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進行癌に罹った愛猫が虹の橋を渡るまでの話

直腸腺癌にかかった愛猫のこと。
発覚から虹の橋を渡るまでを備忘録的に。

●猫のスペック
・14歳
・オス(去勢済み)
・完全家猫
・かわいい(可愛い)

まだ手乗りサイズの頃に道の側溝にいた猫を拾って以来、ずっと一緒に暮らしてきました。甘えん坊で、気まぐれで、人見知りの激しい可愛い子。
そんな感じの愛しい猫です。
猫又になるまで一緒にいてほしいなと思っていましたが、悪性の進行癌(※直腸腺癌)に罹ってしまいました。

もっとこうしていれば、とか思うことはあります。でもこればかりは仕方ない話だった、気づくのは難しかった、と主治医の方を含めお話を聞く中で、少しずつ気持ちを平らにしようと必死になる日々でした。
正直、以下の備忘録を読むとまだ申し訳なくなって仕方がない。もっと愛しい子と一緒にいたかったけど、私には何もできなかった。とはいえ、主治医含め、本当にほんとうに一生懸命、たくさんのことをしていただいたのでそこにはとても感謝しているし、これ以上は何も本当にできなかった。でも、一番頑張っていたのは猫だった。

気持ちを整理する意味でも、何があったのかをここに記します。


【病気の発覚まで】
●2023年2月上旬、うんこに血がつくようになる
→もともとうんこが硬めだったため、「うんこがまた硬くなったかな?」と整腸剤をあげるが良くならず。
→たまにうんこが硬すぎて痔のようになるときもあったが、普段は整腸剤をあげればすぐに通常うんこに戻るので念のために病院へ。
※この時点では「腸内環境狂ったかな?」「年取ってきたし、最近病院に行ってないから先生に見てもらうか」という軽い気持ちで病院へ。

●病院で整腸剤を変えてもらうが効果なく。
→二度ほど変える。その際、一週間ごとに経過を報告。その間、ご飯もしっかり食べるしおかわりも要求する。お水も飲むしうんこもしていた。もちろん元気。

●3月中旬、突然ご飯を食べなくなる。好物のチーズを見せたら食べたものの少量。
→次の日、病院で食欲増進剤を食べさせてもらい、その夜またカリカリを食べる。でもまた次の日にご飯を食べなくなる。
ここから、猫が自発的にご飯を食べなくなった。
そして、うんこもでないことも多くなり、トイレで踏ん張る時間がかなり増えた。

●早急に精密検査に踏み切る。結果「直腸腺癌もしくはリンパ腫の疑いあり」との診断がでたため、別の病院で精密検査を行うことになった。
→直腸壁が分厚くなっており、そのせいでうんこが出づらくなっているとのこと。
→別病院での精密検査の結果、限りなく直腸腺癌の可能性が高いとの診断が出た。ただ、リンパ腫の可能性も捨てきれず、一週間はステロイドを打ち様子を見ることになった。
※別病院への紹介をしてくださった主治医の先生には本当に感謝している。早急に動いてくださらなかったら、手術に踏み切るまでのタイミングがもっと後ろ倒しになっていた。

この時点で約一ヶ月。
年齢的にもこの手の病気の進行は早いと聞いていたが、あっという間に、どんどん猫が小さくなっていった。不安が募っていく。

●ステロイドを打って、直腸壁が少しだけ薄くなったもののこれ以上の効果は見込めないだろうとの話が出た。
→ステロイドのおかげで1〜2日はご飯を食べたが続かず。強制給餌を始めたのはこの頃から。(もともと、カリカリ以外を一切食べない猫だったので、これが本当に大変だった……)

先生のお話を聞き、悩んだものの、血液検査の結果が良いことと猫の体力的な面を考え、手術を決意。


【手術後〜4月第一週】
●3月下旬に手術。術後、面会ができたり、どんなふうに手術をして、病変した箇所をまさか写真で見せてもらえるとは思わずかなりびっくりするの巻。
→病変していた箇所は、本当にほんとうにひどいことになっていた。体力のあるうちにとってしまってよかったな、とも思った。
→後日、病理から戻ってきた資料を見たところ、やはり愛猫は「直腸腺癌」で間違いないこと、そして悪性であること、転移の可能性が多大にあることもわかりました。実際、肺に影があるので転移しているだろうとのコメントを先生よりいただきました。(これについては、最期まで苦しそうに呼吸をしなかったので、ちょっとよかったなと思っています。呼吸ができないのは苦しいから)

●抜糸はスムーズに終了
→おべべが可愛かったけれど、触るとどんどん痩せていく体に気づいてしまい、息が詰まる。
→なお、やっぱり自発的に食事をしないので強制給餌を継続。最近は本当に嫌なようで、隠れられてしまっているのが切ない。
→マグロの水煮がお好きな模様。あと、健康だった頃に一切食べなかったチュールをシリンジで流し込みました。(知り合いの獣医より「可哀想だと食べさせないと、本当に死んでしまうよ。それでいいの?」と言われ、はっとしました。そこからは嫌かもしれないけど、どうにか食べてもらうよう、心を鬼にして強制給餌に向き合っていました)

【~虹の橋を渡るまで】
●手術後、一回だけ自宅で塊のうんこを自力でできました。でもその一回だけ。
→ふんばっても水様便(=直腸液混じりのもの)しかでてこない。
→もともと、先生より「完治の手術ではない」とのお話があったのですが、まさかの進行の早さ。手術して2週間で直腸に指が通らなくなり、完全に手術前と同じ状態に戻ってしまった。

●食欲は変わらずない。病院で浣腸したあとは食べるが、先生曰く「興奮状態かつストレス状態にあるため」とのこと。なるほど、そりゃ家でご飯を食べるわけない。
→だんだんと強制給餌に慣れていく。後半はA/D缶をあげていました。ちゃむちゃむと食べていて、まるで赤ちゃんのようでした。(あと、マグロスープも飲んでいた)

●手術をして約1か月後の4月27日の夜10時。私の腕の中で痙攣と喘鳴を何度かして、愛猫が旅立ちました。14歳でした。
→この前日の夜、珍しく猫が一緒に寝ようと寝床から出て一緒の布団に入ってきたんです。あぁ、最期が近いなと思った。
→会社から帰ってきたとき、すでにちょっと体が冷たかったんですよね。汚れを拭いて、タオルで体を包んで、体をあっためて、なんてしました。でもあの時、すでに舌の色があやしくて、その時が近いことを悟ってしまって、もうどうしたらいいか分からなかった。
→実はこれを書くまでに少し時間がいりました。愛猫の死を受け入れられないというより、最期の姿がどうしてもちらついて、苦しくて。大変なのも苦しいのも猫だったのに、私が泣き叫んでもどうしようもないのに。

●虹の橋を渡って2日後、近くのお寺で猫の供養をしました。たまたま、ペット葬をやっているところがあったので。
→メンタル的に余裕があるとき、少しでも調べておいた方がいいと言われていて、「あぁもうだめかもしれない」と思った時に事前に調べていたのでスムーズにやりとりできたなと。そして、お寺さんがとても親切で、焼いてくれた方もとてもあたたかくて、少し救われました。

●猫が向こうに行って1か月後に納骨。それまでは家で一緒にいました。
→時期が来たら、合同納骨にかえようとは思うけど、しばらくは個別納骨で。


【使ってよかったサービス】
●ペットタクシー
→人のタクシーよりお金はかかるものの、もしもの時に粗相してしまったりなんなりの時、まだ気持ちが楽。
→ペットを飼っているドライバーさんばかりなので、話が通じやすい。


【お気持ち】
なんでもっと早く、精密検査に踏み切らなかったのだろう。歳のことを考えたらもっと早く動けたのでは。そもそもコロナを言い訳にして健康診断に行っていなかったのは飼い主としてどうなのか、とぐるぐるする。多分この感情はずっと付きまとうと思っている。何もできなかったかもしれないけれど、何かできたかもしれない。かもしれないの話を積み重ねても意味はないけれど、別の世界線ではあったかもしれない奇跡を思って嘆くのは馬鹿馬鹿しいのに、どうしてもこれだけは消えてくれない。私はもっと愛猫にできることがあったのではないか。ずっと消えない。

こんなことをいったところで、愛猫の体から癌は消えない。
事実を受け入れ、何をすべきかを考えることで、発狂しそうな精神をぎりぎり押さえつけている感じです。うわぁ、悲劇ぶってる。大変なのは、愛猫なのに。

っていうのを延々とループしていました。
今もたまに思います。

今は猫が苦しいから解放されてのびのびしているのかなと思うと、それだけでいいやって思いがあります。
うんこを出しづらくて苦しそうに踏ん張ることもなく、自由にごはんを食べて、お水をのんで、のんびりまったりねむっていれば、それでいい。

ありがとう、猫。
愛していたよ。



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