における意義など。
例えば私の場合は「クラウドサービス」という講義を持っているのですが、新卒向けに説明するので「そもそも論」から話すことが多いです。
みたいな感じですね。相手のレベルによって話題は変えますが。
こうやって自分の知識が体系的に整理され、地図のようなものが頭の中にできあがります。すると「いま自分はこのあたりは知っている」ということが俯瞰でき、その結果「このあたりは知らない」ということも認識できます。
まさにソクラテスが言うように「無知の知」を体験することができます。
でも、教える側になることのメリットは「知識が体系化される」だけではありません。
「人に問われる」という体験
「人に問われる」という体験ができること。
これが「教える側」にとっては最大の報酬だと思います。
以下の文章は以前、どこかのメルマガか書籍に記載されていたものです。数年前にEvernoteに転記されたもので、出所がどこなのか分からないのですが、、、(もし知ってる方いたら教えてください)
重要なのはココ👇です。
質問が来たときに、自分の底の浅さがバレぬよう努力するところです。
noteのようにブログのコメントで質問が来る場合は時間の猶予がありますが、講義の場合はその場で答える必要がありますよね。それでも答えられない場合もあって、その時は「ちょっと1週間だけ待ってください!1週間後に調べて回答します!」と言って、自ら退路を断つんです。で、1週間の間に自分の底の浅さがバレないようセルフリカバーするのです。
過去に読んだ本の中から、的確にその回答のヒントになる箇所を探し出せるし、積読になっている本の中から、ヒントになりそうな箇所を血眼になって探すので、実はとても効率が良い勉強法だったりします。
私も体験したことがありますが、この時の集中力は尋常ではありません。
この体験は「質問を受ける立場」にならないと味わえない、「教える側」にとって最大の役得だと思います。
それが良く分かっているので、自分が「教わる側」になったときはできるだけその役得を持って帰ってもらうために「質問」をするよう心掛けています。
おしまい。