真実は当たり前の裏にある
最近は「仁」のカードがよく出てくるので、「仁」をテーマにする機会が増えてきましたが、この仁の心のあり方は思いやりや愛、感謝、許し、手放しなどの意味があります。
ところで仁の愛は愛情とは別物です。というと少し語弊が生じるかもしれませんが、より固執した限定的な感情としての愛は仁の意味する愛とは違うように思います。
限定的な愛情とは自分のみが大事とか、我が子のみに向けたり、恋人に向けたりと、方向性がある一点に向けられる限定的な感情といえるような場合です。一方、「仁」の愛とは、宇宙を動かすエネルギーとも言えるような、全体を調和へと導くようなじわじわと自然と湧き立つような心だといえるのではないでしょうか。
そういった宇宙の理を実感した先には感謝の心が生まれ、成長し強力となり、やがて我が身から溢れ出し身近な人を包む「愛」こそが「仁」であると思います。
自分の中の、仁を見つけるとしたら、自分と世界との関係性を深く知ることで、この世に生まれて人間として生きていけるということだけでなんと、ありがたいことか!そのような、あって当たり前の事の裏に実は「仁」の徳は隠れていたりします。
それこそ、さんまさんが「生きてるだけでまるもうけ」という意味を込めて我が子に「いまる」と名付けたことに重なります。
はじめ、私はなんてあさましい響きなんだろうと否定的に感じていました。しかし、後に五常を知ってからは、自分の理解の浅さ、浅はかさに気づき少し恥ずかしい気持ちになりました。そして、さんまさんは「仁」のお人だなぁと、深く感心しています。
失うことで初めて生まれるのが五常の徳。
あって当たり前だった時代には「仁」という言葉は存在していなかったわけですが、感謝や愛という「仁」はこの現代、失われたことで、「仁」という徳として見直される。なんとも皮肉な感じがします。
しかし、それはこの宇宙の理なのでしょうね。
ところで「仁」についてもう少しお話しします。
顕在意識と潜在意識の境界線に位置する「仁」の心。
身体は潜在意識との繋がりが強いですので、身体の感覚に意識を持っていくと、思考は一瞬停止し空っぽの状態になります。
ぼーっとしている時に、よくフッとアイデアが降りてくるような時は、潜在意識と顕在意識が繋がった時なのかもしれません。
そのようなひらめきを大切にしてそれを信じて動くことが「仁」のながれに乗るということでしょうね。
余計なことを考え過ぎず、自分の身体の感覚や直感に身をまかせることが「仁」を育てるコツですね。
「仁」の心は次への行動を生む動力源でもあります。
コロナの影響で再び緊急事態宣言が発出されようとしている今、なかなか身動きが取れない時、失われるものがたくさんありますが、同時に本当の意味で初めて得られるものもたくさん秘めているのでしょうね。