例え家族であっても避けたい存在はいる
お久しぶりです。
相変わらず慢性疲労や慢性疼痛を抱えて生きている、たにです。
ここ最近は急性胆嚢炎からの緊急入院+緊急手術で忙しくしていました。
そのうちそのことに関しても書くかもしれません。
今日はそれ以外のことで切ない気持ちになったので、
ものすごく久しぶりにこちらに書こうと思います。
兄の帰省
私には兄が2人いて、下の兄は都心で仕事をしています。
その兄が今度帰省するというので、家族旅行に行こうという話になりました。
海がいい!という母と私、山がいい!という父、魚が食べたい兄。
ということは多数決で魚の美味しい海で、温泉も入れる宿を探していました。
家族旅行。ただし私は1人で留守番
ですが、母から私は留守番だと言われました。
兄が「旅館に迷惑をかけかねないやつを連れていかない」と言ったそうです。
私は両手杖を使っています。必要な時のために車イスも持っています。
普段の生活は横になっていることが多いですし、外に出るのも通院の時くらいです。
そんな私は「旅館に迷惑をかける客」なのだそうです。
それはつまり、兄からしたら私は「両親に迷惑をかけている妹」だということに気付きました。
理解されない病
全ての人に病気を理解してもらおうとは思っていません。
それはとても無理な話です。
検査結果の数値には出ない、痛みや体の重怠さ、少し動いただけで息切れして披露する身体。
体験してない人には分からないことでしょう。
でも、私は実際にそれを抱えて生活しています。
この体のことがなければ医学部を卒業して医師になっていたでしょう。
そうでなくても電子カルテ開発者として仕事をしていたでしょう。
それができなくなったのは、頑張りすぎて体が治りきれないほど壊れてしまったからです。
頑張って、頑張って、頑張った結果、身体を壊したのです。
頑張っても結果が出なければ意味がないらしい
それを、「迷惑なやつ」だと切り捨てる兄がいること。
兄も上の兄に結構きついことを言われて、努力を強要されました。
結果が出なければ努力していない、努力が足りないと言われました。
(それは私が言われたことでもあります)
兄が努力して今の仕事に就いていることは分かっています。
上の兄に言われた通りに努力して、たどり着いたのでしょう。
私は努力しなかったのか?
私は努力しました。
医学部に行くためにも努力しましたし、
医学部に行ってからも朝5時に大学に行って図書館で勉強し、夜中の3時に帰ってくる生活をしました。
でも、解剖実習で化学物質過敏症のために意識を失い(あとから分かりましたが、喘息発作が起こったそうです)、そこから実習の単位を取るためだけに3年以上かかりました。
そして最終的には5,6年の臨床実習に入るための在学期間が足りないと言われて11年目の夏に退学しました。
大学中退では身体を壊した状態で仕事に就くのは難しいと思い、通信制大学に編入学して、地元の専門学校に通いながら就職活動を行い、大学も専門学校も卒業して社会人になりました。
社会人になってからも自宅と職場と、時々スーパーに行く程度の外出しかせず必死に働きました。徐々に体調がおかしいと思うことが増えていきましたが、病院に行っても「何もない」と言われて帰されました。
そして社会人3年目、私の身体はピクリとも動かなくなりました。
頑張りすぎたために発症した「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群」と「線維筋痛症」。その他数々の病名が私につけられたタグです。
フルタイム勤務できない人間はいらないと会社はすぐに退職届に署名させ、社員証などを取り上げて私を切り捨てました。
それからはあちこち入院したり、自宅でひたすら安静療養の日々です。
頑張っても結果を残せなかった私。
私は頑張りました。
本当に血反吐を吐いても頑張りました。
でも、不可逆的に体が壊れました。
私自身の管理不足ですか?
私が私を大事にしなかったからですか?
でも、私を大事にすることなど、知りません。
私はひたすら頑張ることだけしか知りません。
頑張るためには睡眠時間も食事も切り捨てました。
それでも、私が悪かったのでしょうか?
結果を出せず、寝たきりになった私。
頑張ったところも、療養中動けないところも、
兄は見ていません。
湯船から出られなくなって水没して必死に助けを求めた私を兄は知りません。
でも、例え知らなくても、障害者になった妹を
「周りに迷惑をかける人間」
だと切り捨てるような人だとは思いませんでした。
例え家族だとしても
私はもう、兄に会いたくありません。
上の兄も私を見ようとしませんから、私も上の兄と会わないようにしています。
そして下の兄にも会いたくありません。
私を理解しようとせず蔑む人と関りを持ちたくありません。
両親が亡くなったら私はひとりで障害者用グループホームに入るつもりです。障害年金をもらっていますし、障害者手帳も持っていますから、それで何とか生きていけるでしょう。
ちゃんと兄たちに世話にならない生き方を知っています。
私は、頑張った。
自分の体調に引きずられることなく、精神状態を保っている私を、麻酔科医は「ものすごく珍しく、興味深い」と言いました。
体調さえよければできることがあるのに、と落ち込むことなく、今いる場所でできることをしている私を褒めてくれました。
避けることも処世術
それでも時折、今回のような精神を大きく傷つけられることはあります。
小さな傷は数えません。そんなことをしても無駄ですから。
これからも傷を抱えて、私を傷つける人たちを避けながら、
私は生きていきます。