61章 人は欲望に動かされている自動人形なのではないか。
夜道を散歩しながら考え事をしていて、ある考えが思いついた。
人にはやっぱり自由意志などないのではないかと。
人に自由意志があるかないか問題については、自分にとって永遠の問題であると認識すると共に、考えれば考えるほど真実に近づいていく感じがした。
人は基本的に何かしたい、何か欲しいと思ってそれに向けて行動すると思うのだが、脳の欲望というものに動かされている自動人形にすぎないのではないかと思った。
つまり、人というものは脳の電波信号に操作されているだけの器に過ぎないのではないかということである。
仕事するのは生活のため、その先にある趣味のため、家庭のため、色々あると思うが、生活の維持と自身の欲望のために仕事があると思う。
仕事はしんどいと思いつつも動いているのはその欲望あってこそだ。
欲望というのは人が行動する上でまず初めに自然に湧いてくるものであるから、自然に湧いてくるということはつまりそこに自由な意思など存在せず、脳の電波信号により自動で動いているということになると思う。
この考えは今までの考え方より具体的な、深いところまで迫った考えだ。
今まで事象A.B.C.D.Eなどと表現していたその
事象Aたちの正体のひとつは、脳の電波信号だ。
世の中の循環の根幹の1つを発見したように感じた。
様々な生物の脳の電波信号が事象A.B.C.D.Eと連なり、お互いに影響し、世界は自然現象による循環によって自動的に、プログラミングされたゲームの世界のように動いているのである。
また一つ世の中の真実に近づいたのではないかと思った。
もしかしたら、人に限らず生物というのは脳の欲望という電波信号に動かされている自動人形に過ぎないのかもしれない。
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