年末年始にふと思う
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
炭酸です。
新年になったということでみなさんはいかかがお過ごしでしょうか。
ちなみに僕は今年は寝正月です。ゴロゴロ〜。
他にはお餅食べたり、おせち料理を食べたりというのが恒例ですよね。うちの家庭だとお正月は匂いが強いもの(くせもん)はできるだけ食べないっていう習慣がありますが、年々緩くなっています(笑)。
まあこの習慣は一般化していうと上の記事のような四つ足のものを食べないっていうのと近いもので、お雑煮とか精進料理っぽいしそりゃそうかと思っていました。思っていたんですが、ふと不思議なことに気づきまして。精進って仏教用語じゃねと。
なぜこのことに気づいたか、そして不思議に思ったかというと2つ理由がありまして、1つ目は僕が「精進する」という単語を多用するようになったからです。
就活をしていて、インターンの終了後だったり内定先の懇親会だったりで職員の方に挨拶をする機会がそれなりにありました。
そこで「これから頑張っていきます!」って言うより、もう少し難しそうな言葉使って頭良く見せたいなと思った僕は貧弱な語彙であったものの、どうにか「精進する」と言う単語を引っ張り出します。
ただ、挨拶の中で多用しすぎてしまい、間違った用法だったらまずいと不安になったので、「精進」をググって用法や元々の意味などを知ったというわけです。
「精進」は元々仏教用語であるというのはこの過程でわかっていきました。上の記事を参考にしてもらえればと思います。
これだけだとお正月に「精進」っていう単語に違和感を覚えないと思うので、違和感を感じたもう1つの理由を説明します。
まあ単純なことなんですが、お正月って神道の要素が色濃いイベントだというイメージがあったからです。元旦って節日だし、初詣では神社に行くし、家の飾り付けを神様を迎え入れるようにする家庭もあるかなと思います。
そういうこともあり、神道のイベントであるイメージの強いお正月に精進料理のような仏教の考えが入り込んでることには、どことなく違和感ではないものの不思議に思ってしまったんですよね。
調べればこの理由は出てくるのかもしれないですが、今回は僕が感じた違和感の共有だけで文章を終わらせようかなと思います。
ただ最後にはなりますが、タイトルは「年末年始にふと思う」なのに年始の話しかしてないじゃんっていう人もいると思うので、少し話を付け加えます。
年末の大晦日って除夜の鐘を鳴らしますよね。これってお寺で鳴らしているから仏教の文化なんだろうなってわかります。
ただこれが鳴り終わって元旦を迎えると今度は初詣など神社に向かう人がいると。なかなかカオスだなと思います。
そしてその一週間前にはクリスマスって言いながら、キリストの誕生日を祝う日本人。ちなみに今僕はクリスマスケーキの残りを食べながら文章を考えていました。
まあ、日本はいろいろな文化が混ざり合っているとは言いますが、年末年始には特にそのカオスが表出している感じがします。
僕は結構、文化がどういう背景があって形作られたかだったり伝統っていうものを考えたりするのが好きなんですが、ここまで混沌としてくるとそこまで気にせずになんとでもなれの精神でいた方がいいのかな〜なんてふと思いました。