憧れを携えて。
僕はけっこう「〇〇で在りたい」で形成されていることが多い。
「読書好きで在りたい」
「散歩好きで在りたい」
「映画に詳しい人で在りたい」
そんなある種の自己洗脳ともとれるような思い込みで、僕の日常は形作られているのだ。
僕という存在には、理想も現実も存在しない。ただ、理想へと向かう道のりの途中に"自分らしき何か"が漂っているだけだ。それをある作品ではゴーストだとか行ったり、一般的には魂だとか言ったりするのかもしれない。
七面倒くさいことを書いてきたけれど、けっきょくのところ言いたかったのは「読書が捗らないなあ」ってセリフ、一生言い続けるのかもしれないなあということ。
そんなことを思う、僕の日常。
日常は綺麗だ。憧れはどこから来るのだろうか?なんでもないようなことを難しく考えてしまう自分ってなんなのだろうか?素直になれずに天邪鬼でしかいられない自分はどうすれば良いのだろうか?
「自分ってなんなのだろうか?」
きっと人類が永遠に考え続ける問題のそれに、僕もまた引っ掛かっている。頭の中の落合陽一が「そんなのどうだって良いじゃないか、喜びを共有しよう!」と言っている。
でも欧米的価値観で生まれ育ってしまった自分にとって、それを捨て去るのはなかなか難しい。相対としての自分であればそれで良いのだとは思うものの、どこか絶対としての自分を求めてしまう。そんなものはきっとないのだろうと、勘づいてはいるのに。
それじゃあせめて日常を、ライフスタイルを、自分にしていこう考える。日常は綺麗だ。日常こそが自分だ。理想も現実も存在せず、ただ理想に向かう道のりしかないのだとしたら、きっとその橋渡しをするのは日常なのだろう。その日常の中から失敗が零れ落ちて、教訓になる。
そうした日常の延長線上で世界について空想として、ユートピアのの裏側にディストピアが生まれる。それは人々の理想の裏返しであって、人々の警告へと相成る、零れ落ちた理想だ。やっていることはミクロもマクロもおんなじだ。
今日も訳の分からないことを考えてこんな風にネットに恥を晒し続けて、ミームを少しずつ放出していく。それはどんどんと広がっていって、そのうち大海へと変わる。というか今日は脳が拡散している、お酒飲みすぎたかな?
そうしていつものこと、繰り返すだけ。
2023/03/30
12時起床。
もう少し前から起きてはいたのだけれど、ダラダラしたり二度寝したりしていたらいつの間にかこんな時間に。それからもダラダラし続けて過ごす怠惰な日中を過ごす。
13時前くらいにまねきねこへと向かう。3月いっぱいに20回に到達しなければいけなくて、詳しくは下の記事にまとめているのだけど、なんとか頑張っていきたい。というかここまで来たらもう意地だよね。んでちょっと恥ずかしいからいつもとは違う店へと向かう。30分くらい滞在して変えることにするのだけれど、店員さんが全然やってこなかった、、。お店変えるとあまりいいことないのかもね、、。
からの、家に帰ったら週1のミーティングを。さいきんはこの辺がなかなか進んでおらずって感じなのだけど、ひとえに自分の準備不足感もあるんだよなあ。そんな反省をしつつ、15時になったのでシフトイン。今日は人が少なかったけどやることは少々溜まっていたので、その辺をこなしてゆく。
23時に仕事終了。したら仕事仲間と宅飲みを。冷蔵庫の残飯などを処理しつつ、1時間ほど飲みをしてゆく。本日はスパークリングワインを1本開けたところで終了。後片付けは後回しにして、寝ましたとさ。
1時就寝。